第二百四話 萌芽の兆し でござる
そんな事を考えながら、砦の中を馬に揺られて進んでいく。
そんな俺の下に、
「これはこれは神森様。ご挨拶が遅れまして申し訳ございません」
と、顔を土で汚したまま駆け寄ってくる男がいた。高木高俊だった。
そう言えば、彼には東の砦の改修の指揮にあたってもらっていた。なかなかに豪快な男だったと記憶している。下村茂助らを北の砦から館に連れ帰った時に、大層世話になった。
「ああ、高木殿。お久しぶりです」
「『殿』など不要です。神森様はお変わりありませんなあ。もう貴方は、水島家の重鎮にございますぞ」
高木高俊は、そう言ってガハハと大口を開けてくったくなく笑う。そう言う自分こそ、変わっていないと思う。相変わらずだ。
まあ、いつまでも慣れきらない俺が悪い訳ではあるが。
ただ、ちょっとだけ言い訳をさせてもらえるなら、普段彼とは合わないのだから仕方がないではないか……とは思う。油断をすると、ついやってしまう。
「あ、いや、そうだな。すまん。それで、こちらの進捗状況はどうだ? 順調か?」
「はっ、ご覧の通りにございます。皆、頑張ってくれておりますゆえ。神森様らのご活躍のおかげで、伝え聞く話に皆の士気はすこぶる高く、予定は極めて順調に消化されていっております。細かい部分は未だ手付かずではございますが、櫓や落石の罠、炎の罠、および東側の門と土壁はすでに完成しております。とりあえずは、いま敵が攻めてきても、相応の対応ができる状況にはなっております。確か今後は、ここに籠もって戦うという話でございましたな?」
俺は、高木高俊の答えにすこぶる満足した。確かに、その言葉通り、見た限りでも順調に作業が進んでいるようだった。
「ああ、その通りだ。出て行って戦うばかりが戦ではない。俺たちは、華々しく戦って敗れてはならない。泥にまみれながらも、主を、民を守りきる事こそを誉れとすべきだ」
「がはは。やはり、貴方は面白い。問題ありません。この砦は、その様に戦えるところまで、工事が進んでおります」
「上出来だな。皆にもご苦労様と伝えておいてくれ。このままよろしく頼む」
「はっ」
俺がそう言うと、高木高俊はとても満足そうな顔をした。良い上司のようだ。ここは、彼に任せておけば大丈夫そうである。
そうして俺たちは、東の砦を発った。その後も、街道に沿って東進していく。途中で道は、大きく方角を変えて北へと向かうが、構わずそのまま街道沿いに進む。
最初の目的地である田島の町は、この道の先にあるのだ。
うぅっ、寒っ。
馬上で俺は、吹きつける寒風に身を一つ震わせる。そして、
「おうおう。盛大なお出迎えだねぇ」
と、のんびりとした口調で言った。
田島の町の手前、四キロといった所だろうか。遠くには、その姿が見えている。が、このまま何事もなく町までは行けないらしい。その手前で、沢山の鎧を纏った武者たちが立ちはだかっているのが見える。
いま俺たちは山を登って下っている所なので、向こうはまだこちらに気がついていないようだが、こちらからは上から全体が見下ろせた。俺の視力では、流石に細かい部分までは判別する事は難しい。しかし、その全体像は十分に把握できる。
東の砦に向かう途中で渡る荒川が、再びこの街道と交わる部分が目の前にあるが、そこに掛かっている橋の北側で奴らは陣を張っていた。
こちらの戦の作法的に、おそらくは通せんぼだけが目的だとは思う。
八百ぐらいかね。多分、全部出て来ている。物見も報告でそう言っていたしな。
田島の兵が、この先半里のところ――つまり二キロ先で待ち構えているとは、すでに聞いていた。その報告があったので、俺たちは静かに、出来るだけ敵の視界から隠れるようにして、そろそろと進軍していたのである。
もう少し進むと、もう姿を隠せなくなるだろう。山肌を降りる下り坂で、左右はしっかりと雪化粧の施された雑木林に挟まれているものの、街道の向きが変わるのだ。その為に向こうからも、こちらの姿がばっちり見えるようになる。
それだけではない。
枯れた下生えにも雪はこれでもかと降り積もっており、まるで白く塗り固めた壁のようになっている。ところどころその白壁の上に突き出ている下生えの草木のてっぺんが、雪の下にある下生えの存在を辛うじて教えてくれているといった感じである。
おかげで、視界に遮るものがなくなってしまうと、非常に発見されやすくなっているのだ。白いキャンバスの上に大量の蟻が列を作っているようなものであり、そりゃあ、見つけられない方がおかしいというものだ。
とりあえずそんな状況だったので、俺はいくつかの指示を与平に出し、太助ら三人と兵『三百』を連れて、そのまま道を堂々と進軍していた。
そして、思った通りに見つかった。
大した間を置く事もなく俺たちを発見したらしい敵兵どもが、俺たちの兵列を見て意気をあげていらっしゃる。その威勢のよい声は、ここまで届いていた。
俺はニヤと笑いながら、改めて敵の数を確認する。やはり八百といった所だろう。見積もりに間違いはない。そして、その意味するところは、こちらの戦の定石通り、ほぼ全軍を繰り出してきているという事である。
つまり、こいつらを片づければ、初戦は終わりという事である。田島の町が手に入る。
そんな事を考えていると、
「ひゃあ。沢山いますねぇ」
俺の斜め後ろで、八雲が動じる事なく、そう感想を漏らす。大人しそうな雰囲気なのだが、こいつは存外胆が座っている。
残りの二人も同様だった。太助はキッと鋭い視線で田島からの兵を睨みつけるように凝視しているし、吉次もフフンと鼻を鳴らして不敵な笑みを浮かべていた。
なかなかに頼もしい。まあでもよく考えたら、こいつらはすでに、二水で大胆な事をやらかしている。それを思えば、この反応にも合点がいく。
だから俺もそれに合わせて、
「いらっしゃるなあ」
とのんびり返した。
「で、神森サマ。これからどうすんだ? 与平さんを置いてきたって事は、アレを『釣る』んだろ?」
太助が、俺の乗る馬の首をポンポンと二度ほど叩いて馬を落ち着かせながら、俺に確認してくる。俺と朱雀隊、それから与平の白虎隊は全員騎馬ではあるが、今は俺一人しか馬に乗っていない。今回の作戦ではむしろ邪魔になるので、全部後ろにいる与平のところに置いてこさせていた。
それにしても、こいつも段々と分かってきたようだ。それを嬉しく思う。そして何より、嫌悪感を持っていないのがいい。これから伸びる。変に拘わられると、おそらくそこで伸び悩む。
俺は、そんな事を思いながらニヤリと笑い、
「もちろん」
と返す。
すると、太助とは馬首を挟んで丁度反対側にいる吉次が、
「神森様はやり方がえげつないよなー。俺らの時も酷かった。あいつらも可哀想になあ」
と肩をヒョイと一つ竦ませて見せた。
失礼な。
「吉次。えげつないとはなんだ、えげつないとは。相手が勝手に勘違いするだけだ。俺は何も悪くない」
俺は異議を唱える。
しかし吉次は、そんな俺に呆れ顔で、
「もう、その物言いからしてアレです」
とドキッパリ言いおった。実に良い態度だ。もともとの性格がそうだったのか、それとも師匠である三馬鹿に似てしまったのか、なんか実に太い。うん、太い。
そして、こんな会話をしている最中でも、周囲の警戒は怠っておらず、しっかりと仕事をこなしているところも、そっくりである。気の抜けたような会話をしながらも、しっかりと視線があちこちに飛んでいる。
これは無論良い事なのだが、おかげで『もっと真面目に仕事しろ』とか、ツッコミを入れる隙もなかったりする。
信吾ら先輩三人衆に、相当仕込まれているらしい。顔を合わせる度に、死ぬ死ぬ言っていたが、本当に死にそうな目に遭っていたのかも知れない。
信吾らは、こいつらを今回から俺の護衛に抜擢するにあたり、『それなりには使えるようにしてあります』と言っていたが、どうやらなかなかの『それなり』のようだ。少なくとも、すでに二水の戦の頃のこいつらとは、根本的に違う何かに変わっているように見える。
そんな事を思いながら、
「ハッハッハッ。ま、そう褒めるな」
と軽口を叩いた。
「褒めてないですよ」
即座に返事がある。うん、やっぱりやせ我慢じゃなく、本当に心にゆとりがあるようだ。こいつらにとって、本物の戦はこれが初めての筈なのに大したものだ。
「困ったな。今回も、彼らには勘違いをしてもらおうと思っているんだが。ダメかよ」
俺はニヤリと口の端を上げて、馬上から吉次の顔を見下ろす。
「止める気などないでしょうに」
吉次もニヤリと笑いながら、そう返してきた。
勿論である。
「当然だ」
俺は胸を張って、そう答えた。
勝てるなら、俺はなんと言われても構わん。俺が欲しいのは結果。千賀が、水島が、そして俺たちが生き残る未来。名誉なんかじゃあない。
顕示欲的には、身近な者たちに『すごいね』『頑張ったね』と認めてもらえれば、それで十分満足だ。だから俺は、まったく躊躇う事なく、この世界では異端とされる『策謀』を振りかざす事が出来る。
あまりにも言い切ったせいか、八雲の奴が堪えきれずに笑い出した。吉次の奴もヤレヤレといった態度を見せているが、その顔は中々に悪い笑みを作っている。
その一方で、俺たちの巫山戯た会話は聞こえていただろうが、太助の奴は笑いも、呆れも見せず、目の前の軍勢に注意を払い続けていた。
少し緊張しているのかなと、それとなく観察する。
が、そうでもなさそうだった。緊迫した空気を出してはいるものの、落ち着かなそうには見えない。
その様子に、改めて思った。こいつも随分と変わったなあ、と。
太助の奴は、相も変わらず生意気だし、太々しい態度もとる。だが今、こいつは己の役目を全うするという強い意志のもと、見事な集中力を見せている。
吉次や八雲と違って、やや肩に力が入りすぎているのは否めないが、多分これは、二人との立場の違いのせいだ。
背負っている物の重さを感じているのだろう。
俺の背中に沢山の物が乗っているように、太助の奴も、この年にして普通の人間が背負う物よりもずっと多くの物を背負っている。
その重みを、段々と感じるようになってきたのではないだろうか。そう思うのだ。
なにせ、ここで水島が負けると、二水の町としても大打撃なんてものではない。再建の目処も立たなくなる。
二水の長としての矜持に目覚め始めている太助にとって、それは許容しがたい事だろう。
この太助の様子は、おそらくそんな所が原因ではないだろうか。まだ加減が上手くいかず、自分を追い込みすぎてしまっている――そんな気がする。
そういや俺も爺さんに、『そう思い詰めるなよ?』と言われた事がある。あれは東の砦を奪い返し、種田忠政を討った後だったか。
多分、あの時の俺と同じなのだ。気合いが乗りすぎている。
その事に気づき、かつて爺さんが俺にしてくれたように、今度は俺が太助にしてやる。
「おう、太助。気合い入ってんな。が、肩の力は抜いとけよ。肩が凝るぞ。お前が心配しなくても、田島の町の兵くらい、チャチャッと片してやるって。こんな所でモタモタしてらんねぇよ。俺らがマジでやらねばならんのは、この後に控えている朽木の兵との戦いよ。あそこには、三森敦信って強烈なのがいるらしいからな」
実際の所は、そんな簡単な物でもないし、軽くも見ていない。だが殊更軽く、俺はそう言い放った。
その言葉に、太助はぴくりと反応する。
「……別に心配なんかしていない」
そして、強がった。
「そうか。ならいい。いずれにせよ、サッサと片付けるぞ。俺は忙しいからな、ハッハッハッ」
「やれやれ。神森サマこそ、逆にもう少し真剣にやった方がいいんじゃないか?」
俺の様子に、とうとう太助も呆れた声を漏らした。
うん。今のお前は、そのくらいの方が良いよ。
「俺はいつでも真剣だよ。さ、じゃあ始めるぞ」
俺がそう言うと、太助は一つ小さく溜息を吐いた後、再びその表情を締めた。しかし体に漲らせた緊張感は、先程までとは異なり適度なものへと変わっていた。