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姫様勘弁してよっ! ~異世界戦国奇譚~  作者: 木庭秋水
第四章
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幕 伝七郎(四) 三沢大橋の戦い その二




「ちぃっ……お前らっ! ここが踏ん張りどころぞっ! あと少し……あと少し堪えられれば、この戦必ず勝てるっ! だから踏ん張れ! 踏ん張るんだっ!」


 信吾が、兵たちを激しく鼓舞する。


 もうすでに、私たちと金崎の兵らがぶつかるその場所は、この世の地獄と化していた。両陣営とも足下には仲間の屍が敷き詰められ、その上で戦っている。双方の兵が足を踏みしめる度に、橋板が赤く濡れていくのが見える。それでも互いに手足を止める事は叶わず、ただ只管に目の前の敵の命を奪いにいく。


 すでに見慣れた光景ではある。しかし何度見ても、私たちの業の深さを感じさせられる。無論、私も同じ穴の狢だ。それどころか、この光景を作り出している張本人のうちの一人である。実際に命を奪い合っている者たちよりも、私はずっと罪深いだろう。そしてそれは、これからも変わる事はない。私が死ぬまで、このままだ。


 そんな事を考えている間にも、進路は槍衾に蓋をされ退路は仲間に塞がれた敵兵たちが、私の命による容赦の無い矢の雨を浴びて絶命していっている。


 それでも敵将川島朝矩は、いつまで経っても自分の兵たちを下げない。


 ただ只管に、兵の命を費やしながら前へ前へと押してくる。哀れな敵兵たちは、逃げ場のない橋の上で、半ば狂乱しながら、こちらに向かって突っ込んできていた。


 川島朝矩にとって、そんな彼らの命など大したものではないのだろう。


 考えただけでも、気分が悪くなる。


 が、それも当然なのかもしれない。彼は、あの金崎惟春を君とする金崎家の重臣なのだから。そんな感覚でも何も不思議はない。


 だが、死地へと送り込まれる兵たちにとっては、そうではない。一つしかない大事な命だ。それを守る為に、必死で足掻いている。


 彼らは、狂気の果てに鬼と化していた。


 後ろから槍を突きつけられている彼らは、ただただ前に前に、目を血走らせて突っ込んでくる。なんとか生き残ろうとして。


 ある者は、足下に転がる仲間の死体をわざわざ積み上げ始める。降り注ぐ矢から身を守る盾にするつもりのようだ。ある者は橋から川へと身を躍らせる。しかし味方の方へと向かう事も出来ず、かといって私たちの方へも来れず……迷っている間に冷たい水のせいで体が動かなくなり、みな仄暗い川の底へと沈んでいった。


 死にたくない、死にたくない。


 そんな敵兵の心の叫びが、私にも強烈に伝わってくる。しかし私は、なおも彼らを槍で突き殺し、矢で射殺し続けた。


 惟春や川島朝矩の事を言えない。


 こんな私も、紛う事なく鬼畜だろう。




 そろそろ二、三百人は倒しただろうか。こちらの兵たちの疲労も激しくなってきていた。


 死傷者の数も随分と増えている。それでも最前線の敵兵は、一向に減らない。倒しても倒しても、次から次へと補われてくる。


 まだかッ。


 その状況に、川上の方へと首を回す。


 焦ってどうなるものでもない事は承知していても、気が急いてならない。私は奥歯をぐっと噛みしめながら、川上を睨み続けた。


 するとかなり離れた場所に、待ちに待ったものが見えた。今はまだごま粒ほどの大きさだが、川の流れに乗ってこちらへと向かってきている。


 ようやく来たっ。


 それを確認すると、すぐに橋の上の様子を確認する。が、先程と変わりない。


 もう一時そのままでいてくれと、心の底から祈った。


 そして、その祈りは聞き届けられた。


 長さ十尺|(約三メートル)、一抱え以上の太さの丸太に二人ずつ跨がって、約百名の工作兵たちが御神川を下ってくる。長い竹の棒で川底を突きながら速い川の流れに乗って、ごま粒ほどだった姿はあっという間に大きくなっていた。


「そらぁッ。急げ、急げっ。俺らが一番乗りだっ! テメェ、しくじんじゃねぇぞッ!」


「ハッ! テメェこそ。滑って落ちたら、腹抱えて笑ってやんかんなっ!」


 年若い……というより、あと少しで成人|(十五、六歳)かと思われるような者たちの、威勢のよい怒鳴り声が聞こえてくる。


 橋の上では相も変わらず、押し合いへし合い怒号が飛び交っている。にも関わらず、これだけはっきりと聞こえてくるのは、一体どれだけの大声で叫んでいるのだろうか。


 思わずそんな事を考えてしまう程の大声だった。我が軍の士気は十分に高い。


 彼ら以外の工作兵たちも、橋の手前半分の橋杭それぞれに、丸太を操作しながら取り付いていく。


 この段まで来ると、流石に敵の中にも気づく者が現れ始めた。


 橋の上の敵兵たちは、交戦中の最前線の者以外、一体何事かといった顔で橋の欄干から身を乗り出して、その様子を眺めていた。


 橋の上に兵を送り込んでいた川島朝矩の一派もこの様子にはすでに気づいており、こちらの工作兵たちの様子を指をくわえて見ている。


 多分、こちらの意図はまだ理解できていない。


 しかし彼らは、とりあえずこちらの工作兵たちの動きを妨害しようとはしてきた。彼らの中に弓取りはいなかったらしく、足軽らに槍を投げつけさせていた。


 だが、それでどうにかなる訳がない。パラパラと何本かの槍を投げてみたところで、こちらの工作兵たちを仕留める事はかなわずに、すぐ諦めた。槍など投げ続けては勿体ないし、何より投げた者の武器がなくなり、刀で戦わねばならなくなる。この判断は賢明だったと言えるだろう。


 私は、その様子を余裕を持って眺めていた。


 ふふふ。そのまま眺めていて頂きましょうか。


 口元が微かに緩む。


 すると橋板の下から、再び先程の威勢のよい子らの大声が聞こえてきた。


「よしっ! 縄を掴んだぞ。出せっ!」


「よっしゃあっ! じゃあ行くぜぃっ。そぉいっ!」


 そんな掛け声と共に、橋の下から丸太に乗った二人の少年が出て来る。そして川の流れを利用して、そのまま川下の方へとすばやく離れていった。しかし、およそ百尺|(約三十メートル)ほど離れた所で、再び止まる。縄を持っていない方が竹竿を川底に突き刺して丸太船を固定すると、橋杭から伸びている縄を持った方は、橋の上を警戒しながら縄を丸太に空けられた穴へと通して固定した。


 他の者たちも、次々と橋の下から離れていく。そして彼ら同様に、橋から百尺の位置に移動すると、縄を手にして橋の下から出てきた者たちは、縄を自分たちが乗っている丸太に固定していった。また縄を持っていない者たちは、近くの縄を掴みに移動していく。


 その結果、一本の縄あたりに二、三組の丸太舟がつくような形となった。


 ここまで来ると、勘のよい者たちはこれから何をするのか気づき出す。橋の上も俄にざわつき出した。


 そちらに目をやれば、幾人かが慌てふためいているのが見えた。


 しかし、である。もう、すべては遅かった。


 百人の工作兵を率いる組長が、


「よぉし、引くぞぉっ。息を合わせろよっ!? そぉーれぃっ! よし、もう一度だ。そぉぉれぃぃっ!!」


 と叫ぶ。


 ほかの者たちも、その声に合わせて声を張り上げた。


「そぉれぃっ! そぉぉれぃっ!」


 引っ張った縄がクンッと張ったと思うと力なく落ちて、再び川面へと姿を消す。すると、目の前の橋がミシリミシリと鳴き始めた。


 切れ目を入れた橋桁が、細工のしてあった支え棒を失って耐えきれなくなったのだ。


 そして――――


 バキィッ! ドッシャ――――ン! バシャバシャバシャッッ!!


 凄い音を立てながら、橋の手前半分は、冷たい御神川の流れの中へと沈んでいった。おそらくは千人前後――つまり、敵のおよそ半分を巻き沿いにしながら。


 武殿が、陣をここに敷けと私に告げた最大の理由は、まさにこれだった。


 武殿は、


『これならどれだけの敵がいても、こちらの被害を最小限にして最大の戦果を出せるだろう。明日の我が兵たちには申し訳ないが、寒中水泳を頑張ってもらうといい。対岸へと逃げていく奴は、容赦なく射殺せ。あとは、矢を向けながら投降を勧めるといい。この寒さの中では、そうは保たんから意地も張れん。死ぬか降るかの二択を迫れば、金崎惟春の兵ならば、そう悩む事もなく降ってくる筈だ』


 と、そう言っていた。そしてこれは、間違いなくその通りになるだろう。


 本当に恐ろしい人だ。


 勿論、この戦果は武殿だけのものではない。この作戦に関わった皆の戦果ではある。


 信吾は、この作戦の為に連日工作兵たちと、橋への工作を夜間に進めてくれていた。


 これが今回の作戦の胆だったが故、万一にも情報が漏れることを恐れ、夜中にこっそりと作業を進めていたのだ。本当に大変だったと思う。橋杭に切れ込みを入れ、そこに縄を縛り付けた支えを、引っ張れば簡単に外れるように挟み込んでいったのである。この細工は、失敗すればその場で橋が落ちてしまいかねない為、極めて慎重に作業をする必要があった。だから匠の技を持つ者たちと相談をしながら、丁寧に丁寧に作業を進めていってくれたのだ。


 源太も、その橋の工作をしている間はその周囲を警戒してくれていたし、今日も慣れぬ弓兵を率いて十分すぎる戦いぶりを見せてくれている。


 将たちだけでない。兵たちも本当によく戦ってくれていた。


 水島の将として、これほど嬉しい事はない。


 ただそれでも、やはり武殿の知略あっての勝利である事も疑いようのない事実である。『今日の勝利は、これから続く長い戦いの初戦。それ以上でも以下でもない』と、彼ならばそんな事を言いそうではあるが、それ以上の意味もあったと私は思う。


 私たちは、決して弱小などではない。


 認めたくはないが、確かに小さくはある。が、決して弱くなどない。それを世に示す事が出来たのだから。


 その事は、今後の水島家というものを考えると、とても大きな意味があると私は思うのだ。

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