第二百五話 田島の町攻略戦 でござる その一
ガチッ、ギンッ、ドガッ。
目の前で、互いの兵がぶつかり武具を打ち鳴らす。そこに怒号と断末魔の叫びが混ざり、まこと正しく戦場の様相を呈していた。
もっとも、相も変わらず、敵方に『弓兵』がほとんど見られないが。
これは、こちらの特殊事情のせいだろうな、多分。零ではないのだが、今までの戦でもそうだったように、本日もやはり少ない。
元いた世界の戦だと、ちょっと考えられない状況だ。が、こちらではこれが普通らしい。おそらく、こちらの戦は基本乱戦なので、弓は向かないのだろう。
してみれば、与平という弓将と、その部隊がいるうちの国は、かなりの変わり種なのかもしれない。
まあ、俺がいる以上、彼らが活躍する場は掃いて捨てるほど生まれる訳だから、何も問題ない訳だが。必要な物が必要なところにある――それはとても良い事だ。WINWINである。
まあ、なんにせよ、互いに名乗りを終えた俺たちは、そのままこちらの流儀に乗っ取って戦に突入した。
三百対八百――――。
狭い隘路ではなく、街道上でのガチンコの勝負である。街道の左右には腰丈くらいまでの枯れ草の原っぱが広がっている。
本来ならば、大兵力が物を言う戦場だ。
しかし、雪が膝丈くらいの高さまで積もっているので、敵さんも原っぱの方へと行こうとはしない。下に確実に道がある街道の上で戦おうとしている。道の上を真っ直ぐに突っ込んできていた。
それが俺たちには救いだった。
しかしそれでも、これだけの兵数差があると、かかる圧力がハンパない。でも、兵たちもよく頑張ってくれている。なんとか持ちこたえてくれていた。
こちらは、すでに定番となりつつあるツーマンセル戦法を徹底しているので、そんな状況でも被害はかなり抑えられている。しかし、やはり無傷という訳にはいかない。当然、それなりに死者を出していた。
ただうちの猛者たちは、その倍、敵さんをあの世に道連れにしてくれていた。
一輪また一輪と、真っ赤な華が白い大地に咲いていく。始め白一色だった戦場に、赤が目立つようになってきた。
ちっ、きついな。
敵を釣りやすくする為に小戦力で前に出たのだが、プラスアルファでやった最初の煽りが、思ったよりも効き過ぎていた。
この戦力差で、俺は互いの名乗りが終わった直後に、「じゃあ、始めるぞ。さっさとかかってきな、雑魚ども」と思いっきり馬鹿にしてやったのだ。本当なら、そのセリフは敵さんが言いたかったに違いない。敵の大将のなんとかさんなど、顔を真っ赤にして口をぱくぱくとさせていた。
そのおかげで、最初のぶつかり合いはど初っぱなから激しいものとなった。真っ正面からのガチンコ勝負である。。
一応、目的は果たしたと思う。この分では釣る事自体は難しくないだろう。というか、食いついて離しそうにない。
が、そのおかげで、敵さんの思考が真っ直ぐにこちらに向きすぎて、猪になっていた。
「神森サマッ。このままだと流石にもたねぇぞっ」
目の前であまりにも多くの人死にの出る本物の戦場に、太助がこちらに向かって叫ぶ。
奴と、吉次、八雲の三人は、名乗りが終わってすぐ、護衛として俺の正面に並んだ。そして、そのすぐに始まった朱雀隊百名と、他百五十名の交戦ぶりを、真剣な目つきで凝視し続けていたのだ。
その二百五十名は、三つの方陣形を組んで敵を迎え撃っている。
正面の一番厳しいところを朱雀隊百名が、その左右には七十五名ずつに別れた二つの隊が受け持って戦っていた。
そしてその全部隊に、攻める事よりも守る事を優先するように命令が出してある。『ここ』では、無理に敵を減らす必要がないからだ。今は、横に回り込まれて囲まれる状況にさえならなければ、それでいいのである。
だから、俺が合図を出すその瞬間まで敵の圧力に耐えろと、厳命してあった。
兵たちは皆、黙ってその指示に従ってくれている。本当に、皆の信頼を有り難く思う。
きちんと訓練も施してはある。あるが、こんな作戦、兵が将を信頼してくれなければ成立しない。すぐに崩壊し、策も糞もなくなってしまう。
でも、そうはなっていない。
その意味するところは、兵たちが、俺なら必ず何とかすると信じてくれているという事に他ならない。
だから俺は、それに応えてみせなくてはいけない。その思いに応えられてこそ将、そして軍師というものだろう。
俺は、彼らに勝利をもたらす為の存在なのだ。
彼らが彼らの役目を果たしてくれているように、俺も俺の役目を果たして見せなくてはいけない。
だから俺は、不安そうに振り返って叫んだ太助に、
「まだだっ! もう少し待つんだっ」
そう叫び返す。
そして俺は、目の前の状況をさらに観察し続けた。冷静に、冷徹に、その時が来るのを待つ。俺を信じて死んでいく、兵たちの戦いぶりを凝視しながら。
初めての実戦というものあるだろう。太助、吉次、八雲……皆、先程までの余裕はなくなっていた。目の前の厳しい戦に落ち着きを失い、ソワソワと腰の定まらない様子が傍目にも分かる。
だがそれでも闘志を失わず、戦場を睨みつけるようにしてその場に止まれている。それだけでも、大したものだ。三人とも、まったく逃げ腰にはなっていない。しっかりと、俺を護ってくれていた。
信吾らも、この短時間のうちに本当によく仕込んでくれたものである。三人とも、新米らしい様子は見せているが、己の任務は務められている。
それに、だ。落ち着きのなさなら、うちの新人三人よりも、敵さんの方が重傷だ。
かなりイライラしてきているのが手に取るように分かる。
でも、それは当然なのかも知れない。これだけ兵数差があるのに、押し潰す事も出来ずに跳ね返され続けているのだから。
開戦の太鼓が打ち鳴らされて、敵さんが突っ込んできた時の勢いを思い返せば、敵の大将のなんとかさんは今頃……いや今も顔が真っ赤の筈だ。
その事は、敵の動きが俺に教えてくれる。
動きが変わっていないのだ。つまり、敵の大将は兵を急き立てているだけで、俺たちに対する有効な対応策を指示できていないのである。敵の動きが変わる瞬間を今か今かと待っている俺には、その事がはっきりと分かった。
しかし、ようやくその時が来たらしい。
なんとかさんは、少し冷静さを取り戻したようだ。
敵の兵が、足下の安定性を欠く道脇へと流れ出したのである。こちらを押し潰すのではなく、包囲殲滅する方向へと方針をシフトしたらしかった。
頑張ってくれていたうちの兵たちも報われた。
この時を、俺は待っていたのだ。正面の圧力が下がるこの一瞬を。
俺はすぐさま指示を出す。
プオーン。
すぐにホラ貝が鳴った。
すると、うちの兵たちは、すぐにジリジリと下がり始める。俺が前もってしておいた指示通りに、陣形を崩す事なく壁を保ったまま下がってきた。
よい練度だった。
よし、いける。
俺がそう思った瞬間、
「神森様。援護射撃の準備も出来ています。いつでもご指示をっ」
と八雲が左に動きながら、そう言った。その八雲の言葉が終わらぬうちに、吉次も右へと小走りに駆ける。
彼らは、俺のすぐ後ろで『逆ハの字』の陣形で弓を構えている兵たちの前へと移動したのだ。全軍の後退を援護する――牽制の矢を放つ為に。
本来の百人隊長は、下がりながらも隊形を維持するのに集中してもらう事になっている。この弓隊の統制が崩れて援護射撃が乱れたら、それで終わりだからだ。だから隊長には、他の何よりもその事に集中するように、指示をしたのである。
俺たちの後方二百メートルもない距離に、先程俺たちが通って降りてきた山道の出口が見えている。まずはそこまで、全軍を無事に下げなくてはならない。
それが今回の戦の、最初の山場だった。