20:ナスターシャ・フィリポヴナのいる世界へ……俺が行くんだ
俺はペテルブルクの街を彷徨った。
ナスターシャ・フィリポヴナを探し、どこを歩いても、どこを訪ねても、
いない。
当然だ。
彼女は、最初からこの世界にいない。
架空の存在。小説の中の悲劇のヒロイン。
(……俺は、いったい何をしていたんだ?)
そんな思いに混乱しながら、
俺はアレクサンドル・ネフスキー大修道院の
チフヴィン墓地へと向かった。
ここには、多くの偉大なロシアの詩人、作曲家、作家たちが眠っている。
そして――
その中に、彼がいた。
フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー
俺は、彼の墓の前に立った。
「……畜生……」
震える声が漏れる。
俺は、ゆっくりと膝をついた。
「……なんで、いないんだよ……ナスターシャ・フィリポヴナ……」
「……俺は、あんたのせいで、ここまで来たんだぞ……」
「ロシア語を学び、正教会の洗礼を受け、クレムリンで警備員を投げ飛ばし、スキンヘッドの男と死闘を繰り広げ、寝台車でウォッカを飲み交わし……」
「……なのに、なのに、ナスターシャ・フィリポヴナはどこにもいない……!」
「畜生!!!!!」
俺は、ドストエフスキーの墓の前で、声を上げて泣いた。
涙が止まらなかった。
俺は、何のためにここまで来たのか?何を求めていたのか?
それすらも、もう分からなかった。
墓の上に刻まれた碑文が、霞んで見えた。
「Воздастся каждому по делам его.」(それぞれの行いに応じて報いが与えられる)
俺は、墓石を見つめ、拳を握りしめた。
そして、呟いた。
「……ああ、そうか」
俺の旅は、ここで終わるのか?
それとも、まだ続くのか?
俺は、墓の前で静かに目を閉じた。
涙が頬を伝い、ロシアの冷たい風が俺を包んだ。
ならば、俺がやるべきことは――
俺は拳を握りしめ、立ち上がった。
「ナスターシャ・フィリポヴナのいる世界へ……俺が行くんだ」
そうだ。
俺が、ナスターシャのもとへ行けばいい。俺が、彼女の世界に飛び込めばいい。
この世界にいないのなら、俺がそちらへ行くしかない。
――ムイシュキン公爵ではなく、俺がナスターシャを救うのだ。
俺は、強く息を吸い込んだ。
ペテルブルクの冷たい風が、俺の頬を撫でる。
涙の痕を乾かしながら、俺はドストエフスキーの墓を見つめた。
「……あんたが作った世界だ。なら、俺をそこへ導いてくれよ」
俺の旅は、ここで終わるのではない。
むしろ、これからが本番だ。
ナスターシャ・フィリポヴナがいる、19世紀ロシアへ――
俺は行く。




