幕 伝七郎(四) 伏龍の目覚め
ここら辺りがいいだろう。
目の前には、大河・御神川がある。
その河原は降雪で真っ白に染まっており、誰にも踏み荒らされておらず、まさに白一色の美しい光景だった。
そんな真っ白な景色の中を、青とも黒とも言えない色の川面をあちこちで白く泡立てながら、御神川は右から左へと流れている。
思っていたよりも深そうで、しかも流れも速そうだった。
ここいらの漁師たちは、小舟を動かすのに、家の屋根を突き抜ける程の長さの竹竿を使うと聞いている。それで川底を突きながら進むという事なのだが、納得できた。あの河の色だと、確かにそういう長さの竿でなくては底を突けないだろう。つまり、この辺りの河の深さは、それ程だという事になる。
そして、そんな御神川を渡る為に、目の前の大橋はある。以前は、ここにも渡し場があり、街道を行き来する者は船で渡っていたのだが、この大橋が出来て以降はそれもなくなったと聞いている。
今では、街道を行き来する者は皆、この大橋を利用するようになった。
人の腰回り程もありそうな橋杭(橋桁を支える杭)。五十間(約九十メートル)はありそうな川幅の真ん中にある――ちょっとした小島のような石垣の橋脚。ゆうに馬二頭、いや少し詰めれば三頭はいけそうなほど幅のある橋桁。
話に聞いて想像していたよりも、遙かに立派な橋だ。
渡し船がなくなる訳である。こんな橋があれば、誰もがこの橋を使うだろう。
だが、今この時からしばらくの間、ここは通れなくなる。
「よし。この場に陣を敷く。者ども、作業にかかれっ」
そう声を張り上げた。
兵たちは命令に従い、すぐに作業に取りかかる。それを見てから、再び私は周辺の観察へと戻った。
するとすぐに、
「伝七郎様、本当にここで宜しいのですか?」
と信吾が近づいてきた。
彼には、ここに陣を敷く事はすでに伝えてはあったものの、その理由についてはまだ説明していない。それは、この後の軍議で説明しようと思っていた。
だから言われてはいたものの、実際に現場までやってきて、本当にここで良いのかと不安になったのだろう。それで、改めて確認しにやって来たのだと思う。
陣を敷設する場所としては、あまり適切とは思えない場所なのだから、その気持ちも分からなくはなかった。ただしそれは、『私たちの戦い方』ならばだが。
「ええ。『ここ』で良いのです」
私は笑顔を浮かべながら答える。すると信吾は、
「左様にございますか。何やら、考えがお有りのようですな」
と、私に応えるように笑みを浮かべてみせた。私の迷いない返答に、何かを感じ取ったらしい。
「まあ、これは武殿の提案ではありますが」
どうやら私の案だと思ったらしい信吾に、そう言って前置きをしておく。お互い、あの人と出会って以降ずっと一緒に戦ってきたのだから、その方が理解も早いと思ったのだ。
「武殿の?」
「ええ、相も変わらず大したものです。私は、あの人とだけは戦いたくありませんよ。勝てる気がしません」
私がそう答えると、信吾は一度大きく目を見開いて、そののち大口を開けて高笑いをし始めた。
「はっはっはっ。確かに。私も勝てる気がしませんな。あの方は、ご自身は刀を一振りすらする事なく、私などは打ち破ってしまうでしょう。身を立てようと体を鍛え、武芸を磨いてきた身としては、切なくなってまいりますなあ」
「まったく。私は、青瓢箪などと周りに散々馬鹿にされてきた身です。信吾ら程には、武芸の業を修めてもおりません。ですが、あの人ほどには、知恵のみで戦う事もしてきませんでした。体に恵まれなかったので、自分なりの武器を模索して戦ってきたつもりですけどね。あの人は徹底していますよ。私も、それなりに苦しみながら今の私になったつもりでしたが、あの人には『早くここまで来いよ』とでも言われている様な気がします」
「はは、なる程。今回は、そんなお二方が遠慮無くその才を発揮する戦になる……と、そういう訳ですな」
信吾は納得いったように、二つほど小さく頷いてみせた。そして、そんな信吾に私は、
「貴方たちにまで、それを強要してしまうのは心苦しいですが……」
と、つい口を滑らしてしまった。
その言葉を聞き、信吾は軽く首を横に振る。その後、私の目を真っ直ぐに見据え、胸を張って言った。
「ふっ。何をおっしゃいますか。お気になさらず。伝七郎様や武殿が何を見て、何を望み目指しているかくらいは、私たちも重々承知しております。貴方がたは、どこの誰よりも『将』にございます。そんなお二人に従う事に、なんの迷いがありましょうか。その命に従い、どう戦おうとも、我が武の誇りにかすり傷一つ付く事はないでしょう。ご心配には及びません」
私は……恵まれている。
そう感じずにはいられなかった。
彼らを将に選んで、本当に良かったと心から思う。そして、彼らを将として選ぶ機会を与えてくれたのも、他でもない武殿である。彼らを将として選んだのは、武殿の進言があったからだ。
そんな事を考えていたら、(今回も、彼の言葉は私を勝利に導いてくれるだろう)とそんな気がしてきた。そして、それが段々と確信へと変わってくる。
武殿は自分を『軍師』だと言っていた。
軍師……軍の師――――
戦を勝利へと導く者……彼はそう説明してくれた。
まさにそうである。彼は私たちと出会って以降、私たちを勝利に導く為に、その才を出し惜しみする事なく使ってくれている。そしてその言葉通りに、私たちを勝たせ続けている。これについては、彼だけではない。この信吾も、源太も、与平も……他にも沢山の者たちが、その才の限りに力を貸してくれている。
そう思うと、体に適度な緊張が走り、キリリと心が引き締まってきた。
彼らが協力してくれるのは、期待してくれているからだ。その期待に応えられなくて、何が将だろうか。私も『軍師』にならなくてはいけない。なってみせねばなるまい。そうでなければ、申し訳が立たない。
私はそう自分を戒め、信吾に応える。
「有り難う、信吾。今回も力を貸して下さい」
「無論です。存分にお使い下さい」
静かに私が頭を下げると、信吾は間髪を入れずにそう答えてくれた。
「感謝します。では作業の方、宜しくお願いします。この後、天幕を張ったら、すぐに軍議に入ります。『策』を説明します」
そう告げる。すると信吾は、再びその細い目を大きく見開き、その後ニヤリと笑った。
「承知致しました。では私も、源太の手伝いをしてまいります」
「宜しくお願いします」
私がそう答えると、信吾は小さく一つ頭を下げて去って行った。
……本当に、私は仲間に恵まれている。
そう痛感した。