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第二部:共有の物語 ―内省が言葉になる― 第8話 「ある雨の午後」

雨が激しく窓を叩いていた。


カフェ「あおい」の店内は、湿った空気とコーヒーの香りで満ち、ジャズが低く流れていた。


拓は窓際の席でブレンドを、瞳はカウンターでカフェラテを、康介は奥のテーブルでアメリカンを、純はエスプレッソを、Eは本日のコーヒーを。五人が、まるで引き寄せられるように同時に店にいた。


誰も声をかけなかった。ただ、それぞれが向かいの「気配」を感じながら、静かにカップを傾けていた。


最初に口を開いたのは拓だった。雨音に負けない小さな声で。


「……あの噂、将軍の話。あの人も、わからなかったんじゃないか。何が正しいのか、自分が何をすべきなのか。だからここに来て、誰もいない相手に話してたんだろうな」


沈黙が落ちた。誰も否定しなかった。


瞳が、カフェラテのカップを両手で包みながら続けた。


「作家の話も……みんなが期待する『特別』を演じることに疲れて、ここで本当のことを言ってたんじゃないかな。私も、友人の結婚式でスピーチをして、初めて自分の言葉を話せた気がした」


康介が、アメリカンをゆっくりかき回しながら言った。


「最近、部下から聞いた結婚式のスピーチの言葉が、心に残っています。『特別じゃなくていい』——誰かの言葉が、こんなに自分を変えるものなんですね」


瞳の手が、カップの縁で一瞬止まった。


純が、エスプレッソの苦みを飲み込みながら、静かに言葉を重ねた。


「私はその全部を、取材を通じて見てきました。Eさんの言葉が、学生にかけた一言が……何人もの人を経て、私の取材先に届いていました」


Eが、小さな声で言った。


「私の言葉が……?」


純はうなずいた。「ええ。あなたが就活イベントで学生に言った『答えを出さなくても、そこにいるだけでいい』という言葉が、たまたま私の取材先にまで繋がっていたんです。その取材先は、康介さんの部下・田中さんの古い知人だったそうです」


康介が顔を上げた。「田中……? あの結婚式のスピーチを聞いた田中か?」


純は静かに続けた。「田中さんが瞳さんの言葉をあなたに伝え、あなたの『最適じゃなくてもいい』という発言が、沙織さんの連載タイトル『そこにいるだけ』を生んだ。そして沙織さんが街角で描いた女性が——」


そのとき、濡れた傘の音がして沙織が入ってきた。


彼女は窓際の空いた席に腰を下ろし、カプチーノを注文した。


五人の静かな会話が耳に入り、沙織はカップを持つ手を少し止めた。


「……何か、面白い話ですか?」


拓が静かに振り返り、微笑むように言った。


「この『何か』の話。それに、知らない誰かと、知らないところで繋がっていた話」


沙織は一瞬目を細め、スケッチブックをテーブルの上に置いた。



「そういえば……私も、最近そんな気がしてたの。先日、街角のベンチで知らない女性を描いたんだけど……すごく必死にノートを書いている姿で、なぜか描かずにいられなかったの。最近始めた連載のタイトルも、編集者さんに『そのままでいいんじゃない』って言われて、『そこにいるだけ』にしたんだけど……」


その瞬間、光莉が店に入ってきた。彼女はみんなの輪に加わることなく、窓際の空いた席に近づこうとした。沙織の開かれたスケッチブックが目に入った途端、動きが止まった。


沙織のスケッチブックに描かれていたのは、ベンチに座ってノートを取る光莉の姿だった。


光莉が息を飲む音が、店内に響いた。


沙織が顔を上げた。「……どうかしましたか?」


光莉は震える声で言った。「それ……私です。大学の近くのベンチでノートを取っていた時の……」


沙織も息を飲んだ。光莉の顔とスケッチを何度も見比べる。


光莉が小さくうなずいた。「就活イベントでEさんにお会いして……Eさん、あの時、私の質問に答えてくれたんです。『答えを出さなくても、そこにいるだけでいい』って」


Eが驚いた顔をした。「あの時の学生さん……あなただったんですか?」


その瞬間、店内にあった六つの沈黙が、ひとつになった。


瞳が静かに言った。「ということは……私が結婚式で話した言葉が、田中さんを通じて康介さんに伝わり、康介さんの言葉が沙織さんの連載に……」


康介が低く続けた。「そして沙織さんが描いた女性が光莉さんで、光莉さんがEさんに繋がり……」


拓が、雨音に紛れるような声で言った。「俺が本屋で見かけた女性が瞳さんで、Eさんが電車でハンカチを拾ったのが俺……か」


光莉はみんなの顔を見渡し、静かに言った。


「私たちは、知らないところで、知らない誰かと繋がっていた。誰も意図していなかった。でも、確かに繋がっていた。それが、この場所の仕組みなのかもしれません」


誰も意図していなかった。


でも、その雨の午後から、彼らの言葉は初めて「自分だけのもの」ではなくなった。そして、彼らは初めて知った——自分たちが、知らない誰かと、知らない形で深く結びついていたことを。


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