第二百六話 田島の町攻略戦 でござる その二
「急げっ! 隊列を整えよっ!」
山道の出口に駆け入ってくる兵たちに向かって、俺は叫んだ。そして矢継ぎ早に、
「弓隊っ。右翼左翼交互に斉射するぞ。合図に合わせろよ。八雲、吉次っ」
と弓隊に告げて、そのタイミングをとる二人にも声をかける。
「「はっ」」
「二人で拍子をとりながら、間断のない斉射を迫ってきている敵兵に浴びせかけろっ。遠慮はいらん。存分にやれ。なあに、落ち着いて敵を見ながらやれば出来る。出来ると言った俺を信じろっ。いいなっ」
「「はっ」」
初陣で、まだ未熟な二人の心に拠り所を作っておく。細かい事だが大事な事だ。初陣の時、やっぱり緊張したからなあ。ケアしてやれるなら、ケアしておいてやる方がいい。兎に角、限度を超えた緊張に体が痺れてくるのがいけない。あれが新兵を殺す。
二人は冷静さを装う事も出来ずに、顔を強ばらせながら、いつになく真剣な応答を返してくる。いきなり、こんな戦で初陣を飾る事になったのだ。これでも、むしろよく耐えている方である。
とは言え、俺自身もそんなに余裕はない。
勿論、今更緊張感でなどという事ではない。単純に、やらねばならない事が多すぎるのだ。
俺はすぐに、視線を二人から前線へと移す。敵の動きを見逃さないように。そして、出さねばならない指示を出し損ねないように。
こんな戦い方をしているのだ。なんとしてでも統率しきってみせねば、初戦から甚大な被害を計上する事になる。
いま身を置いているこの戦いは、決して簡単で楽な戦いではないのだ。もしそんな事になったら、今後に向けてどれ程の枷となるか。だから、絶対にそんな事態は避けねばならない。
だが……。
ちっ。
思わず舌を打ってしまう。頭の中では簡単に出来る事も、実際にやってみると難しい。なかなか思うようにはいかない。自軍の兵の動きすら、思いのままにはならない。
北の砦攻略の時に、兵をうまく動かして勝利を収めてはいる。しかしあの時も、決して結果ほどには楽ではなかった。だから今回は、しっかりと調練を課して戦に臨んだのだ。
だが、それでもなかなか厳しい。実戦では、調練の時のようにはいかない。確かに兵たちは、俺の命令の意図をくみ取り動こうとしてくれてはいる。今もそうだ。北の砦の時とは、指示した戦術への理解度は段違いである。
でも、実際にやる難しさは、そんな物だけでは埋められない。それを教えられる。
なるほど。戦は生き物などという言葉があるが、確かにその通りだと言わざるを得ない。型通りに動く事など、まずない。味方の兵たちの動きさえ、掌握はしきれない。何かをしようとすると、出来ると思ったタイミングよりも二拍も三拍も遅れる。
やはり難しい。それを実感した。
だが、それを見越して指示が出せるようになって、始めて軍師としては一人前というもの。泣き言ばかりも言っていられない。
俺は気を引き締め直す。
そしてその時、うちの最後尾の兵が山道の出口に飛び込んだ。
殿軍ご苦労さん。
すでに山道の出口には、その道を塞ぐようにこちらの兵が並んでいる。そして、その後ろからは、すでに八雲と吉次の指揮による交互の斉射が行われていた。その矢は、いま山道に飛び込んだ殿軍の兵たちに迫ろうとしてた敵兵たちを、何人も串刺しにしている。
二人とも、なかなかうまくやっていた。流石は幼なじみといった、息の合い方である。こちらは、任せておいても問題なさそうだった。
そんな事を考えていると、
「神森サマ。この後はどうする? ここで待つか。それとも更に引くか」
太助がそう聞いてくる。先程の二人のように顔を引き攣らせてはいない。先程までとは逆になっていた。が、未だこちらは気負いすぎている。その表情は厳しく、心にまったくゆとりはなさそうだった。
これはこれで、問題だった。今日の戦は、初陣としては刺激がありすぎたようだ。
俺はそう考えながら、のんびりした口調で、そんな太助に応える。
「まあまあ。落ち着けよ、太助。どうどう。いつもの威勢はどうした。面が鬼瓦みたいになってんぞ?」
その口調ほどにのんびり構えている訳ではないが、余裕ぶってみせる。殊更気の抜けた調子で、そう言ってやった。
「落ち着けって……無茶言うなっ!」
太助はそう言って、鬼瓦の顔のまま怒鳴り返して来た。だが、同じ鬼瓦でも今の太助の表情は、さっきまでのものとは違う。単純に俺に対して怒っている。いつもの調子で、俺に食ってかかってきていた。
俺は心の中でニヤと笑んだ。
それで良い――と。
あんな風にガチガチに余計な力が入っていると、肝心な所でヘマするからな。つか、下手すれば命も落としかねん。
だから、今の『この』太助で良いのだ。
「そうかあ。全然慌てるところなんかないぜ? 全部俺の計画通りに事は運んでいる。あとは結果を待つのみだよ。しばらく、今の状態を維持するぞ。それだけで、後は『あいつ』が締めてくれるさ」
俺は不敵な笑みを作ってみせながら、振り向かずに拳を持ち上げて、背中――山道の奥の方を親指で差してやった。
「何を愚図愚図しておるかあっ! この程度の小勢など、さっさと潰してしまわぬかっ」
先程よりも両陣営の距離は縮まり、敵の大将の喚き声もよく聞こえてくるようになっていた。
そして俺は、(そう簡単に潰れてもらっては困るのよ)と、その声に胸の中で応え舌を出す。
とは言え、敵兵も自軍の大将の檄に、更に圧力を上げてくる。
しかしそれでも、うちの兵たちは突破を許さない。それどころか、先程までよりも明らかに、こちらの兵が死傷する速度は落ちていた。
雑木林やら崖やらに阻まれて横にも回り込めなくなっており、山道の出口という狭い場所では互いが接触できる範囲が著しく制限されている。
そのせいだった。
敵さんは、数の利を生かせなくなっているのだ。
しかし、敵の大将は頭に血を上らせているようで、それに気付いていない。
本来なら、ここは一度下がるなり、他の攻撃手段を模索するなりするべきだろう。しかし、敵兵は目の前にいる俺たちの数に惑わされたまま突っ込み続けているし、大将もさらに押せ押せと煽っている。
その様子に、
――――勝った。
そう思った。もっとも、愚直に突っ込んでくる八百もの兵の圧力は相当な物で、まだまだ安心はできないが。
でも、『策』はうまくいっていた。敵は、『俺たち』しか見ていない。
そろそろ……。
そう思った時、ついにその時がやってきた。
「回り込めっ!」
与平がそう叫ぶ声が響いた。
次の瞬間、両脇の雑木林の中で気炎が上がった。『白い布』を被った残してきた七百の兵たちが、その布を払いのけて次々と雑木林から飛び出したのだ。今まで敵に気付かれないようにそろそろと近づいてきていたせいで、兵たちも少々苛ついていたのかもしれない。飛び出る勢いが、放たれた矢のようだった。
その様子に、俺たちに正面から突っ込んできていた敵兵たちは唖然とした表情を浮かべた。先程まで喚き散らしていた敵大将の声も聞こえてこない。絶句でもしているのだろうか。
でも、今それは命取りだぜ? 早くなんとかしないとな。
俺は勝利を確信し、ニヤリと笑う。
たかが布一枚。されど布一枚だった。敵の大将……いや、敵の中の誰か一人でも冷静さを保っていれば、もう少し戦えたかも知れないのにな――と、今更ながらの忠告を胸の中で呟く。
この布は、この時期の戦という事で、予め用意させたものだ。白銀の世界では、こんな布一枚だけでも、十分に迷彩になる。敵が冷静さを欠いていれば、なおの事だ。
観察眼を曇らせた代償……奴らはそれを、敗北という形で支払う事になる。
林から飛び出た七百の兵たちは、あっという間に山道出口に押し寄せていた敵兵をサンドイッチにした。その手の弓はすでに引き絞られ、矢の先も中央で棒立ちになっている敵兵たちに向けられている。チェックメイトだった。
「さて、一度しか言わない。死にたくなければ武器を捨てろ」
右の林から飛び出した与平が、普段聞く事のない冷たい声で、そう警告する。奴は、弓を引き絞った兵たちの先頭に立っていた。その手の弓も、すでに引き絞られている。
サンドイッチになった敵兵たちは、固まったまま動けないでいた。
そんな様子に声を上げた者がいた。敵の大将だ。
「な、なにをやっておるかっ。さっさと――――」
でも、最後まで言葉を言う事が出来ない。
与平が、眉一つ動かす事もなく、その手の矢を放ったからだ。敵の大将が喚いたと思った瞬間、与平は動いた。まったく躊躇う事なく、構えていた弓を声がした方へと向け、間髪入れずに打ち込んだのである。
以降、男の声は聞こえない。
ここらでは、敵兵に阻まれて目で確認する事は出来ないが、おそらく声の主は、口か喉あたりを射貫かれている筈である。相変わらずの神業ぶりだった。
その与平は、何事もなかったかのように、再度ゆっくりと矢を番える。そして、残った敵兵に向かって、
「で、お前らはどうするんだ?」
と静かに問いかけた。その手の弓を、再び敵の兵たちに向けながら。
どうもこうもないだろう。並の胆力では、この与平の脅しには逆らえまい。
というか、そもそもあの金崎惟春の兵である。主への忠誠なんか無きに等しいだろう。でも、それは仕方のない事だ。あの男は、他人に忠義を尽くしてもらえるような男ではないのだから。
そして、思った通りになった。
まず一人が、武器を捨てた。するとその後は、雪崩打つように次々と武器が捨てられたのである。それを見て、中には「貴様ら、何をしているのかっ!」と喚いている者もいた。多分、先程与平に討たれた敵大将に近しい者たちだろうが、多勢に無勢だった。隊長格らしき者たちは兎も角、敵の兵たちは武器を捨てる事を止めなかったのである。
与平は、騒ぐ奴らを、兵たちと共に粛々と始末していった。そして、金崎領攻略の初戦――田島の町攻略戦は終わった。
この戦での我が軍の死傷者は六十八名。そして、敵軍の投降者は六百三十一名。
終わってみれば、びっくりする程のこちらの圧勝劇であった。