幕 伝七郎(四) 三沢大橋の戦い その一
「頑張れ、気を抜くなっ! 突破させなければ、奴らもこれ以上は何も出来はせんっ。何が何でも、この場を死守せよっ!」
信吾が叫ぶ。
信吾は槍隊を指揮していた。こちらの槍衾は、百の組が十用意されている。そして、その脇に左右三百五十ずつの予備兵を配置してあった。
信吾は、敵の勢いや兵たちの疲労具合、死傷の状況を見て、組を前後させて交換しつつ戦わせている。下がった組には予備兵から兵を補充し、次の出番に備えさせてもいる。常に状態のよい兵たちを敵にぶつけられるように工夫しているのだ。
私の指示した通りに、うまくやってくれていた。
源太も頑張ってくれている。
源太は、本来ならば専門外である弓隊を率いて戦ってくれている。今回の戦いに関しては、源太の率いる騎兵には出番がないからだ。弓隊は百の組二つで、計二百。橋の端で蓋をしている信吾の槍隊の後ろで、ちょうど『八』という字を逆さにしたような形で橋の上を狙えるように配置してある。
本来ならば、補充用の予備兵の数をもっと少なくして、少しでもこの弓隊の数を増やしたかったところだ。しかし残念ながら、これ以上の数の弓兵を用意する事はできなかった。
兵はいても、弓兵として調練が済んでいる兵は、あまり多くはないからだ。
武殿に命じられて、与平が弓兵の調練をつけてはいる。が、まだまだ十分な数をそろえられている訳ではない。
それどころか、そもそも私たちは、近隣諸国と渡り合う為に十分と言える兵の数すら揃えられていないのだ。だからどうしても、弓兵よりも槍兵を優先して揃える事になる。しかも、その少ない弓兵を北路、東路、藤ヶ崎の三部隊で分けたのである。それ故に一方面辺りに割り振れる弓兵の数は限られてくる。
だが、それを嘆くのは贅沢という物だろう。
こんな風に戦をするようになったのは、武殿と出会って以降なのだ。本来の私たちの戦では弓などは邪魔でしかなく、使い物にならない。私自身、弓は狩りの道具だと思っていたくらいだ。
だからこうして、二百でも『兵』としての弓の使い手がいるのは武殿や与平の努力の結果であり、足りないなどとぼやくのはお門違いというものである。与平の率いる騎弓兵――白虎隊の兵たち程ではないにせよ、一斉射などは出来るようにきちんと訓練してある弓兵が、こうして手持ちの駒としてあるのだから。
有り難い話だと思うべきだ。二百でも、この状況ならば、いるといないとでは大違いである。
現に、そのたった二百の弓兵を指揮し、源太は次々と敵兵を死体に変えていた。橋の上にいる極めて局所的な敵を狙い撃つだけなので、そんな数でも十分に成果を上げる事が出来ているのである。
「左右前列――構えっ。射よっ!」
そんな事を考えている間にも、源太の掛け声が戦場に響く。するとすぐに、弓隊左右両翼の前半分から矢が放たれた。その矢は、槍隊と敵兵がぶつかっている少し後ろ辺りに降り注いだ。
首元や顔などに矢が突き刺さり、呻き声一つあげるのがやっとといった感じで、その場に倒れる者。即死は免れたものの、その場で動けなくなって、そのまま後ろから攻め寄せる味方に踏み殺される者。
様々いた。
しかし、彼らはその場に居続けるしかなかった。
なぜなら――――
敵将・川島朝矩に引く気がないからだ。
一体何を考えているのだろうか。
よく分からなかった。敵の兵は、倒しても倒しても次々と新しく送られてくる。
「いいぞっ。そのまま堪えよ! 倒れた敵を見てみろっ。まるで針山ぞ。お前らが負けぬ限り、奴らは的になり続けるしかない。気勢を上げよ! 槍を突き出せっ! その一撃が、我らを勝利に導くっ!!」
「「「「応っ!!」」」」
信吾の檄が飛んだ。
兵たちも、その檄に見事に応えてみせている。敵兵を一兵たりとも抜けさせない。
そのせいで敵兵たちは、信吾の言う通り、まさに止まった的になっていた。
そして、私の狙いとは別の所でも、敵の兵たちは苦しんでいた。
あまりにも局所的に人死にが出ているので、その場に堆い死体の山が築かれたのだ。そしてその死体の山は、奇しくも彼らから私たちを守る防壁となっているのである。おまけにその壁は、刻一刻と高くなっていっていく。
堪ったものではないだろう。敵の事とはいえ、少々同情を禁じ得なかった。
武殿は、まず間違いなく敵の士気は最低の筈だと言っていた。あちらの兵は強制的に集められた兵である上に、十分な糧食も与えられていない筈だと。
その上にこれである。もう敵のほとんどは、本来の力では戦えていないだろう。
私たちが彼らの仲間を射殺した事で、最前線の敵兵たちは、先程までの押しつ押されつの状態からはいくらか解放されていた。しかし、当初の勢いをまったく失っていた。目の前の惨状に、なけなしの闘志も刈り取られ愕然としてしまっている。
そのほとんどが呆然と立ちすくんでいた。もう突進はしてきていなかった。
ただそれでも、後ろから次々に新しい兵が補充されてきている。そのせいで、前にいる者は、否応なく少しずつ前に前に押し出されてきてはいた。
そしてそんな敵兵たちは、粛々と源太に黄泉路へと送られていく。信吾も、橋の端へと押し出されてきた者がいれば、配下の兵に命じて容赦なく槍で突き殺させていた。
二人とも私の命に従い、将として相応しい対応をしてくれていた。
だが私は、総大将としてこのままにしておく訳にもいかなかった。『勿体ない』からだ。
敵方には、後ろに下がる気はなさそうだ。
対岸で、敵将川島朝矩と彼の自前の兵と思われる集団が、騒ぐ味方の兵たちを無理やり橋の上に送り込んでいるのが、ここからも見える。その集団の槍の先は、橋の上に送る味方に向けられていた。そして橋の真ん中――ちょうど小島の上あたりでも、同様の事が行われていた。
ふぅ。
溜息が漏れる。なんというかもう、言葉に出来ないものがあった。あまりにも酷すぎる。こんな相手と戦わねばならぬ自分たちさえも、情けなく思える程だった。
このままだと、『後の味方』を無駄に減らす事になる。
だから、まだ少し早いが次の段階へと進む事を決めた。
「よしっ。狼煙を上げよっ!」
「はっ」
私がそう告げると、側に控えていた者の一人がすぐに応えた。そしてしばらくすると、焦げ臭いにおいが風に乗って、私の鼻をくすぐり始める。
狼煙台を組んだ場所を振り返れば、時折吹く風に棚引きながら大量の白煙が、怒声、悲鳴響く戦場の空へと昇っていくのが見えた。
狼煙は上がった。
私は再び橋の上に視線を戻し、戦況を眺めながらしばらく待つ。
信吾や源太も、狼煙が上がった事には気がついているだろう。しかし今までと変わらず、状況の維持に努めてくれている。
そのままだ。
私は胸の中で呟く。
敵は橋の上。今のままなら――――。
私は戦場である橋の上ではなく、『橋そのもの』に目をやった。
目を凝らしてよく見ると、一番手前の橋杭からやや細めの縄が伸びているのが見える。その縄は、速い御神川の流れの中でうねうねと泳いでいた。これは、中央の小島より手前半分の、すべての橋杭が同じようになっている。
まだか。
気が逸る。
が、そのあせりをジッと堪えた。そして、ただ只管にその時を待った。