第二百三話 十虎の策 始動 でござる
「うん。しばらく来てなかったけど、順調に進んでいるな」
馬上から、改修途中の東の砦を眺めまわして満足する。
俺と太助、吉次、八雲の三人と、与平は、金崎領・田島の町攻略の為、藤ヶ崎を出て街道を東進していた。そして、ようやく東の砦に到着した所である。
金崎領に藤ヶ崎の町から兵を運ぶには三路ある。いや、三路しかないと言うべきか。その三つ以外は、『軍』と呼べるほどの大人数を、それなりの早さで運ぶ事が出来ないのだ。
まず一つ目は水路。藤ヶ崎を貫いている御神川を、それなりの数の船で下れば、川下に金崎領がある。だから、一応は金崎領内に兵を運ぶ事は出来る。もっとも、今現在はそれだけの船の用意ができていないから、今回この選択肢は存在しない。
となると、残りの二つの陸路である。共に街道を利用する。つまり、ぐるりと遠回りをしながら旧・北の砦近くを通って二水の町に抜け、東へ向かい朽木の町に入る『北路』と、東の砦を抜けて、途中で北に大きく方向を変えて田島の町へと向かう『東路』だ。
そして今回俺は、金崎領攻略にあたり、只でさえ少ない兵を敢えて二つに分けて、この両路を進軍させる事にした。無論、それぞれの進路において玄関口となる朽木・田島の両町を落とす為だ。
偵察を出して調べたところによると、朽木の町に二千二百、田島の町に八百ほどの兵が配されている。また、その他では国境付近に点在している幾つかの砦に数十から多くて二百程度の兵がいる事も掴んでいる。
この辺りが、初戦となる朽木や田島での戦いに影響がありそうな兵力だ。
これ以外で纏まった数の兵は、拠点の美和の町と、金崎領北東にある安住領との国境付近、そして東の佐方領との国境にいくらかに分けられて配されている。それぞれ二千と二千五百、千五百くらい。残りは、金崎領内地にパラパラと配された治安維持用と思われる兵たちだけだ。こちらは俺たちとの国境付近の砦同様に百名前後の集団しか確認されていない。
これが金崎家の全兵力になる。今回の戦に募兵している間に、可能な限り兵力の洗い出しをさせたが、そんなものだった。数としては、俺が想定したよりもかなり多い。全部で一万ちょっとといった所だ。
この報告を聞いて唖然としたものだ……なんて馬鹿な事を、と。
確かに敵の数は想定よりも多くなった。でも俺たちにとっては、正直楽になったと思う。
惟春は、一体どれだけの負担を民にかけて、これだけの兵を集めたのだろうか。奴には、もう余剰戦力は残っていない。これで一杯一杯だろう。
俺は報告を聞いた時、笑いが漏れるのを我慢できなかった。横で一緒に聞いていた菊が、心配そうな顔でこちらを見つめてきたくらいだ。菊はその数といきなり狂ったように笑い声を上げた俺に顔を青ざめさせていたが、正直俺は『勝った』と確信した。だから、笑いを堪えられなかったのだ。
金崎惟春……ありがちなボンボン領主らしい。見事なまでに民を顧みていない。
戦は数だよ兄者とはいうが、きっちり仕込んだ精兵と木偶の坊を同じ土俵で比べて貰っては困るのである。
俺らが揃えた兵は『人』。奴の揃えた兵は、まず間違いなく『人形』だ。
伝え聞く金崎領とその民に、これだけの兵を維持できる活力があるとは、とても思えない。どう見積もっても金崎領には、これだけの兵を無理なく拠出できるだけの地力も、これだけの兵を支えられる国力もないのである。
うちもそうだったが、本来その土地で集められる限界を超えて兵を集めようとすると、まだ体力が不十分な者も、逆に老いてすでに体力を失った者も混じる事になる。
そして、だ。ここが重要なところになるが、『金崎惟春は人望を集める領主ではない』。疑いなく、その対極の存在である。
兵たちは、間違いなく無理やりに集められているだろう。士気が底を這っているだろう事は想像に難くない。
そのうえ、おそらくは十分に食わせてももらっていないだろう。あの金崎惟春が、金崎家の蓄えを削って兵を食わせているとは思えないからだ。
つまり、この兵たちを養っているのは、本来民が慎ましく毎日を送る為の米のみという事になる。
その意味するところは、無理やり集められた上に十分に食わせてもらえない兵たちだけでなく、領民たちの士気も最低という事だ。
それだけでは止まらない。
大した鍛練も施していないに違いない。本来それだけの数の兵を養えるだけの基盤がないのだから、そんな余裕がある訳ない。つまり、練度も最低レベルという事になる。
ちょっと分析するだけでも、およそ考え得る限りの負の連鎖を経て、この惟春の兵一万強は揃えられていると容易に推測できる。
そんな兵たちが、どうやって『人』として戦えようか。まして強兵になど、なる訳がない。精々が、無気力で意思のない『人形』にしかなりえないのだ。
これを数だけと言わずして、何をそう言えばいいのか。
この報告に、俺の頬が緩むのも当然というものだろう。もちろん、金崎惟春の首を獲るまで、油断するつもりなど微塵もないが。
それにしても、金崎惟春にこれほど根拠のない自信を与えている物は何なのだろうか。
理解に苦しむ。
奴は、この兵で勝てる気でいる。俺たちを襲って、滅ぼせる気満々である。
それは、かの国の防衛態勢を見ても明らかだ。はっきり言って、攻め込む為に兵を集めている朽木以外、俺たち側から見て紙以下である。
確かに奴が俺たちを襲えば、俺たちが負ける目もある。ただしそれは、惟春が動けば他の領主も連動する可能性があるからだ。
だが今回、周囲の領主たちを警戒しながら、俺たちの方から攻め込む。
だから、虎視眈々と狙う周りの領主たちに襲われて俺たちが歴史の敗者となる可能性は已然としてあるが、その時は惟春も一蓮托生となる。どこを見ても、俺たちに対して以上に惟春らを利する物は見当たらない。奴らと俺たちの条件は、五分でしかない。
となれば、こんな兵が相手である。俺たちの兵は絶対に負けはしないだろう。この条件で俺が金崎に勝てないと思うなら、それはうちの兵たちを侮辱するようなものだ。『舐めないでくれ』と文句の一つも言われても、俺には何かを言い返す資格はない。
にも関わらずである。惟春は、この『数』だけで勝てる気でいる。東の砦であれだけ惨敗したくせに、それを反省もしている様子はない。下手をすると、改めて俺たちを調べてさえいないかもしれない。
そうとしか思えない程の不用心さだ。
もっとも、俺たちはラッキーと喜べば良いだけの話だが。
敵が弱いのは良い事だ。只でさえ、これから大変なのだから、初戦が楽になるのは幸運以外の何物でもないだろう。あんまり文句を並べては、罰が当たるというものだ。
だからとりあえずは、そんな惟春の横っ面をひっぱたいてやるのが、俺たちの仕事である。
その為に俺は、自分の朱雀隊、与平の白虎隊と、なんとか信吾ら三人を含めた部将連中が調練を間に合わせてくれた兵――合わせて千を引き連れて田島の町を目指している。
そして、田島の町を守っている八百を貫く。
それが、これからしばらく続くであろう、この戦の始まりとなる。
まずは、『こちら側』で初戦を勝つ。というか、こちら側が負けるような事があっては、今後に全く見通しが立たなくなるから、勝たねばならない。伝七郎が担当する『北路』の方は、そうは簡単にいかないだろうから。
『北路』の方は、大将を伝七郎として、信吾、源太が進んでいる。数は全部で二千。次郎右衛門と又兵衛は、それと入れ替わりで藤ヶ崎に戻る計画である。
本当なら、こちらにはもっと数を回したかった。敵が弱兵なのは、俺の『東路』と同じだろうが、如何せん朽木の町には三森敦信がいる。こいつは、間抜け振りが目立つ金崎の将たちの中で、例外と考えなくてはならない将である。
どうも今回は大将ではないようだが、それでも絶対に油断してはいけない相手だろう。爺さんやら信吾やらの話を聞いても、あきらかに凡愚の対極と思われる人物だ。俺自身は、東の砦ですれ違った程度で、残念ながらその能力を測れるところまでの接点はなかった。だが直接戦った爺さんと信吾は、口を揃えて『要注意』と言っている。あの二人をしてそう言わしめるのだから、相当なのは間違いない。
それに、あの東の砦からの撤退も、敵ながら見事と言えるだけのものだった。
そんな男が朽木の町にいるのだ。そして、そこに二千二百の兵がいる。
侮れる訳がない。まして、こちらの数が二千では明らかに少ないだろう。例えこちらの戦に攻城戦がなく、一般的には双方出て来ての野戦での決着だというのを考慮に入れても、少なすぎる。
いくら伝七郎でも、連れて行った二千だけで朽木の二千二百を打ち破る事はできない筈だ。少なくとも、正攻法では絶対と言っていい程に無理だろう。
それを踏まえた入れ知恵は伝七郎にしておいたが、さて、どうなるか。東の砦のとき同様に、無能な身内に足を引っ張られて、三森敦信が実力を出し切れずにいてくれれば言う事はないのだが……。