幕 伝七郎(四) 三沢大橋の戦い その三
波間で暴れている者もいれば、苦しそうに身もだえながら川底へと沈んでいく者もいる。そして武殿も言っていたように、味方……と言えるのかどうかは分からないが――自分の陣のある方の岸に向けてなんとか泳ぎ着こうとする者も、また当然のようにいた。
「源太っ!」
「はっ! 弓隊は川岸に二列に並べ。いいか、川の半ばより向こうを狙う。手前は決して撃つなっ。逃げようとする者だけを集中的に撃て。決して逃がすなよっ」
「「「はっ」」」
弓隊の者らは、源太の命令に従って迅速に動きながら返事をする。ゆっくり五つ手を打つ間には、こちらの川岸には二列横隊で弓隊が並んでいた。橋の落ちた位置より少し川下あたりから、正面に『的』のすべてが収まるように並んでいる。
「前列構え! 放てッ!!」
源太のかけ声が響き渡る。
兵たちも躊躇いなく、その指示に従った。
ビビュンッ。
矢は弧を描き飛んでいく。そして、速い流れの中を必死で泳いで対岸に向かっていた敵兵たちの背に、そのうちのいくらかが当たった。
「次、後列構え! 放てッ!!」
再び響き渡る源太の声。今回も、先程と同じくらいの数の敵兵を黄泉路へと旅立たせた。
そしてその頃には、先に射った前列の兵たちは矢筒から次の矢を取り出し番え、再度かかるであろう源太の指示を待っている。
「次、前列――――」
源太のかけ声は、そのまま何度も繰り返されていく。その度に、哀れな敵兵の命は一方的に奪われていった。
川の水の冷たさのせいか、それとも恐怖のせいか。
こちらに向かって泳ぎ始めた者らは、仲間が次々と弓矢で射殺されるのを引きつった顔で、ただ無言のまま眺めていた。橋と共に川に落ちてすぐは、突然の出来事に悲鳴を上げたり怒号を上げたりしていたものだが、私たちのあまりに容赦のない行動に呆然としている。
だが冬の川の水は、私たち以上に残忍だ。
そんな彼らにも死を与えていく。
川の流れの中に消えていく者が出始めていた。動きを止めてしまったわずかな時間で、川に落ちた敵兵たちの体を強烈に冷やし、動けなくしていったのだ。それに気づいた者たちは、一刻も早く外に出る為に再び泳ぎ始めた。だが、時間の経過と共に、どんどんと沈んでいく。
「さて、お前らに尋ねよう。まだ生きていたいか?」
幸運にも生きてこちらの岸にたどり着いた者たちに、私は水の上から澄まし顔で尋ねる。ひどく酷薄に。
冷たい水の中から外に出られない金崎の兵たちは、ガチガチと歯を鳴らしながら、そんな私の言葉を黙って聞いていた。おそらく、もう話す事も出来ないのだろう。どの者の唇も、当然のように紫色に変わっていた。
答えはない。出来ないのだから。代わりに、カチカチと打ち鳴らす歯の音が聞こえてくる。
彼らは、こちらを見てすらいなかった。私の声は当然聞こえているだろう。しかし、その視線はあきらかに私を越えて、更に後方を見ている。
彼らが見ている物は――――
橋が落ちてすぐに用意させた焚き火だ。パチパチと音を立てながら暖かく燃えている。その炎に、彼らの目は釘付けだった。
川縁にいくつも並ぶ焚き火。
冷たい水の中で、手足の感覚もとうに失っているに違いない。そんな彼らにとって、今これ以上に魅力的に見える物など他に何もないだろう。
そして私は、その事を十分に理解しながら、暖かい焚き火の炎を背に彼らに問いかけている。
真に業の深い事だとは思う。だが、それが私の仕事だった。
「まだ生きていたい者は、こちらに上がってくるがよい。降るならば、この火はお前らの物だ。温かい湯もある。存分に飲んで体を温めるがよかろう。その後には食事も用意しよう。私たちには、お前たちを迎える準備が出来ている。主に誓う忠義は尊いものだ。だが今のお前たちの主である金崎惟春は、お前たちの忠義に報いてくれたか。先ほど将――川島朝矩の振る舞いを見ていたが、とてもそうは見えなかったが、私の勘違いだろうか」
私の言葉に、川岸で震える兵たちの目が暗い光を点し出す。それを見て、私はなおも言葉を続ける。
「ここでお前たちが私たちに降れば、川島朝矩は決してお前たちを許さないだろう。無論、金崎惟春もだ」
さらに脅す。目の前の兵たちのカチカチとなる歯は、寒さのせいのみだろうか。
「私たちとて、裏切りは絶対に許さない。裏切る味方は、敵よりも罪深いものだからだ。だが、私はお前たちには同情する。あんな主を戴かねばならなかった不運は、私にはなかったからな。だから、選ぶがよい。お前らの忠義を土足で踏みにじる主を戴いたまま、ここで死ぬか、それとも尽くす価値のある新たな主を自ら選ぶか」
そう問いかけた。そして、止めとして一言を添える。
「そして、最後に一つだけ言わせてもらおう。私たちを金崎惟春などと一緒にはしてくれるなよ? 私たちは、忠節に応える心くらいは持ち合わせている」
本当に、えげつないやり方だ。自分でもそう思う。
今も、こうして話す私の後ろでは、源太が矢を放つべくかけ声をかけ続けている。そしてその度に、矢がビュンビュンと飛び、彼らの仲間の命を奪っていた。
実際のところ、こんなやり方をして選べも何もないだろう。
だが今回は、それが狙いだった。
武殿も、
『奴らの主は金崎惟春。あの惟春だ。惟春に対して本当の忠義の心持っている者など、ほとんどいないだろう。少なくともただの足軽などでは、まず皆無と言ってもいい筈だ。むしろ恨んでいると思う。それでも惟春が怖いから、表面上は忠誠を誓っているだろうがな。でも上辺だけだ』
と言っていた。
『だから、奴らに言い訳を用意してやれ。簡単に落ちる。その上で得を与えてやるんだ。そうすれば、奴らはお前の兵になる』
そう言いながら、私の肩を叩いた。
怖い人だ。だが今、まさにそのようになりつつあった。
まだ膝あたりまで水につかり、濡れたままの体を寒風にさらしている敵兵たちは、互いに目配せをしあっていた。ここまで言っても、やはりそれぞれがそれぞれの理由で、なかなかに一歩を踏み出せないでいる。
だがそれも、最初の一人が動き始めるまでだった。
一人が投降の意思を示すと、それに続いて次々と岸上に上がりだす。そして、腰に佩いた刀を抜いて、自主的にその場に捨て始めた。そして皆、こちらに一礼して焚き火の方へと向かっていった。
その数は、百九十七名。こちらに泳ぎ着いた全員だった。
こちらの軍は、今回の戦で百五名の死傷者を出した。そして投降者が百九十七名。差し引きで考えると、戦前よりもこちらの兵数は微増している計算となる。
はっきり言って、これは異様な結果と言えるだろう。
将である者ならば、これがどれ程の事か分かる。身をもって知っているからだ。
今回は、二千もの軍がぶつかり合ったのである。その結果としてこれというのは、他に表現できる言葉が見つからない。
もしかすると、武殿を止められる者は本当に誰もいないのかもしれない。
そう真剣に思わされた結果だった。