第二百十二話 神楽忍軍 でござる
「よしっ。なんとか主導権を取り戻せたかな?」
矢がビュンビュン飛んできて、いくつもの石が崖の上から投げ落とされる中、俺たちから一定の距離をとって待機している敵槍隊を見る。すると、視界の端で微かに動く物があった。
はっきりとは見えない。でも道の両脇にある林の中で、確かに何かが動いている。
俺はじっとそちらを観察した。すると、ふとした拍子にその姿を目で捕らえる事が出来た。
焦げ茶色の覆面と装束を纏った者たちだった。気配の数は、目で捉えられる数よりもずっと多い。
……なんというベタな。
俺は状況を無視して思わず感動してしまった。
だが仕方ないだろう。あんなザ・ニンジャ的な忍者を、リアルで見る事になるなどとは考えた事すらなかったのだから。ああいうのは、基本映画村か忍者村にしかいないもんだと思っていた。
忍者装束という奴は、俺たちが忍者というものに持つイメージ程に日常的には使われていなかったとネットで読んだ記憶がある。
その時、そりゃあそうだろうと思ったものだ。
草など庶民に紛れるタイプの忍びがあんな格好をしていたら怪しさ爆発だし、あの槍兵たちのような傭兵タイプの装備としてはあり得ないくらいに貧弱だ。鎖帷子に忍び装束を纏って、手裏剣や忍刀、鎌で武装したくらいでは、集団戦では下手したら足軽隊にすら負けるかも知れない。
やはりあのタイプは、偵察、工作でこそ生きる。
チラチラと姿が見え隠れする忍び装束の忍者たちを眺めながら、そんな事を思っていると、
「だーッ。神森サマッ、ぼうっとしてんじゃねぇっ!」
太助が叫びながら、再び俺に向かって飛んできた矢を打ち落とした。
「…………ッ、ちぃっ!」
「せいッ」
吉次は槍で、八雲は刀で、やはり落としてくれている。どうやら俺は、かなり上等な的らしい。神楽の皆さんに大人気だった。
それにしてもである。
皆、かなり腕を上げている。俺が見ても、それがはっきりと分かった。
だがこいつらも、いつまでもは保たないだろう。太助の言う通り、ぼうっとしている暇などない。
「そうだな。俺たちも移動する」
俺は先にやった足軽隊があらかた炎のトンネルの中に突っ込んだのを見て、そう宣言した。そろそろ俺たちも引き時だった。
「「「「ハッ!」」」」
周りの朱雀隊の者たちは、俺のその言葉に応えてくる。
俺は馬に指示を出し、足軽隊を追って炎のトンネル目掛けて駆け出した。それに太助ら三人も続き、その後ろから朱雀隊の面々も迷いなく付いてくる。
流石に精鋭部隊の面子だった。見事に統制のとれた動きである。
俺は炎のトンネルを駆け抜けながら、ちらりと燃える林の様子を見る。炎の熱で雪が溶かされ、その様子がはっきりと見て取れた。
やはり木に細工がしてあった。あちこちの枝に枯れ枝や藁が巻き付けられている。下生えの中にも同様のものがあちこちに置かれており、激しく燃えているのはこれらだった。多分油紙かなんかで防水してあったのだろう。非常に勢いよく燃えていた。
だから、生えている木が丸ごと燃えるような山火事とは異なり、こうして駆け抜けていても見た目ほどには熱くない。まあ、あくまでも見た目ほどには、ではあるが。
山道に沿って風が吹いているのもツイていた。おかげで炎が道に沿って平行に流れてくれているし、息苦しさを感じる事もない。
とは言え、火の粉は勿論の事、時折炎に包まれた枝なども落ちてくる。とても安全とは言えない状態であるのは変わりなかった。
俺も、太助らも、そして朱雀隊の者たちも、皆がこの危険な状況を脱する為に全力で馬を走らせる。
突然駆けだした俺たちを見て、少し距離をとって待機していた神楽の者たちはざわめいた。
「逃がしてはならぬっ。追え。追うのだっ!」
そんな声が後ろから聞こえてきた。
それにしても鎧を纏った忍びか……。
あのいかにもな忍び装束を纏った忍びにも驚かされたが、鎧を纏い槍を持った忍びにも驚かされた。
確かに顔は覆面……というか口元を布で隠した兜をかぶってはいる。が、それ以外には忍びらしい所は皆無だった。帷子に何枚もの鉄板を張り付けたような鎧など、一般的な胴丸鎧とは異なる物を身につけていたりはするが、どう見ても普通に歩兵だった。馬に跨がっている者も少数ながらいた。そいつらは部隊というよりも指揮者格だったとは思うが、いずれにしても所謂忍者のイメージからはかけ離れていた。
俺が元いた世界の忍者にもこういう者たちはかなりいたらしいし、その見た目どおりに傭兵として働いていたという話だが、こうしてその現物に出くわすと、やはりなんか違う感がすごい。ネットでこの事実を知った時にも『えーっ』って思ったものだが、それ以上だ。
世界が違うし多少は異なる部分もあるだろうが、この神楽の忍びというのも、そういう存在なのかもしれない。いかにもな忍びもいるが、こういう兵みたいなのもいる。そういう事なのだろう。
俺は、それを強く意識して戦う必要性があるだろう。忍者のイメージ引っ張られすぎると、下手を打つ可能性がある。
気をつけよう。
そう自分を戒めた。
炎のトンネルは五十メートルほど。
馬で駆ければほんの数秒の距離だが、その間の木の一本一本に細工をするのはさぞ大変だったに違いない。つまりこの罠は、俺たちの出陣を見届けてから作られたものではなく、あらかじめ用意されていた物だという事である。
炎のトンネルを潜り抜けると、すぐに与平ら弓隊の姿が見えた。与平自身が先頭に立って、何かを叫びながらこちらに手を振っている。
ただ、残念ながら木々が燃える音やら馬蹄が地面を叩く音やらで紛れてしまい、奴が何を言っているかまでは聞きとれない。
でも、何を言っているのかはなんとなく分かった。
”そのまま駆け抜けて下さい”
おそらくはそう言っていると思う。
矢を番えた状態で、与平の後ろには弓隊が並んでいた。
ただし今は、真ん中で二つに分れている。道の真ん中を、大きく開けて待っていた。
与平は追っ手に備えてくれていたのである。それは、すぐに理解できた。
よしっ、ならば……。
「お前ら、手綱を緩めるなよっ! このまま駆け抜ける。俺に続けっ! 弓隊と前後入れ替わるぞっ!」
俺は叫びながら、馬に速度を上げるように指示を出した。
「「「「はっ!」」」」
朱雀隊の兵たちもそれに続く。
与平や奴の弓隊の前を、俺たちは全力で駆け抜けていった。
するとすぐに、
「隊列整えっ! ――――前列から放つぞっ。構えろっ。放てっ!!」
と思った通りの指示を出す与平の声が、背中から聞こえてきた。