第2話:海の見えるペットショップ
【ストーリー概要】
ふるさと帰還支援制度で地元へと帰還した主人公『氷理』は、
海の見えるペットショップを経営していた。
バイトの寧々子とともに、今日もドタバタとした会話を繰り広げている。
どうやら、氷理は仕事をサボりたいようで……
三月四日 金曜日
今日は雲一つ無い快晴で、気温も高く、心地の良い気候である。
こんな良い天気の日に仕事をしているなんて、なんだかもったいなく感じてしまう。
「だから、これから俺は仕事をサボってバイクツーリングに行こうと思うんだけど、良いかな?」
オレはバイトの寧々子ちゃんに、今日仕事を抜け出しても良いか訊いてみる。
「おうコラ氷理。ねぇ氷理? あんた、店長よね? ねえ、店長よねぇ? 昨日も店開ける前からバイクでちょっと琵琶湖まで行ってくるって言って、私に仕事を全部投げたよね? あぁ店長?」
寧々子ちゃんが、これでもかという気迫でオレにガンを飛ばしながら返事をしてきた。いつも見慣れているリアクションとはいえ、寧々子ちゃんは吊り目で背が高いから、どうしても気迫にたじろいでしまう。
「あっ……はは。だって、昨日はライディが琵琶湖で水遊びがしたいって言っているような気がしたから、仕方なく行ったんだよ。これはオレの意思じゃ無くて、ライディの意思を尊重した限りの行為なんだよ!」
そう、オレには分かる。我がペットショップの看板犬であるライディは、今すぐにでも外に飛び出し、大地を駆け回りたいですぅ! と、心の中で叫んでいる事をっ……!
ここ数ヶ月、外が寒くて外に出る機会が少なかったせいで、ダイエットしたいよぅ! というもう一つの本音もオレには分かるぞっ……!
なんてったって、オレこの店長だからね! 動物の心が分かる、心優しいお兄さんだからね!
「へぇ、今回はライディをダシに仕事サボりの言い訳をするの? 最近、犬を理由にする機会が増えたのね。パッションな動物だから、外にサボりに出るには都合が良いってことかしら?」
寧々子ちゃんがオレのみぞおちにグーの手を添えながら言う。きっと、この後の選択肢を間違えてしまえば、私の強力なグーがエクスプロージョンするぞっていう警告なのだと思う。
寧々子ちゃんは実家が土木会社だから、仕事の手伝いの影響で、力だけは普通の男性以上に持ち合わせている。
慎重に選択肢を選び、オレの身体が絶望的状況になってしまうような最悪のエンディングは、確実に回避しなければならない。
「ほ、ほら、ハウスにいるライディを見てごらんよ。一目瞭然だよ」
「はぁ? ライディのハウス?」
オレの言葉に従うように、寧々子ちゃんは首を振ってライディのハウスに視線をやる。
視線がハウスに向かれたと合わせて、オレはライディに向かって話しかける。
「なあライディ、今日は良い天気だし、お前も外を目一杯駆け回りたいよな? 大冒険をしたいよな?」
……頼むぞライディ。ワンでもくぅ~んでもにゃ~んでも良いから、絶妙な感じでオレの言葉に返事を返してくれっ……!
「…………」
「…………」
ぶっ……!
「……っ!」
「……っ?」
オーケー、ライディ。オレの全力言い訳を聞きたいって言う事だな? 店をサボりたいという気持ちは、オレ自身の実力でつかみ取れって言うことだな?
「……ねえ、氷――」
「寧々子ちゃん、今の聞いた? ほらぁ! ライディもやっぱり行きたいってさ」
「おならしただけでしょっ! 何都合良く解釈してんのよ!」
「えっ……寧々子ちゃん、今のおならでライディの気持ちが分からなかったの……? あいつ、悲しむよ」
「……おなら語を解釈しなきゃ犬を真に理解できないってなら、私は世界中で生きている全ての犬にだって嫌われても良いわ……」
……ヤバい、寧々子ちゃんが完全にオレの言葉を疑い始めている。これはなんとか釈明しないと、店長としての名が折れてしまう。
「ぐ、偶然だよ……オレは動物たちを皆平等に愛しているんだよ! 犬も猫もキジも猿もワニもライオンも虎も――」
「うちではキジも虎もワニも飼ってないでしょ! それに、そんな高価で場所とるような動物たちを飼うスペースがどこにあるのよ。十畳ばかしの狭ぁ~い空間に、動物が四十匹もいるのよ。狭いのよっ! ハムスターすら、最近狭いってクレーム付けてきそうな勢いだぞコラァ!」
寧々子ちゃんが両手を広げ、店内の狭さを強調するように壁をこんこんと叩いている。
その叩く気迫に気づいたのか、近くのケージに入っているモルモットのムニーが、ハウスの中に逃げ込み小さな体を震わせている様が見える。
「まあまあまあまあ、落ち着いて。モノの例えっていう奴だよ。うちで飼っていなかったとしても、世界中で生きる動物たちのことを、オレはいつでも幸せになってもらいたいと強く願っている、ワールドワイドな心を持っている人物なんだよ」
「じゃあ、そんなワールドワイドなハートを持つサボり癖のひどい店長さん。私から一つ要望があるんだけど、聞いてくれる?」
「な、なんでしょう……」
とつぜん手を上げて、寧々子ちゃんがオレに言う。
「会話で弁明する振りしながら、ちゃっかり自分のバイクに跨がるな、このヴァカァ!」
「……えっ、何のことかなぁ?」
気づかなかったなぁ……いつの間にバイクに跨がっていたなんて……いやぁ……知らなかったなぁ……偶然って怖いわぁ……。
「へぇ? 口では惚けつつ、バイクの鍵を差してエンジンかけるのねぇ? ふぅん? 良い度胸してんじゃないの」
「……バ、バレました?」
オレの手の先の動きを見逃さなかった寧々子ちゃんが、鍵を穴に差そうとした瞬間に合わせてビシッと指摘してくるなんて、すばらしい洞察力だ……侮っていたよ。
「むしろ、なんでそんな大胆な行動をしているにもかかわらず、バレないと思った? そんなに私がバカに見えたのかしら? アホの子に見えたの?」
おでこに血管を浮かせながら、手をバキボキと鳴らす寧々子ちゃん。これは……次の選択肢を間違えたらグロテスクエンドを迎えてしまうヤバいパターンだ――なら、ここはひとまず寧々子ちゃんを褒めることで、場の殺伐とした状況を落ち着かせるとしよう。
「寧々子ちゃん。何事にもパッとしないオレをいつも助けてくれる寧々子ちゃんがバカなわけないよ。うん、バカじゃ無いよ! 大丈夫だよ! 安心して!」
「うるっさい! バカじゃないって言われても否定されているのか分かりにくいわよっ!」
くっ、褒め間違えたのか……。しかし、ここで止めたらオレのグロテスクエンディングは確定してしまう。続けて褒めちぎり作戦だっ!
「それに、いつもてきぱきと仕事をこなしてくれる上に、すごく可愛いし」
「…………っ!」
「……ん?」
お、なんか可愛いって言ったら、張り詰められていた気迫が急にぶれ始めたぞ。オレが体験したことの無いリアクションだ。
「……そ、そんなことないし。氷理が出来損ないすぎるから、一般人の私が目立っちゃってるだけよ」
両手をほっぺに当てながら顔を隠している寧々子ちゃん。体も少しくねくねと動いているのが見て分かる。
「あ、もしかして照れてる? ほっぺのところがぷっくり膨らんでるよ」
「て、照れてないし! ぷっくりはいつも通りだし……!」
「またまたぁ……寧々子ちゃんは照れている顔も愛おしいんだから、もっとオレの前で、デレデレしていいんだよ」
「うるっさいっ! おちょくるなぁ!」
先ほどまでとは打って変わり、怒っている割には気迫が無く、なんだか落とし込めそうな流れに持っていけているような気がする。
ようし……ちょっと大胆に攻めて、寧々子ちゃんを落とし込んでみよう。
「ねえ、可愛いからチューして良い?」
「えっ……ちょ……何いきなりっ……!」
両手で顔を隠していた寧々子ちゃんがホッペから手を離し、目を見開きながらオレに向かって言う。動揺しているのだろうか、顔が少し赤いような気がする。
こんな事で寧々子ちゃんが引っかかるわけ無いとは思うけど、このチャンスを生かし、賭けに出てみる。
「寧々子ちゃん……ほら、目をつぶって~」
「えっ……えっ……えっ……?」
「ほら、早く」
「わ、分かった、わよ……」
オレが目を瞑るように言うと、寧々子ちゃんが両手を組んで、ゆっくりと左右のまぶたを閉じ、一言『いいわよ』と言った。
なんというか、今までに見たこと無いような、乙女の仕草というのを見た気がする。
そんな寧々子ちゃんのレアなシーンを拝みつつ、オレは最後の行動に出る。
「じゃあ、そのまま……待っててね。目は瞑ったままだよ」
「う、うん……」
目を瞑る寧々子ちゃんの頬を片手でさわり、オレは耳元で優しく言葉をかける。
そして――
「…………」
「…………」
ブロロロロロロロ……!
ブォンブォンブォン……!
ブォォォォォォォォォォォン!
ォォォォン…………
……
オレはバイクと共に、一目散に道路へと駆けだしたのだ。
「…………」
「…………」
「……ねえ、いまブロロロって聞こえたけど、何の音だろうなぁ……? 目をつぶってて分からないけど、何のバイクの音だろうなぁ! クソ氷理ぃぃぃぃぃぃぃ!」
バイクを走らせている後ろから、寧々子ちゃんの叫び声がかすかに聞こえるが、ヘルメットとエンジン音で何を言っているかよく分からなかった。
きっといつものように、オレのことをクソだとかとか、毒で死ねだとか、給料倍にして払えだとか罵っているのかもしれない。
ごめんね寧々子ちゃん。帰りにちょっと高いキャラメルプリン買ってきてあげるから、後の仕事は頼んだよ……あと、みぞおちへのグーパンチは一発で勘弁してね、本当に死にそうなくらい痛いから……と、心の中で呟いておく。