I 「そんなことない」
文化祭最終日:平馬梓
『開門の時間まであと十分になりました。みのり祭最終日、はりきって行きましょう!』
きのうとは違う実行委員、綺麗な声の女子が興奮を我慢できないふうに叫ぶのが校内中にアナウンスで響き渡った。文化祭最終日はきのうの雨こそ止んだものの、また降るか降らないか微妙な雲が空を濁している。とはいえ気温もきのうよりは上がった日曜日、天保への入学を考える小中学生、その保護者、他校に通う天保生徒の友人や地域の人々など、来客はきのうよりもはるかに多くなることだろう。
きょうもまた穂波と遊びに出かける予定は立てたが、開始から一時間はクラスで手伝わなくてはならない。それまであと十分しかないということでちと用を足しに教室を離れ、戻ろうというときだった。
「おや、家入ちゃん」
廊下でばたっりと出会ったのは、友人の久米と理由があって同居中の家入才華だ。整った目鼻立ちや高い身長は、口の汚い穂波とはまた違ったきつさを持つ。マイペースで変わった性格である印象が強いが、その知識量と頭の回転の速さには驚かされる。
そんな家入ちゃんも、話してみればとっつきにくいことはなく、面白い人である。
「ええと……」
「平馬だよ、平馬。久米と同じクラスの」
「ああ、平馬くん。なんとなく思い出した」
家入ちゃんは興味のあることは積極的に記憶するが、反対に関心の薄いものはすぐ忘れてしまうと久米が話していた。おそらくおれも忘れられている。しかし、
「ほら、穂波の」
と言えば、ああ、と家入ちゃんは頷いた。穂波と家入ちゃんは性格の反りが合わず、目が合うといつも火花を散らす。度々のいがみ合いは仲の良さゆえのものであると、おれと久米は理解している。
つまり家入ちゃんにとっておれは穂波と関連付けないと思い出せない存在だとわかったところで、ひとつ、ふと思いついた質問をしてみる。
「なあ、文化祭は好きか?」
「へ? うん、嫌いじゃないけど。どちらかといえば好きかな」
おや、と思った。自由奔放な家入ちゃんだから、クラス全員で何かを成し遂げるイベントは好かないものと思い込んでいた。何より、いま目の前の表情を見ればそうとは思えない。
「にしては、浮かない顔をしているではないか」
「そう?」
「イベントを楽しめていない部分でもあるのか?」
「ああ、……そんなことない、全然。楽しいよ」
どこか歯切れが悪いと感じた。詮索するつもりはないので、別の質問をして何か訊けないか試みる。
「ところで、クラスでは何をやっているんだ?」
「空き缶アート」
「展示か。じゃあ、本番はそれほど忙しくないのか」
「そうだよ。……それで、平馬くんはどうなの?」
「うん? ああ、おれはこれからクラスに――」
「そうじゃないよ」
家入ちゃんはふっと鼻で笑った。案外、それに嫌な感じはない。
「平馬くんは、文化祭が好きじゃないのかって話」
「……好きじゃないな。騒々しいのは苦手だ」
「ふうん、そうは思えないけど」
「おや、それはいかなる推理で?」
「いやいや。楽しそうに見えたから、直感で」
なるほど、楽しそうか。
それじゃ、と言って、家入ちゃんはセミロングの黒髪をふわふわと揺らしながら去って行った。
文化祭が始まると、穂波からきょうは忙しいとのメールが届いた。クラスの出し物の中心になった人物が部活のほうで忙しくなってしまったらしく、クラス一丸の総力戦で最終日を乗り切らなければならないそうだ。
しかし自分のシフトはやがて終わってしまう。穂波と一緒に行動できないことがわかった以上、他の誰かと時間を潰したい。最初に思い浮かんだのは久米弥だったが、部屋を見回しても見当たらなかった。
苦手な文化祭をひとりで過ごすことになるのは疲れそうだとため息をつき、とりあえず久米がいるなら将棋部だろうと当たりをつける。将棋部がいる国語科資料を目指し階段を下りようとしたとき、おれと同じく退屈をしている人物を踊り場に見つける。
「おう、桜井」
「あ、平馬」
実行委員の腕章をしたポニーテールの少女は、おれの声に気がつくとにやりと笑ってこちらを見上げた。この桜井円とは中学三年間同じクラスで、高校で別々のクラスとなったいまでも同じクラスで過ごしているような気がしてならない。それだけ慣れたゆえなのか、おれを見つけるとモノのように「あ」と言うことが多い。
おれも踊り場へ下りる。
「どうした、実行委員なのに退屈なのか」
校内各所で桜井のものと同じ腕章をした委員が駆け回っている。しかし桜井は、貸し出されたトランシーバーを弄びながらとぼとぼと歩いていた。
「そう、ヒマなんだよ」桜井はお喋りな性分で、特に愚痴を話していると生き生きしている。「あたしの役目って、主に準備日と片づけ日の仕事が多くてさ。まだ開始一時間で全体的に仕事が少ないのもあるけどさ」
「吹奏楽部は忙しくないのか?」おれは桜井の部活のことを尋ねる。ときどき口を挟まないと愚痴は止まらないのだ。「きょうだって公演があるだろう」
「午後だから。しかも文化祭最後のプログラム」桜井ははあ、と息を漏らす。「平馬、ヒマならちょっと付き合いなさいよ」
普段なら厄介なやつに絡まれたと思うところだが、手持無沙汰なときには誰でもいいという気持ちが芽生えてしまう。
「別に構わないぞ。面白そうだ」
「本当? あ、穂波ちゃん心配しない?」
一応、桜井も穂波と知り合いだ。
「桜井なら大丈夫だろう」
「ちょっと腹が立つ言い方だけど、まあいいや。で、どこ見に行く?」
どうする、と訊きかえして残り半分の階段を下る。人波を慎重にかわして下のフロアへ着いたそのとき、廊下から曲がってきた少女とぶつかってしまう。
「痛い!」
少女は手に持っていた文化祭のパンフレットを投げ出し、尻餅を突く。おれも階段に腰を打つ前に手すりにつかまった。
「悪い、大丈夫か」
手を貸そうとしたが、その少女は「いらない」と吐き捨て自分で立ち上がった。見れば私服を着ているから天保の生徒ではないようだが、垢抜けた服装や容姿を見たところ同世代のようだ。
「気をつけなさいよ」
少女は理不尽なことを言って立ち去ろうとする。面白くない奴だ、一言文句を返してやろうと思いながら、少女が拾い忘れたパンフレットを拾う。顔を上げれば、少女が寄越せというふうに手を出している。そのときふと、皮肉で返すよりもいいことを思いついた。
「お前、道に迷っているだろう」




