第二百話 昼寝から目覚めて でござる
う、う~ん……。
閉じた眼をゆっくりと開けば、段々と焦点が合ってくる。
そういや、千賀にお話しをしてやっていたんだっけ。
目に飛び込んで来るのは、廊下の天井。
未だ脳みそは、気持ちの良かった眠りの世界に、半分ほど置き去りになっているようだ。動きがどうにも鈍い。
それでも、なんとか現状の把握ぐらいはできた。
腕に重みを感じる。
ゆっくりと視線をそちらに向ければ、気持ちよさそうに千賀が大の字になっていた。腰の辺りにも重みを感じる。そちらにも視線を向けてみる。千賀の左足が乗っていた。
あー、やべ。寝ちまった。
金崎領への侵攻計画を詰めなくてはいけない。この館の警備指針を見直さないといけない。太助らと二水の町の再建計画も進めないといけない。
やる事が山積みだというのに、暢気に幼女と昼寝などを楽しんでしまった。
段々意識がはっきりしてきて、反省せざるを得なくなる。
約束通り俺は、即興話を千賀にしてやっていた。
が、あまりに日差しが気持ちよすぎたのがいけない。先に千賀が、すぴーすぴーと寝息を立て始め、それを見て、『じゃあ俺もちょっとだけ……』と目を閉じてしまった。太陽の位置からいって、小一時間くらいは寝てしまったみたいだ。
時間を無駄にしてしまった。
まあ、でも……。
もう一度、ゆっくりと首を回し千賀の寝顔を見る。
お嬢様は口の端にちょろりと涎などを零しながら、とても幸せそうに寝ておられた。俺の腕を枕に大の字で、まさに王者の風格である。もっともこいつは本当に王者だし、それでなくとも子供のうちは、皆そういう物だとは思うが。
そして、そんな千賀の寝顔を楽しんでいたら、
「ふわ~あ」
と欠伸が漏れる。閉じた目の端に、涙のしずくを感じた。
あー、まだ眠い。昨日全く寝られなかったせいだな……。
再び、眠りの世界に誘われかける。だが、今度こそ眠る訳にはいかない。俺は意を決した。体を包む気怠さにウンザリしながら、再び目を開ける。
が、その時である。
目の端に影が走った。
唸る左拳、目前に迫る拳骨。
ちょっ、ま、待って────。
ボグッ。
「ぃでぇっ!!」
顔の真ん中に突き刺さるその小さな拳を見て、深ーく溜息を一つ吐く。やべ、鼻血が出てきた。その拳の持ち主は、俺の隣ですいよすいよと気持ちよさそうに寝ておられる。
前略 お母様。あなたの息子は今異世界で幼女の添い寝をしております。幼女にお昼寝は大事です。陽光暖かな小春日和。お昼寝にはもってこいでしょう。
たとえ、うとうとしていたら横から拳骨が飛んでこようとも、実に平和だと思います。
しかしそれでも、わりとのっぴきならない状態でもあるのです。そう……、そう遠くなく僕は首だけの存在になるかもしれません。その時は先立つ不幸をお許しください。
草々っと。あれ? 異世界に飛んだ場合ってのは、先立つ事になるのか? まあいいや。
とりあえず、気持ちよさげに寝こけていらっしゃる幼女の拳をそっと返してやる。
それにしても、ホントになんで俺は、こんな所でこんな事になってるんだろうな。
思わず思い浮かべた母親への言葉に、ふとそんな事を思ってしまう。
この世界に飛ばされなかったら、間違いなくこんな大変な毎日は送ってはいなかった筈だ。あの日本では、庶民をやっていたら、どんなに大変でも命をかけて他国と戦い、国の発展に尽くすとかはない。だから今と比べれば、絶対にのほほんと暮らせていただろう。親の庇護下にもあったしね。ぬくぬくだったと思う。
でも、何がどうなってこうなったかは分からないが、俺はこの世界に飛ばされた。そのおかげで菊にも会えた。この千賀にも会えた。伝七郎や信吾ら、そして爺さんたちや太助たちにも会えた。こうして、本来ならば味わえなかった人生も歩めている。
それを考えれば、悪い事ばかりでもない。もう一度この世界に飛ばされたあの時に戻って、更には異世界トリップに関する選択権を与えられても、俺は再びこの世界に来る事を選ぶだろう。他の世界に飛ぶ事でもなく、元の世界に残る事でもなく。親父や母ちゃんには申し訳ないけどな。でもその時には、詫びの手紙の一通くらいは残してから来たいかな。今となっては、その事だけがあちらの世界に残した未練だ。ネットやゲーム、漫画、エロ本のない毎日にも、もう慣れた。
ま、もうちょっと楽なら更に言う事ないけどな。
そう思うと、顔が自然と苦笑いを作る。
贅沢言えばキリがない。でも、ひと月先に生き残っていられるかどうか分からない身としては、そのくらいの不満を零す資格はあると思う。
そんな風に自己完結していると、
「むにゃ、むにゃ……」
寝返りがてら裏拳を浴びせてきた千賀が、何やら口の中で呟きながら俺に抱きついてくる。そして、そのまま丸くなった。まるで子猫みたいである。
そんな千賀の頭を、千賀の枕になっているのと反対の手で、そっと撫でてやる。
すると千賀は、何かの夢でも見ているのか、普段撫でてやった時と同じように、なんとも嬉しそうに笑った。
ぷっ。
笑いが漏れる。寝ている子供は天使だというが、なるほど納得だ。
俺は起こさないように千賀の頭を抱えると、そっと右腕を抜いて立ち上がった。そして、ゆっくりと千賀を抱き上げる。
そのまま部屋に残っていた侍女の一人に千賀を渡し、千賀の部屋を後にする事にした。
あと少しすれば、空も赤く染まり出すだろう。うっかり寝こけてしまったが、今日のうちに太助らには会っておきたいのだ。
太助らには、早急にやってもらわねばならない事がある。
無論、二水の町がらみの件で、だ。
俺は太助らを探した。
これから俺は死ぬほど忙しくなる。太助らも同様だ。しかも、しばらくはそれが続く見通しである。
金崎領を平らげて、その後は、そのまま継直との連戦に挑む事になるだろう。
そうなると、すべてが上手く運べば半年もかからずに終わる事もありえるだろうが、そうでない場合は、こちらが優勢であっても一年、二年と年単位でかかる事も考えられる。
流石にそれだけの時間、二水を放置するのはいただけないだろう。時間が勿体ないし、何より二水の民の反発を招きかねない。
子供たちを解放した時に、その親たちを前に、この俺――つまり水島家の家老が、町の再建に直接介入する旨を、すでに伝えてある。今の二水の状態を嘆き、これをなんとかしようという志のある者たちは、さぞ期待している事だろう。
つまり、このまま放置する事は、そういう有為の人材の情熱に冷や水をぶっかけ、再び絶望の谷底に突き落とすという行為に他ならないのだ。
そんな真似をして、一体なんの得になろうか。無駄に国益を損なうばかりである。
だから、いくら忙しかろうとも、俺たちは今この時から、あの地の再建に着手しなくてはならない。
大方針の決定。資金の管理方法と管理者の決定。資金の準備。あとは、神森屋の開店および牧場の建設に関する計画と準備。
まずはこのくらいまでやっておけば、俺たちが戦場に出払ってしまっても、二水に残っている者たちで相談し合って、ぼちぼちと計画を進めていってくれるに違いない。
全部が全部、俺が持つ向こうの世界の知識に頼る必要はないのだ。
俺自身も含めて、ここで生きている者たちが知恵を絞って汗水を垂らしてこそ、この世界における『本物』を生み出せるというものである。
俺は指折り数えながら、金崎領攻略までに残されている時間を、どう振り分けるか決めていく。とりあえず、有っても二ヶ月、なければ一ヶ月程度の時間しかない。つまり、今回猶予されている時間はそれだけだ。それ以降は、俺も太助らも、暢気にシム・ヴィレッジに興じている訳にもいかなくなる。
だから、そこまでに最低限の所までは進めておきたい。さしあたってまず明日は、太助らに藤ヶ崎の市で、本物の庶民――つまり俺たちがターゲットにしようという客層を相手に、屋台をやってもらおうと思う。屋台は祭りで使ったものを、そのまま使えばいい。そこでの売れ行きや客の反応を見て、神森屋で出す品を決定したい。
店舗は、接収した為右衛門の巽屋の建物を使う。俺はそれを、神森屋として新装開店する予定である。そしてその神森屋は、こちらでは一際珍しい商店と食い物屋が繋がった店にするつもりだ。
旧・巽屋は最高である。
立地条件は一等地で、おまけに為右衛門が幅をきかせていたせいで、一際建物がデカい。今回のアグレッシブな挑戦を支えられるだけの、十分なポテンシャルがある。今回の計画に相応しい、これ以上ない優良物件といっても過言ではないだろう。
幸か不幸か、そんな土地と建物を俺はタダで手に入れられたのだから、あとはレッツ企業努力である。努力、努力、努力。更に努力あるのみだ。
バックボーンとして俺が権力に繋がっている(というか、権力そのものだ)し、資金も、普通の商人がこれから店を構えようという時よりも、遙かに潤沢に用意されている。
これだけ恵まれた条件が揃っているのである。関係者には奮闘していただきたい。成功できる条件は、ほぼ揃っているのだから。あとは努力と、ちょっぴりの運でなんとかなる。
俺はそんな事を考えながら太助らを探し、館の中をあちこちウロウロした。
なんとかこの件も成功させたかった。俺たちの為にも、そして二水の者たちの為にも。