第二百七話 田島の町に入って でござる
田島の町にいた金崎軍を破り、その大半を吸収する事になった俺たちは、町に一旦腰を下ろす事にした。吸収したばかりの新兵たちに、最低限の調練を施す事にしたのだ。
そして、それと同時に併呑したばかりの町の安定にも努める。
民も統治者が変わって不安があるだろうし、俺たちを迎える事を良しとしない者たちが不穏当な行動を起こす可能性もある。そういった事態を避けるべく、治安維持活動にも力を入れる事にしたのだ。どうせ足を止めるなら、このあたりはきちんと押さえておきたかった。
田島の町は、朽木と並んで林業の盛んな町である。その他にも、蕎麦の栽培でも、かなり名前が通っているらしい。
ここら辺りでは秋頃には収穫を終えるらしく、すでに景観からでは蕎麦の町という事は分からない状態だが、土が蕎麦栽培に合っているようである。時期に合わせてやってくれば、白く可憐な蕎麦の花の絨毯と、その姿にふさわしくない独特な臭い……いわゆる○ンコ臭に出迎えられるという話だった。
田島における蕎麦の生産の歴史は、もうずいぶんと長いらしい。
金崎軍を打ち破った俺たちは、そんな田島の町に、つい数刻前に入ったところだった。むろん勝利者として、堂々と町の正面から入った。
田島の民を多少なりとも刺激してしまうのは間違いないが、支配者は誰か――それをはっきりとさせておく事は統治の基本である。戦で土地を奪い合う現状では、これを避けて通る事は出来ない。
すでに二水、三沢、須郷など、いくらかの町や里を落とした事がある。それだけに併呑後の処理の経験はすでに俺にもあったが、直後の現場に身を置くのは今回が初めてだった。前の時は、次郎右衛門や、源太、与平らが現場に出向いてくれていたので、俺は藤ヶ崎で報告を受けていただけだったのだ。
だから、少々緊張していた。
しかし、思っていた反応はなかった。
前の統治者がしっかりと治めていた場合、そこを力尽くで落とせば民の反発は必至である。
金崎惟春の治めていた土地だけに、『しっかりと治めていたら』などという仮定自体、意味がないかもしれないが、それでももう少し某かあると考えていたのだ。
だが、それもなかったのである。
この町の長に会った時も、彼はまるで他人事のように、この状況を受け止めていた。支配する者など誰に変わっても同じ――とでも言うように。
おそらくは惟春の治政が酷すぎたせいだろう。
完全に、目が死んでいた。愛想笑いを浮かべながら、何もかもを諦めたかのような目をしていたのが、非常に印象的だった。
正直、これは由々しき事態だった。確かに、予想していたような民らの抵抗はなかった。しかし、それ以上にこれは厄介な事態であった。
反骨精神旺盛すぎても確かに困る訳だが、手放しで喜べるような状態とはとても言えない。
日にち薬でなんとかなるとは思いたいが……。
なんにせよ、自力で活力を取り戻す事を期待するしかない。多分、こちらから何を言っても響かないだろう。本人が生きる事に希望を思ってくれなければ、どうにもならないのだ。
なんとか、ここにいる間に地ならしだけでも終えておきたい所である。あとは伝七郎の出番だろう。
だから今のところは、俺は俺の仕事に集中する事にしたのである。
田島の町の長との会見中、俺はこの町の事などを色々と聞いた。そうしたら、長はにわかに驚き、まじまじと俺の顔を見つめていた。そして、その後少し遠慮気味ではあったものの町の苦境を語ってくれた。
蕎麦が特産の土地だけあって、土地自体はあまり豊かではないらしい。
確かに土の良い土地でも蕎麦は育つが、飽食からほど遠いこの世界で、他の作物――例えば米などが育つ土地で蕎麦を育てるという事はないだろう。俺は蕎麦で有名と聞いた時、その事はある程度予想できていた。だから、長のこの言葉に素直に頷いてやる事が出来た。
すると長は、目を潤ませながら、あれもこれもと話し出す。金崎惟春は、いや金崎家は、これまでこんな話を聞いてくれる事はなかったのだと言った。
その全部をすぐに解決してやる事は出来ないが、それでもこれからの統治に向けて参考になる話が聞けた事は、俺たちにとっても大いに収穫だった。長にとっても、新たに統治者となった水島家の重臣に話をする機会を得たというのは、価値があったのではないかと思う。
そしてその後、俺たちは長と別れ、金崎の兵が駐屯していた館と兵舎に移動した。そこを、そっくりそのままいただく事にしたのだ。そして、急いで体勢を整え直す事にする。
本来ならば、民も大人しいし、これ幸いと先を急ぎたいところではあった。
しかし、初戦でまさかの兵数百パーセント増量である。それもやむなしだった。敵を吸収しつつの進撃を考えていた俺でも、この事態は流石に想定していなかったのだ。
水島の兵は、俺のせいでこの世界的においては一風変わった戦い方を求められる。その為、どうしても最低限の教練を施さないと、使い物にならないのだ。富山からの撤退戦など、今までにもぶっつけでやってきた経験はあるものの、あんな綱渡りを続けていたらいつか致命傷を負うだろう。今までが大丈夫だったから次も大丈夫と考えるのは、一番危険なのだ。今まで大丈夫だった幸運に感謝し、次は運ではなく万全の準備で乗り越える事こそが肝要なのである。
その為の最低限の調練を、新兵たちに課す事に決めたのである。ここで時間を割いてでも、それを施す価値はあるのだ。
そして、その期間を一ヶ月と俺は決めた。
といっても、一ヶ月もの間、何もせずにここで足止めを食う訳にもいかない。こうしている今も、継直は着々と津田領を取り込んでいっている筈である。
だからその間に、すでに調練の終わっている部隊を使って、ここ田島の町から朽木の町の間にあるいくつかの里をこちらの支配下に置くというプランに変更した。俺や与平は動けないから、朱雀、白虎の精鋭部隊二部隊は動けない。それはもったいない話ではあるが、やむを得なかった。だから彼らには、調練の手伝いや、町の見回りなどを精力的にやってもらうつもりだ。
なかなか、あれもこれもは思うようにならない。ままならないものである。
「ご指示通りに、藤ヶ崎の永倉様と、北路の佐々木様に向けて、しばらく田島の町にとどまる旨をしたためた書状を送っておきました」
「ああ、八雲か。有り難う。流石にこれは想定していなかったわ……。まさか、こんな事態になるとはな。ど初っ端からこんなに新兵が増えたら、従来の兵たちも補助しきれないよ。約半数が未調練って計算になっちまうからな。今のままでは、とてもじゃないが軍としては動けない」
「いやあ、大勝して困る事もあるんですねぇ。神森様の下にいると、本当に勉強になります」
八雲の奴は、そう言ってクスリと笑った。眉を八の字にしながら。
「おうおう。せめて、しっかり勉強してくれい。そうしてくれれば、この間抜けな事態にも多少は価値を見いだせる。あは、あはは、は……」
俺はやけくそ気味に、無理矢理高笑いをしてみせた。というか、そうでもしなくてはやっていられなかった。
「それで、太助や吉次はいま何やってんの?」
馬鹿みたく笑って見せた後、俺は気持ちを入れかえて尋ねる。
「与平さんと一緒に、調練の方を担当していますよ。今はちょうど、朱雀隊の皆さんと白虎隊の皆さんが町の見回りに出ていますので、『手伝え』と引っ張っていかれました」
「お前、よく無事だったな」
「あはは。私は先ほど報告した書状を送る為の準備をしたり、部隊への物資の補給をしたりと、はっきり忙しい所をみせていましたからね。さすがの与平さんも、お目こぼししてくれたようです」
「策士だな」
「高名な鳳雛様にそう言っていただけるとは、光栄です」
八雲はそう言うと、ニヤリと含みのある笑みを浮かべながら俺に一礼してみせた。しかし、すぐに真顔に戻る。
「ああ、そうそう。忘れるところでした」
「ん?」
「この町で手に入った塩に関してです」
「ああ。どのくらいあった?」
「八百貫(三トン)ってところですかね。でもまあ、四千人ほどの町にしてはかなり手に入った方かと。やはり、国境で荷を止められていたようですね。溜まっていたみたいです。この分だと朽木も……」
「おそらくはな。あっちの方が町の規模もはるかに大きいし、何より物流においては、あちら経由からうちに入るのが主流だからな。あそこを落とせれば、間違いなく相当量手に入るだろう」
俺は八雲にそう答えながら、
(これは、本当に掘り出し物だったなあ……)
などと考えていた。
太助自身、思った以上に高い資質を持っていて、迎え入れられてラッキーと思っていたのだが、一緒にくっついてきた吉次や、この八雲もなかなかに侮れなかったのである。
吉次は、太助と同じ肉体派だ。だが、この八雲は、学こそないが間違いなく頭脳派だった。
以前、伝七郎と話していた時にも思った事だが、やはりこちらの人間は教育レベルが低いだけで、知能は決して低くない。風習の違いや、文化の未成熟などといった要素が混ぜ合わさって、ぱっと見では人としての質が劣るようにも見えるが、決してそんな事はないのである。資質においては、決して見劣ってなどいない。
たとえば、この八雲のように。
頭の才は、肉体の才ほどにはっきりと分かりやすいものではない。それでも俺がそう感じる程度には、すでに片鱗がうかがえた。
まだ在野には、沢山の才能が眠っている事だろう。
その事を改めて確信できた事が、何よりも大きな収穫であった。
この世界は、また血に縛られている。
だが本物の玉は、磨かれていない状態で路傍の石に混ざって転がっている。それらを見つけ出し、きちんと磨いてやれば、今後の水島にとってこの上ない力となってくれるだろう。たとえば、こいつら三人のように。
金崎を破り継直との決戦に勝利すれば、俺たちは領土と民を手に入れられる。その時に、この事実は俺たちを助けてくれる筈だ。
領土、民、人材と手に入れられれば、水島はいよいよ盤石となっていく。未来は大きく、そして明るく開けるだろう。
そう思うと、気力も漲ってきた。自然と笑みも漏れる。
そんな俺を、八雲は何かおかしな物でも見るような目で見つめていた。