第三百三十二話 幕 伝七郎(七) 清算 その二
次回の投稿は、4月17日を予定しています。
翌朝、日の出の刻────。
本隊と信吾の玄武隊が、橋の上で並ぶ。
両端に整列し、ただ一人を出迎える道を飾る。
白の館は静かだった。
焦げた臭いは鼻をつくが、寒暁の風の冷たさほど厳しくはない。ピリリと肌刺すその風は、何かの予兆を孕んでいた。
ここ数日は曇り空が続いていたが、今日は雲一つない。陽は静かに、暁光の空へと昇っていく。
後ろに控える信吾も、ただ黙って立ち続けていた。
もう、すでに準備は終えている。
介錯を頼んだ後、身を清め、食を絶ち、今日に臨んでいる。足袋も白の鉢巻も、すでに用意されていた。
キュイーキキキキ──。
静けさの中、モズの高啼きが響いた。
すると、白の館の門が静かにゆっくりと開く。
門の真ん中に、男がただ一人立っていた。
左右に並ぶ兵たちを一瞥する。
が、動じる様子はない。
どこかすっきりしたような表情をして、一歩、また一歩と、ゆったりとした歩みで兵たちの真ん中を歩いてくる。
橋を渡りきる直前で、男は立ち止まった。
私から二間(※約3.6m)ほどの距離で、こちらを静かに見つめている。
「泉清次殿か?」
姿勢を正し、声を掛けた。
男は、うっすらと微笑みながら黙礼する。
「いかにも。泉清次にござる」
男は二十代後半と思われる年かさの男で、元来は精悍だろうと思われる顔つきをしている。男前と言っても、過言ではない。
ただ、今は憔悴しきっており、その身の汚れとともに見る影もなくなっている。
着ている物もすっかり薄汚れていた。
私が命じてやったことながら、ずいぶんと非道なことをやったのだと胸の奥が少し疼いた。
だが、そんな姿をしていても、決して誇りを失ってはいなかった。
男の目に淀みがない。はっきりと分かる。
────ああ、本当に死にに来たのだ、と。
だが、一度だけは確認しておきたい。
「佐々木伝七郎にござる。こちらは私の副将の犬上信吾」
「犬上信吾にござる」
「かの佐々木伝七郎殿自らお出迎えいただけるとは、かたじけない。しかも、犬上信吾殿まで」
男は、敗将とは思えない澄み切った笑みを浮かべたのち、ゆっくりと頭を下げる。
「使者殿の話の通り、降伏ということでよろしいか?」
「配下の者どもの命は、ご容赦いただけますな?」
「私の名において。約定は必ずお守りいたす」
即答する。
泉殿は一つ、鷹揚に頷いた。
「結構です。佐々木殿のご厚情に感謝いたす。泉清次とその配下すべて、佐々木殿に降伏し、白雲の館を明け渡し申す」
「金崎惟春の遺体は?」
「きちんと弔える状況ではなかったので、葬式こそはしておりません。が、白雲の館の中庭に埋葬してあります」
「わかりました。あと、泉殿……でよろしいか?」
「構いません。なんでござろうか」
「一度だけお訊ねする。……貴方ご自身も降る気はないか?」
答えは分かっている。だが、泉殿の目を見て真剣に問うた。
そんな私を、彼はじっと見つめた。
そして、再び微かに笑みを浮かべた。
しかしその直後、真顔を作ると、裂帛の気合いと共に私の言葉を切り捨てる。
「無礼ぞ! 我が主は水島継直様。一戦に敗れようと、どうして忠義までも曲げられようか!」
早朝の静けさに木霊した。
朗々とした見事な宣言だった。
「…………」
想像した通りの返事だ。あまりにも惜しい……。
だが、これを曲げさせるのは、彼の言う通り侮辱に他ならない。
信吾も黙っている。
口を挟んでくるようなことはない。わかっているのだ。
泉殿は、すぐになんとも優しげな表情に戻り、静かに黙礼した。
「佐々木殿のお気持ち感謝いたす。されど、やはり忠義は曲げられない。私は、お館様に助けられました。お館様を裏切るようなことは、私にはできない。……佐々木殿とて、ご一緒なのでは?」
そして、静かに問いかけてくる。
脳裏に、屈託のない姫様の笑顔が浮かんだ。
これは……説得できない。
否、してはならない。これ以上は、絶対駄目だ。
「……そうですね。私の失言でした。忘れてください」
「いいえ。忘れません。失言などではない。ただ、貴方は寛容だっただけです」
慈しむような目をしたまま、私を見てそう言う泉殿。
「…………」
「では、お約束通り、この首は差し上げる。貰っていただきたい」
そして、何気ない話をするかのように告げる。
「……いいえ。首を討つ気はありません。お部屋……は準備できませんでしたが、すべての用意を整えてあります。お使いになられますか?」
その言葉を聞いた泉殿は、何かを噛みしめるように目を閉じた。
「何から何まで……。かたじけない。ありがとう、佐々木殿」
「いえ」
短く私が応えると、間を見て信吾が口を開いた。
「不肖ながら、介錯は私がお務めし申す」
すると、泉殿は驚いたように目を見開く。
「犬上殿ご自身が?」
「はい。伝七郎様より、その様に申し付かっております」
泉殿がこちらを見る。私は一つゆっくりと頷いた。
「私同様にまだ若いですが、信吾は我が軍が誇る勇将です。貴方の介錯をするなら、彼こそが相応しい」
その言葉に、泉殿はもう一度深く頭を下げてくる。
「……重ね重ねかたじけない。感謝いたす」
この後、泉殿は将の責任を果たした。
見事な最期だった。
もっとも景色のよい場所に、幕を張り畳を三畳敷いた。
その場には、泉殿本人と介錯人として信吾、そして私。
此度は検使役を設けず、私自身が立ち会った。他の誰の目も、許す気などなかった。
介錯を信吾に頼んだこと同様、私にできる最大限の礼を尽くしたかった。
聞けば泉殿は、継直軍の中では決して高位というわけではないという。
だが、配下の命と己の命を天秤にかけ、己の命を差し出してきた。ためらうことなく。
こんな話、継直陣営では聞いたことがない。
いや、ほぼ他に聞いたことがない。
応えない訳にはいかなかった。応えてやりたいと心から思わされた。
おそらく、信吾も同様だったのではないだろうか。
彼も、泉殿に対し最大限の敬意を示した。
穏やかな顔をした泉殿は、静かに畳の上に着座した。
そして、十文字と告げた。
信吾はしかと見届け、その首を皮一枚残して斬った。
すべてが……本当にすべてが見事だった。
この後、役目の者に最上の礼を尽くすよう命じた。
無礼は決して許さない。きちんと供養するように、と。
ひときわ強い風が吹く。枯葉が空に舞い上がった。
目を細めて見上げると、ヒラリヒラリと踊って落ちる。昇る魂に手を振るかのように。
すべてが終わった。
そう感じずにはいられなかった。
だが、感傷に浸っている時間はない。
今の一刻一刻は、すべてが明日への分岐路だから。
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