第二百十話 誘引計 でござる
その後、この事態を何とかするべく二人と話し合った。朽木を狙うにあたり、その道中にある忍びの里とその部隊という物騒なものを放置する訳にもいかず、何とかしなくてはいけない。しかし、どう何とかすればいいのかが問題だった。
今回は事前に情報を集める事もできない。
残念ながら、どう考えてもそういった事は相手の方が上手だからだ。
いつも偵察や工作に使っている者たちは、俺が伝七郎らと行動を共にするようになったあの撤退戦以降、ずっとそういった仕事をしてくれている。皆、とても優秀だ。
しかし、今回ばかりは相手が悪すぎた。相手は本職である。いくら優秀な者たちだとはいえ、一年ほど仕事に従事しただけの付け焼き刃の素人では、やり合うには荷が重すぎる相手だった。
この者たちは、今後設ける予定の情報機関の礎となる者たちである。ほぼ勝てないと分かっている相手に、一か八かでぶつけて失いたくなどなかった。
三人で雁首ならべて、ああだこうだと色々意見を言い合う。しかし、有効な手立てを捻出する事は結局出来なかった。
だから、仕方がないので本隊をぶつける事にする。ちまちまと力を出し惜しみしても無駄に兵を失うだけだという判断だった。芸のない話ではあるが、小細工で相手の方が上ならば腕力に任せて殴り倒そうと決めたのだ。
とは言え、腕力と言うにはこちらの兵力も少々心許ない。
兵数的にはこちらが大きく勝ってはいる。しかし、『戦力』としてはどれほど勝っているかはまた別の話なのだ。罠などに関しても人を偵察にやれないから、すべて現地対応になる。
軍師としては頭を抱えたくなる状況だった。しかし、それでもやるしかなかった。
「ニンニン、ニニン、ニンニニン」
どこまで行っても変わらぬ真っ白な雪景色の中で、俺は馬の背に揺られながらやけくそ気味に歌う。
「なんだ、それ?」
太助の奴が、少しあきれた様子で尋ねてきた。
いつもなら真っ先に突っ込みを入れてくる与平は、隊列の先頭で指揮を執っている。いま俺たちは、朱雀隊、白虎隊、兵六百を引き連れて、神楽の里を目指して山道を行軍している真っ最中だった。俺は長い隊列の真ん中あたりに陣取り、周りは太助、吉次、八雲の面々の他にも朱雀隊の面々が固めてくれている。
「あん? 忍者と言ったらニンニンだろうが」
「はあ?」
真顔で答える俺に、太助はどう反応をして良いのか分からないといった顔をした。
ニンニン――つまり、忍、忍。今回の敵はいつもとは違う。とにかく耐え忍び、反撃の糸口を見つけて躊躇う事なくそこを突いてくる。こちらの世界の話といえども、その思考は武士たちのそれとは違うだろう。馬鹿正直に戦ってくれるとは、とても思えない。罠奇襲なんでもござれだった事からも、それは窺い知れる。
今回の戦において俺は、その事を一時たりとも忘れてはならない。なぜなら、それは即敗北に直結するからだ。影に生き影に死すとまで表現された集団が相手なのである。どんなえげつない事でもやってくるだろう。
「ま、気にするな。お前たちは、今まで以上に仕事に励んでくれれば良い。ただし、『そんな事がある訳ない』――これは禁止だ。今回の相手はそれをやってくる。そう思って気を張ってくれ」
「はあ」
俺の言葉に、分かったような分かっていないような顔をする太助。
「今回は特別な戦いだって事だよ」
俺は、なるべく重い口調にならないように気をつけながらそう言った。
「要は、武様が相手みたいなもんだって事でしょう?」
俺と太助のそんな話を聞いていた吉次が意外に鋭い、しかし身も蓋もない言い方で尋ねてきた。
「まあ、そういう事になるだろうね」
八雲の奴までもが少し意地の悪い笑みを浮かべながら、そんな吉次の発言に同調する。
「お前らね……まあ、否定は出来ないけどさ。兎に角そういう事。隙を突く為に、あの手この手で来るって部分に関しては、確かに俺に通ずるものがあるだろうよ。だから、そんな俺がそういうのを相手にするのに有効な対策を語ってるんよ。相手の思惑に乗らない――これに尽きる。その為には、いつも以上に冷静である事を心がけてくれ」
俺がそう言うと、太助たち三人だけでなく周りの朱雀隊の者たちも承知しましたとばかりに黙礼を返してきた。
「駄目ですっ。火を放たれました! 退路にも敵。囲まれていますっ!」
八雲が叫ぶ。
左には崖。右は森。山肌の細い道を長くなって進んでいた俺たちに、今度は火の手が立ち塞がった。後ろからも槍隊が圧力をかけてくる。
神楽の者たちの襲撃だった。この細い道に入ってから、すでに三度目である。
ちぃっ。息をつく暇もねぇ。
つい先ほど落石計でスリルを味わってから、まだ十五分も経っていない筈だ。『分かったから、お前らとりあえず落ち着け』と叫びたい気持ちで一杯だった。まさに次々といった感じで襲いかかってくる。
隊列の先頭を行く与平も頑張ってくれているようだが、こちらの足は止められていた。その為、隊列が縮まりつつある。
チッ。
それを見て、俺は思わず舌を打ってしまった。ピンと来たからだ。
早く次のアクションを起こさないと非常にまずかった。多分、この次の攻撃が奴らの本命だろう。
「伝令っ!」
俺は大声で呼ぶ。
「はっ!」
「与平の所へ走れ。そして、このまま火の中へと進軍しろと伝えろ。なるべく火勢の弱い所を選んで突っ込めと」
「は? い、いや、しかし……」
目の前に跪いた伝令の男だけでなく、太助ら三人も、その周りの朱雀隊の者たちも驚き目を丸くする。
「いいから走れ! そして、そのまま伝えろ。今は時間がない。与平にも俺を信じろと伝えるんだ。急げっ!」
「は、はっ!」
伝令の男は、俺の迷いのない言葉に考える事をやめて走ってくれた。
そんな男の背中を見ながら太助が聞いてくる。
「いや、まあ、神森サマのいう事だし、大概の事では驚かないつもりだったけど……本当にあっちでいいのか?」
そう言いながら、太助は前方の火の手が上がった方を指さした。
顔は真剣だった。おそらくは、俺が気でも狂ったのではないのかと、それを確かめているのだ。
「転進して、迫るあの槍部隊に突っ込んではまずいのですか?」
八雲もそう尋ねてくる。
二人だけではない。吉次も、周りの朱雀隊の隊員たちも、俺の次の言葉を待って、こちらを振り向いていた。
俺はそんな彼らを見回し、一つ小さく頷いて見せる。
「考えてみるんだ、八雲。奴らよりも、こちらの方が圧倒的に兵数は多いんだぞ? いくらこんな細道だといっても、正面から俺たちを抑えこめるなんて奴らも考えてはいない。だから、後ろに迫っている槍部隊は俺たちを釣る為の餌だよ」
「餌?」
「ああ……。奴らは俺たちに、右の森か、自分たちのいる後ろに向かってきて欲しいのさ」
俺はまず右の森の中を指さし、次に親指で後ろを指す。
「後ろに向かってみろ。十中八九は、もう一度岩が降ってくるぞ。それに、わざわざ今ここで仕掛けてきた以上、おそらくはこの横の森の中も罠が山盛りだ。多少の被害がでても、このまま火が放たれた方へと突っ込んでいくのが正解の筈」
そう言いながら、俺は確認するように周囲の景色を見回した。『雪景色』だった。
これだけ雪が降り積もっていて山の木々は燃えるだろうか。燃える訳がない。
つまり、前方の炎は見せかけのハッタリである。確かに派手に燃えてはいるが、それは神楽の者たちがあらかじめ用意した乾燥させた木々なり藁なりの筈だった。
落ち着いてじっくりと見れば、それは分かるだろう。しかし後ろから追っ手が迫り、進む道の先にいきなり火の手が上がれば、それはなかなか難しい。
忍びらしい、人の心理を突いたやり方だった。しかも、他の罠と合わせて有効に使ってきている。やはり、今までの相手とはやり方が違う。
俺の言葉に八雲は口をぱくぱくとさせていた。言葉を失っているようだ。
そして、その時だった。
「ひぎゃああ」
「ひ、ひぃっ」
バサバサとかドガンとかいう音とともに、右の森の中から悲鳴とも断末魔とも言えぬ声が幾つか聞こえてきたのである。
おそらくは、田島で加えた新兵あたりが恐怖に負けて走ってしまったのだ。
あまり嬉しくはないが、その事によって俺の推測が正しかったと証明された。
「な、なるほど……」
八雲は顔を引きつらせ、冷や汗を流している。それは太助や吉次、そして、すでにいくつもの修羅場を共にくぐってきた朱雀隊の兵たちも同様だった。
誰のものかは分からないが、「ゴクリ……」と生唾を飲む音がやけに大きく聞こえてきた。