第百九十五話 起死回生の一手 でござる その二
「……ふむ。そこまで意見が同じなら、前置きは端折らせてもらっても良さそうだな。もし納得いかない部分があったら、都度言ってくれ」
そう言うと、二人は小さく頷き話の先を促してきた。
持つべきは、やはり出来る味方だ。
「いま俺たちは、背中をつつかれている。金崎惟春のせいで、塩が圧倒的に不足している。これを無視して腰を下ろしたままだと、遠からず破滅するという非常に愉快な状態だ」
皮肉交じりに、俺はそう切り出す。二人の表情も、非常に苦々しい。
「それに対し俺たちは、二水から塩を運び込んだり、商人を襲う金崎惟春の所の先兵たちを追っかけ回したりと、真っ当な対策を講じてもみた。が、非常に口惜しくはあるものの、想定していた通りに結果は焼け石に水と言わざるを得ない。根本的には何も打開できていないな」
「認めざるを得ませんね」
「情けない話ではあるがの」
誰のせいでもない。強いて言えば、この国と領地に責任を負わねばならない俺たち三人の責任である。
二人もこれは同意見だろう。だから、『現状まったく駄目だめだ』という俺の言葉に苦々しそうな表情こそ浮かべても、無駄な反論などしてこなかった。
俺は、そんな二人から目を逸らす事なく言葉を続ける。
「で、だ。俺が思うに、この問題を抜本的に解決する為には、やはり『海』を手に入れるしかないと思う」
そして、そう断言した。
だがこれには、爺さんが待ったをかけてきた。顎髭に手をやり、一度目を閉じると、俺の目を鋭い視線で射貫いてくる。俺の胸の内を見通そうとばかりに。
「それはその通りだろう。しかし、それが容易ではないから、こうして頭を悩ませているのではないか? お主、何を考えている? いや、何を言っていない? はっきり言え、はっきりと」
怒った様子でもなければ、呆れた様子でもない。
これは、言葉こそ発しなかったが、伝七郎も同様だった。本当に言いたい事はそれではないでしょうとばかりに、沈黙を保ったまま俺の目を真っ直ぐに見据えて先を促してきている。
俺は、そんな二人の様子に軽く笑いが込み上げてきた。無論、喜びからだ。
「はは。爺さん、そう言うなよ。これ『も』、俺の出した結論の一つには違いないんだ」
そしてその直後、すぐに真剣な顔つきに戻して言葉を足す。
「とは言え、念を押されるまでもなく、今の今すぐに海を手に入れる事など、到底無理だ。かと言って、現状の塩不足への対策――他所から買おうという方針のままだと、いずれは確実に干上がる。二水で製造を続けて領内に流し続けてもまったく足らない。それは、火を見るよりも明らかだ」
俺の言葉に力が入り出したのを見て、二人はいよいよ本題に入ったなと感じ取ったらしい。目の前の二人に、ぴんと緊張の糸が張るのを感じた。
話を押し込む舞台は整った。
この胸の策は、俺たちが生き残るにはこれしかないという策だ。確信を持っている。
しかし、それに伴うリスクが半端ない。今までも危ない橋を散々渡ってきたが、今回はその比ではない。それだけに、『今』の俺の言葉でも、二人が承諾する保証はどこにもなかった。
そんな不安を腹の底に沈めて、ニィッと俺は笑う。自信を誇示する為に。
そして、目の前に広げられた地図に目線をやった。
すると、前の二人もその視線を追う。覗き込んだような気配が伝わってきた。
そこで俺は勢いよく、いきなり体を前のめりに倒すと、右の手の平を目前の地図に叩き付けてやった。
バンッ――――狭い室内に大きな打撃音が響き渡る。そして、その姿勢のまま視線だけを上げ、再び二人を見る。
二人とも動じていない。いや、正確にはまったく気にしてもいない。伝七郎も爺さんも、その目をかっ開き、叩きつけた俺の手の平の辺りを見つめていた。
俺はそんな二人に告げる。
「海まで行かずとも、当座必要な塩は十分にある。ここにな」
叩きつけた俺の手の平の下にあるもの――それは金崎惟春の治める金崎領だ。
二人ともすぐに我に返って、視線を持ち上げる。その先は、当然俺だった。視線が交わる。
「……そこから手に入れるという事は、つまり『奪う』という事であっているか?」
爺さんは、探るような目つきで確認してくる。俺は、それに間髪を入れずに頷いた。
「その通り。足りないのは塩。うちの領内になくたって、すぐ隣にいけば、いくらでもあるんだ。飢饉でここら一帯の米がないという状況なんかとは訳が違う。そして、だ。金崎領を完全に手中に収める事が出来れば、自動で海岸線も付いてくる。俺たちは、もう二度と塩に悩まされる事はなくなるだろう」
俺は自信満々に言った。しかし、
「いや、それは確かにその通りでしょうが……」
と、俺の言葉に伝七郎は慌てた。どう言っていいのか迷っているような感じだった。
まあ、分からないでもない。
案としては、これ以上なく乱暴である。それは間違いないのだ。背負わなくてはならないリスクが半端ない。
戦という物は、『勝利の約束』と『それによって得られる十分な利益』の二つを得て、始めて仕掛けるものである。
だが今回、利益は確保できるものの、絶対に勝てるかと言われると『そんな事はない』と答えるしかない。『勝てる可能性はある』という程度の話であり、どう見積もっても絶対に勝てるという領域の話ではない。
現在の戦力差――単純な兵数差を見ても、だいぶ金崎の方に分がある。
この所ずっと、俺たちも兵の補強はし続けてきた。しかし、金崎を併呑するべく打って出るには全然足りていない。だから俺たちは、勝って敵兵を投降させては取り込み続けるといった、自転車操業をしていくしかない。
戦は、敵を凌駕する兵力と兵站を用意し、圧倒的な物量で蹂躙するのが正道である。こちらの戦なら、なおの事そうだ。
しかし俺の提案は、その正道の対極の条件で攻め込もうというものだ。普通なら正気の沙汰ではない。下策どころか、愚策という言葉でも表現しきれないレベルの案だ。
だから、二人が困惑しているのも当然の事だった。これで怒らないのは、ただただ俺を信用してくれているからに他ならない。
両者ともに、俺の真意を探るような眼差しを、こちらに向けてくる。そして俺には、それに応えて、二人にきちんと説明する責任があった。
「二人が言いたい事は分かる。そんな手を打つ力は、まだ俺たちにはない。機も熟していない。それは誰の目にも明らかだからな」
俺はそう前置きをして、説明を始める。
「だが、ここで先程の継直の動きを思い出して欲しい。残念ながら、津田では力不足だ。継直には抗しきれない。今まで津田が無事だったのは、動いたら負けという均衡の中で、互いが互いの出方を伺っていたからにすぎない。でも、均衡は崩れてしまった。そう遠くないうちに津田滅亡の報せが届くだろう。そして、それまでの間に何もしなかったら、俺たちもおそらくは詰みだ。後は、継直の思い通りに事が運んでいく事になる筈だ。選択肢が今以上に少ない、より厳しい状態で戦う事になると予想される。……つまり、だ。津田同様、奴に滅ぼされるのを待つだけになってしまう可能性が非常に高いという事だ」
そこまで話すと、二人は俺の言わんとする事をなんとなく察したようで、『ああ、なるほど』という顔をした。
「焦って動くのは愚か者。忍耐は尊ぶべし。しかし待ちすぎて時を見誤れば、それもまた滅びを招く」
俺はそう断言する。今回俺たちが動かねばならない理由は、この言葉に集約されている。今が時なのだ。
「津田を滅ぼした後、継直はどう動く? 当然、津田を襲って得た力を俺たちに向けてくる。さっきも言った通り、奴の目は未だ俺たちの方を見ているからな。この時期に、わざわざ自分たちの身を危険に晒しながらも津田に向かったのは、なぜか。金崎との共同作戦を、俺たちが跳ね返してしまったからだ。それが奴に津田攻略を決心させた――俺はそう思っている。そして奴は、金崎を俺たちの当て馬に出来ないかと機会を窺っていたんだ。あるいは、惟春に直接働きかけたのかも知れない。『出来れば深手を負いながら、藤ヶ崎を呑んでくれ』という呪いの言葉を腹に隠してな。ま、いずれにせよ、だ。現実今こうして、俺たちは金崎と一触即発の状態になっている。継直にとっては、正に時来たれりだよ。だから、奴は動いた」
俺がそう言い切ると、二人はしばらく目を閉じ、じっと思案する。その後、
「……なるほど。それに抗するには、こちらもその時までに、それだけの力を補う必要がある、と」
と伝七郎が、ぽつりと呟いた。
「そして、それと同時に不足している塩を手に入れようと」
爺さんが、更に補足する。
流石にこの二人だけあって、理解は早かった。
だが二人とも、俺の策に賛意を示している様子は、『まだ』ない。俺の言いたい事は理解した――そんな雰囲気だった。なおも探るような目を、俺に向けてくる。
よく分かっていらっしゃるようで。
嬉しかった。
俺は、まだ肝心な部分を話していない。だから、今の段階で賛成してもらっても困るのだ。もっと真剣に考えてくれと、逆に言わねばならなくなる。