第三十八話 旋律と素直な気持ちと
「なん……でだよ……」
教会を訪れた俺とシャル――。
遠くからパイプオルガンの旋律が響くその懺悔室の前で、シャルが放った言葉は、俺を動揺させるのに十分だった。
『この街に残ろうと思う。』
それは人間領に拠点を置いている俺たちと離れて暮らすということだ。
「なんでだよシャル……。俺の事、嫌いになったのか……?」
突然の別れの言葉に、俺はその真意をシャルに問う。
俺が何かシャルに不快な思いをさせたなら謝りたい。
そうでなくても、シャルが何か困ってるなら力になりたい。
そんな思いで発した問い――。
だがシャルは首を横に振った。
「……違うの。……逆なの。」
「"逆"……?」
シャルは――その瞳に暗い色を称えたまま、言葉を紡ぐ。
「……わたしが……レティをキライになったんじゃないのっ!……レティが、……わたしをキライになるのっ!」
「なっ……!? そんな訳ないだろ!? 俺がシャルを嫌いになんて……!」
なるわけ無い。
そう断言しようとした俺の言葉を遮って、シャルは続けた。
「……これからする話を聞けば……きっとキライになる。……わかってるの。」
そう沈んだ声で語るシャル。
その言葉を否定したところで、シャルは認めないだろう。
俺はシャルに、話の先を促す。
「……わかった。話してくれ。でも……何を言われたって、俺はシャルの味方だぞ。」
そう告げると、シャルは――沈んだ眼をしたまま話し始めた。
「……前にね、……わたしたちの住んでる街に……悪い人が来たでしょ?」
「悪い人? ……あぁ、テノンたちのことか。」
魔族復権推進派――。
俺たち"先代魔王軍幹部の娘"を、とある事情で狙ってきやがったテロリストどもだ。
「……その時の話を……レティが教えてくれたよね?」
奴らの襲撃に、幼女たちは直接立ち会ってはいない。
だがみんなにも何が起きたのかは知っておいてもらった方がいい。
そう考え、俺は連中の襲撃について、後日幼女たちに話したのだ。
覚えている範囲で、出来るだけ詳細に――。
「……その話の中でね……悪い人が……レティにした"提案"、……覚えてる?」
「"提案"……?」
シャルの言葉に、俺は首を傾げる。
「……『幹部の娘の中から三人程頂戴出来ればいい』。……そう言ったんだよね。」
シャルの言葉を聞いて、俺は思い出す。
そうだ。
襲撃を掛けてきたテノンの出した"提案"。
俺自身でなくとも、幼女たちの中から三人差し出せばいいというフザけた提案だ。
俺は当然その提案を蹴った。
考えるにも価しない提案――。
だがシャルは……
「……わたしね、……その話を……聞いた、後で…………考え、ちゃったの。」
シャルは――胸をぎゅぅっと押さえながら、絞り出すように言葉を紡ぐ。
「……もしも……ロロと……グリムと……ミリィが……その三人になったら」
過呼吸気味に、苦しそうに告げるシャル。
「……いいのになって……そう……思っちゃったの……」
その言葉は、まさしく"懺悔"だった。
シャルの胸の内に秘めた、どうしようも無い"罪の意識"――。
「……そうすれば……レティと二人きりで……居られるから……。」
言いながら――シャルは泣いていた。
「……最低だよね。……ロロもグリムもミリィも……大切なお友だちなのに。」
ボロボロと涙を流しながら、自身を責めるシャル。
いつもは表情の変化が控えめなシャルが、辛そうに眉を下げ、唇の端を引き攣らせて、その後悔の念を語る。
「……わたしっ……悪い子だったのっ!……大切なお友だちをっ……自分の都合でっ……犠牲にしようと考えたのっ!!」
シャルの瞳から零れ落ちた涙が、教会の石畳を濡らしてゆく。
「……だから……もうみんなと一緒には居られない。……今までありがと。……さよなr」
――ぎゅっ……!!
シャルが別れの言葉を最後まで言い切る前に――俺はシャルを抱き締めた。
「レ……ティ……?」
一瞬何が起きたかわからず、茫然としたシャルは、
「ダメっ……!」
そう言って、抱き締める俺を押しのけようとする。
「ダメっ……! レティ……! 優しくしないで……!!」
小さな腕で、俺の腕から逃れようともがくシャル。
だが俺は離さない。
いくら抵抗されたって、絶対に離さない。
「離してっ!」
尚も抵抗を続けるシャルに、俺は落ち着いた声で告げる。
「……じゃあシャルが泣き止んだら、離してやる。」
その言葉を聞いたシャルは、それでも尚抵抗を続けた。
だが、しばらくすると体力が尽きたのだろう。
少しずつ抵抗する力が弱くなる。
「……ぅぅ。」
疲れで抵抗に使っていた両手を下げたシャルは、俯いたまましばし無言になった。
俺の言った『泣き止んだら離す』の方の条件を満たそうと、心を落ち着けているのだろうか。
やがて瞳から涙を零すのを止めた。
「……落ち着いたか?」
俺の問いに、シャルは答えなかった。
その沈黙を、俺は肯定と取らせてもらうことにした。
「じゃあシャル。今から俺が質問するから、答えられたらでいいから答えてくれ。」
シャルはやはり無言だ。
俺は構わず、質問を始める。
「じゃあまず一個目な。シャルは……俺のこと好きか?」
腕の中のシャルは、しばらく黙ったままでいたが、
――コクン……。
と、やがて小さく頷いた。
「よし。じゃあ二つ目。シャルは……ロロやグリムやミリィのこと、好きか?」
この問いにシャルは、先ほどよりも長く沈黙したが、
――コクン……。
と、先ほどと同じように頷いた。
その反応を見て、俺は頷く。
「……うん。やっぱりシャルはいい子だ。」
俺がそう口にすると、シャルはブンブンと首を振る。
「そんなことっ……ないっ……! わたしは……悪い子なのっ……!」
頑なに悪い子、悪い子と繰り返すシャル。
そんなシャルに、俺は諭すように、ゆっくりとした口調で告げる。
「シャル……。シャルはなんで自分が悪い子だと思うんだ?」
「それは……みんなのことを、犠牲にしようとしたから……。」
「それが正しくないって?」
「うん……。」
沈んだ表情のシャルに、俺は微笑んで言う。
「シャル。それは別に悪いことじゃないぞ?」
「ふぇ……?」
俺の言葉に、シャルはまだ潤んだ瞳で俺を見る。
「みんなを犠牲にしようとした……けど、"しなかった"。俺はこっちの方が大事だと思う。」
胸にシャルを抱いたまま、俺は瞳を閉じる。
「誰だってさ……幸せになりたいんだ。それは悪いことじゃない。今回の場合、シャルにとって、俺と二人きりになることが"幸せ"だったんだろ?」
「う、うん……。」
「その為にロロたちが邪魔なら、後からでも……例えばこの旅の間に、誰かを馬車から突き落とせば、邪魔者は減ったんじゃないか?」
「っ!! そんなこと……!!」
「"出来ない"。……それがシャルの、素直な気持ちなんだろ?」
そうだ。
自分の幸せを追求するのは、人なら当たり前のことだ。
ただ、その為に"他人の幸せを奪っていい"と考えるかどうか……。
本当の悪人なら、躊躇無く肯定するだろうさ。
だがそれを躊躇えるのは、心に優しさを持ってるヤツだけだ。
「いいんだよ。何を思ったって……。」
考える事さえも許されないのなら、それは思想の自由を奪う事……洗脳と一緒だ。
「『自分が幸せになりたい。』『だけどみんなを傷付けたくない。』……今回はその二つがシャルの心の中でぶつかったけど……どっちもシャルの、素直な気持ちだ。悪いものなんかじゃない。」
俺がそう諭すと、シャルは――また涙を零した。
だが今度の涙は――どうやら、さっきまでの涙と種類が違うらしい。
「うぅぅぅ……うぅうぅぅうぅうううっ!!!」
俺の胸にしがみついて、いつもの冷静さなんて忘れて、ただただ泣きじゃくるシャル。
「大丈夫だ。シャルが悪い子じゃないのは、俺が保証する。だから……安心しろ。」
遠くから響いていたパイプオルガンの旋律は、いつしか聞こえなくなっていた。
無音の教会の中、シャルの泣く声が聞こえなくなるまで――
俺はシャルの頭を、優しく撫で続けた。




