9話目
1番下の弟がまさか、あの魔王に娶られるなんて話を誰が信じられるだろうか。
魔力を持たず産まれた不憫な弟が、膨大な魔力の塊に見える魔王に望まれる形でこの国から去っていった。
あの場にいた全員が押さえつけられるような初めて体感する圧に対して恐れていた中で、目の前で広げられた求婚。
魔王はその場で了解を父から得て、その場で弟を夫にした。
色々なことを飛ばしてなされた結婚だが、魔王という特殊な立場だからできたことだ。通常ならば王族の婚姻はこんな簡単には終わらない。契約やら制約、政略や思惑が絡む国同士の結び付きの為に犠牲にされる俺たちの婚姻が、こんな容易くなされてしまうことに戸惑いを隠せない。今だって、夢を見ているのではないかと思ってしまいたいくらいだ。
がらんとした、彼の個室。
元々物が少ないというか、買い与えられることすらなかったんだろうな。ベッド、机、椅子、本棚。それしか置いてない。あの2人は弟の存在すら消したかったに違いない。自分たちから産まれた魔力を持たない弟を絶対に認めようとはしなかった。不義の子だと噂された時期もあったが、彼の容姿がそれを否定していた。だからこそ、余計に持て余していたのだろうな。
机の上に置かれている弟が大切にしていただろう、俺が贈ったとある冒険者の物語を手にする。
「こんなにボロボロになるまで…」
表紙の縁はところどころ剥げていて、タイトルはもう掠れてしまっていて、僅かに読み取れる程だ。
「俺だって、あの2人と変わらないか」
弟に贈ったものと言えば、この1冊くらいだ。たった1冊。しかもただの気まぐれで、である。彼に関わることだって、さほどしてない。
そもそも最後に会話したのはいつだろうか。
パラパラとページをめくる。
おそらく彼のお気に入り章だろう、そのページが開きやすくなっている。
「海賊の章だな、確か」
小さい頃に読んだきりだが、なんとなく覚えている。
この本に出てくる主人公は剣術、魔法が優れている典型的な冒険者だが、それを鼻にかけることなく誰に対しても公平で、優しい男だ。
確かこの章では当たり前だが海での戦いがある。その中で魔法を使った勝負がここの見どころで、風を使い海流を起こし敵を遠ざけたり、水で敵を捕まえたり、多様な魔法で敵を倒していくのだ。実際に同じことをしようと思えばできるが、かなり難しい魔力操作になる。主人公がいかに魔法に優れているかの描写が多い場面だ。
弟は、そんな彼が羨ましかったのかもしれない。
この世界は魔力が全てと言っても過言ではない。魔力無しの存在は稀ではあるが、いないわけでは無い。しかし、ほぼ全員が大小はあるにしろ、魔力を持って産まれるのだ。研究によれば、魔力は母親の色を強く持つようだ。今の王妃、海を渡ってこの国に嫁いできた母は、おそらくこの国で1番魔力を持っている。正確な言い方をすれば、魔力を保持できる器が大きい。父もそれに負けず劣らず魔法の使い手である。その2人から産まれた俺たちも2人どちらかの性質を持っている。弟を除いて、だが。
「こちらにいたのですね」
「マリアか」
「本当に向こうへ行ってしまったのですね…」
彼女もこの部屋を見て、同じことを考えているのだろう。
「向こうで寂しい思いをしていなければいいのですが…」
俯き、悲しそうな表情を浮かべ、遠くの地へ行ってしまった弟を思いやってくれる彼女は次期王妃にふさわしい。分け隔てなく民に接し、慈愛に満ち溢れ、そして何より美しい。艶のある白金の髪は細い背に流れ、透き通る金の瞳は人の心をも虜にする。鈴のような声を発す唇は赤く熟れる果実のようだ。
「魔王が直々に望んだんだ。おそらく待遇はここより悪くないはずだ」
彼女を抱き寄せると、2人の視線が交わる。
「私、お別れの挨拶もしてないのです」
体調が思わしくなかった為、彼女は今回の対面式に参加していない。
「今度、会いに行くか?」
「行っても、大丈夫なのでしょうか…?」
サッと顔色が悪くなる。
「今度の魔王はそれなりに常識を持っていそうだ。兄弟を無碍にすることは無いと思う」
「そうなのですか?良い魔王様だと亜人の皆さまはおっしゃっていますが」
「前が酷すぎたからな」
向こうでこっちと同じ生きづらい思いをしていなければそれでいい。