第二百八話 問題は続くよどこまでも でござる
兵を調練し田島の町の様子を見る――ここのところ、毎日そんな日々を送っている。
与平や太助らの話を聞いている限り、調練の進行具合は順調のようだ。
始めこそ、金崎にいた時との差に新兵たちは大いに戸惑いをみせたようだが、与平らは一切の甘えを許さず、びっしりと追い立てまくったらしい。話に聞いている限りでは、『どこの軍曹さんですか?』と聞いてみたくなる程の罵声飛び交う過激な軍事教練だったようだ。しかし、その洗脳……いや成果は、わずか五日ほどで出始めたとの事だった。与平の奴が、『ようやくシャッキリしてきた』と笑っていたのを覚えている。俺は、「お、おう。程ほどにな」と言うだけで精一杯だった。
一通り基礎を叩き込んだ後は、藤ヶ崎から連れてきた兵たちと合流させ、同様に扱っているとの事である。そのおかげで、連携も少しずつとれ始めてきているとの事だった。まだまだ至らぬ点は多いが、そう遠くなく水島の兵と呼べるところまでは届くだろうと、与平の奴は満足そうに言っていた。
八雲には、主に町の見回りを担当してもらっている朱雀隊、白虎隊からの報告のとりまとめをやってもらった。
その結果は、「何事もなく、至って静かなようです」だそうだ。八雲も首をかしげながら、そう報告してきた。
八雲も感じているように、その内容は問題ありありだった。
当初は、『反骨精神旺盛すぎるよりはマシ。きちんと治めてやれば、活力を取り戻すだろう』などと思っていた。しかし時間が過ぎていく程、病巣の深さを感じさせられずにはいられない。
あまりにも静かすぎるのだ。問題らしい問題が何も起こっていないのが問題なのである。
本来ならば、占領後は某か騒ぎの一つくらいは起こるのが正常というものである。だが、その気配がまったくない。俺たちが町に入ってそろそろ半月ぐらいにはなるが、八雲からの報告通りに静かすぎた。民は不気味なぐらいに従順だった。
確かに、占領下の民が従順なのは悪い事ではない。良い事だ。
だが……。
町に入ってすぐに会った町長を始め、町の者たちの澱んだ死人のような目が脳裏に甦り、その事を素直に喜べないでいる。彼らはどう見ても、健全とは呼べない目つきをしていた。長は俺と話しているうちに少し感情を見せてくれたが、どうやら一部の者たちの問題ではなさそうだった。参考になる話が聞けたなどと喜んでいる場合ではなかったのだ。
このままでは、色々と支障が出てくるだろう。
今のままこの町を治めても、統治ではなく奴隷牧場の運営になってしまう公算が高い。統治領の健全なる発展などはとても見込めそうにない。
とは言え、彼らを責める事も出来ない。あんな目をしている理由は容易に想像がつく。
前向きに努力をする気も、苛烈な境遇に逆らう気も起きぬ程に、金崎惟春によって搾取され続けたせいだ。生きてはいるが、気力を根こそぎ刈り取られている。
話に聞いているような酷い領地運営をしていたら、そうなっていても何も不思議はない。感情的には嫌悪感が半端ないが、それも一つの方法ではあるのだから。
だから、そういうやり方を本当に惟春がしていたとしても、考え方次第ではありとも言えなくないのだ。中途半端だと一揆などが頻発して統治どころではなくなるが、きっちり民を追い詰めておけば、統治者の命令通りに意思のないロボットが最低限の生産性を保証してくれる。
そしてこの予想の正しさは、金崎領内で起こる一揆の数が意外にも少ない事が裏付けてくれている。多分惟春は、民らが決死の思いで起こした数少ない悲壮な一揆にも、顧みる事なく苛烈な対応で鎮圧し続けた筈だ。
つまり金崎領内は、恐怖政治によって治まっている状態なのである。
そして、その事が俺を悩ませた。
このまま同じ方針で治める訳にはいかない。それは大前提だ。上を見るならば、このやり方では不味すぎる。
このやり方は限界点が低いし、すぐに行き詰まる。かと言って、長い時間をかけて意識の改善を行い、いざ改善の兆しが見えても、今度は今までの反動が出てくる。人の欲は際限がないから、解放されたそのままの勢いで、こちらが安定させたい目標ラインを簡単に突き抜けいってしまうのである。調節が難しいのだ。
まったくもって、非常にやっかいな状態だった。
しかも、これから手に入る金崎領が全部この状態だと思われる。頭を抱えずにはいられなかった。あの男の領土を奪うのだから、その土地は全部この状態だと考えておくべきだった。とりあえず、惟春の馬鹿野郎を思いっきりぶん殴ってやりたい。
しかし、いずれにせよ何とかしないといけない。
このままでは、民の持つポテンシャルをフルに生かす事が出来ない。現状のままでは、最低水準の生産性を確保できるだけで、それ以上は望めない。それはあまりにも、旨くない話である。惟春や継直を倒した後の事を考えると、それは許容できなかった。だから、未来に向けての話をするならば、この問題の解決は避けては通れないのである。
とはいえ、こんな話には特効薬みたいな都合の良い物がある訳もなく、民に舐められないように適度に圧力を加えながらも善政を敷き、少しずつ民の信頼を取り戻していくという正攻法をとるしかない。どう考えても先の長い話となる。心の治療が必要なのだ。それ以外に有効な手段などないだろう。あの分では、少々の施しをしようが、何を語って聞かせようが、焼け石に水程度にも効果がないに違いない。
そんな訳で、田島の町の現状を思うと非常に悩ましく、知らず知らずのうちに溜息が漏れる訳である。
そしてそういう時にこそ、えてして更なる頭痛の種がやってくるものなのだ。
自分の部屋で田島の町の現状を憂い、ウンウンと唸っていた所、使いの者がやってきて会議室に来てほしいと言われた。
そして行ってみれば、そこには与平と八雲がすでにいて、俺の到着を待っていた。
会議室は何も物が置かれていない板の間だが、奥の上座に向かうようにして、二人は並んで座っていた。そして、その前にはすでに地図が広げられている。
俺はその上座に座って、二人と向き合い尋ねた。
「何か問題でも起きたか?」
すると、与平が答えた。
「とある里の制圧に失敗し続けています」
「は?」
「いや。ですから、里の制圧に失敗し続けています」
「里……だよな?」
「紛う事なく山里です」
流石に、これはちょっと想定していなかった。問題が起こるにしても、もっと別の事だと思っていた。
現状俺たちは、田島の町の見回りと新兵の訓練しか出来ていない。だから五十人の兵を百人組の組長に率いさせて、ここ田島の町を中心に周囲にある山里を制圧するように命じていた。少しでも時間を無駄にしないようにする為だった。
制圧対象は所詮山里。金崎軍の駐屯も派兵も確認されていない以上、俺は制圧に十分な兵力を送ったつもりでいた。だから、制圧に失敗するなんて思ってもいなかった。だから、与平のこの報告はあまりにも意外すぎたのだ。
町で住人たちの大規模な抵抗に遭ってとかなら分からないでもないが、なんでうちの兵が山里一つ落とせないんだ?
与平の顔を改めてまじまじと見つめてみるが、まったく巫山戯ている様子はない。その横にいる八雲ともども、大真面目であり、苦虫を噛みつぶしたかのような渋い顔でこちらを見ている。
「また、なんで? 他の里の制圧はどうなっている?」
「他の里は、特に問題はありません。敵兵とぶつかる事もなく、前情報の通り円滑に併合が進んでますよ」
そうだろう。普通は、そうなる筈なんだよ。
「一体どこよ?」
俺は腰を上げ、二人の目の前まで近づき、再度腰を下ろす。そして、目の前に広げられている地図に目を落とした。
「ここです」
すると与平の代わりに、八雲が前のめりになって地図のとある場所を指さした。与平は、その間に懐から畳んだ何枚かの紙を取り出し開いて、説明し始めた。