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姫様勘弁してよっ! ~異世界戦国奇譚~  作者: 木庭秋水
第四章
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第百九十三話 秘策を胸に でござる

 その後、どもりながらも『菊』と呼んだ俺に、彼女は機嫌を直してくれた。そして、いつも通りに食事の世話をしてくれる。


 突然の要求に、心構えの全くなかった俺は照れくさいやらなんやらで、朝飯の味もよく分からなかった。多分、いつも通りの味だったとは思うのだが……。と言うか、妙に幸せそうに微笑んでいる菊を見ていたら、心の方が満足してしまい、腹の方はどうでもよくなってきた。


 あれだけ嬉しそうにしてくれてると、やっぱ駄目とは、とても言えねぇ。


 彼女とて、自分の立場は十二分に承知しているだろう。そして、俺に自分を『菊』と呼ばせる事がどういう意味を持つのかも。


 それでも、なおも俺に要求してきたという事は、それなりにもう心が決まっていると……まあ、そういう事になる訳で。


 俺としては、その事自体には小指の先ほどの異論もない。


 ……となれば、である。出来れば適切に話を進めたかったが、俺としても腹を括るしかないだろう。何事も、全部が全部理想通りなどという訳にはいかないのだ。


 つか、どこがどうなってそうなったのかは今一分からんが、とりあえず菊は本気で俺に惚れてくれているらしい。俺に言わせれば、もうそれだけで一つの奇跡だった。


 そんな幸運を、『たかだかちょっぴり』の不都合で放棄してよい訳がないだろう。


 段々、『あれ? この奇跡を無駄にしない為ならば、大概の事は許されるのでは?』と本気で思えてきた。


 頭の中の人が、思いっきり大きく舵を切る。


 そうだよ。俺はちょっと贅沢になりすぎていたんだ。いいんだよ、このままで。とりあえず、爺さんの事は横に置いておこう。ちょっとくらい問題があっても、勢いで無理やり押し通してしまえばなんとかなるよ、きっと。


 そして、そんな結論を出す。頭の中の人は、すばらしい笑顔でサムズアップしてる。……未だちょっぴり残っている冷静な部分が、『それは開き直りだ』と言っているような気がしなくもないが。多分気のせいだ。


 そもそも、よくよく考えれば、今までにもさんざん強引な事をやってきたのだ。いまさら罪状が一つくらい増えても、大した影響はない筈である……きっと、おそらく、多分。


 だから、これでいいのだ。


 開き直りは神森家の伝統だしな。パパンの得意技だった。


 ……ママンにはいまいち通用していなかったが。ただそれは、今思い出さなくても良い事だろう。人間、前を向いて歩かなくてはいけない。婆っちゃも言ってた。




 そんなこんなで、落ち着かない朝食を終えた俺。


 仕事前にしゃっきりする為に、井戸端へと向かう事にする。今日の俺は、いつも以上に冷たい水を欲していた。こんなに脳内桃色では、仕事になりそうもない。


 いつも通りに部屋を出て、廊下を通り外に向かう。


 向かうのだが……。


 ……なぜ、こんなに広まっているのか。昨日の今日である。どこかに隠しカメラでもあるのかと、本気で疑いたくなってきた。


 井戸端に向かったら、その途中で会う侍女、下女の皆さんが、揃ってそれはもう生暖かい視線を向けて挨拶をしてくるのである。


 最初の一人にその視線を向けられた時は、気のせいだと思った。しかし、二人、三人と同じ視線を向けられると、流石に某かの原因があると思わざるを得ない。


 その後おきよさんと咲ちゃんに会って、


「あら、武様。今日は、いつもよりも男前ですよ」


「大事にしてあげて下さいね」


 などと言われたので、某かもクソもなかったという話ではあるが。二人とも、とっても楽しそうでした。


 女ってコエー……。


 俺が言いたい事は、それだけである。


 情報網はどうなっているのだろうか。今計画中の隠密部隊の設立に当たって、彼女らのご教示を受けるべきかと真剣に悩むレベルだ。


 以前菊が握り飯を作ってきてくれた時には、しっかりと覗かれていた。この物言いでは、今回も事の顛末くらいはきっちり把握していそうである。


 いやいや、そうじゃない。それは置いておこう。大事な話ではあるけどねっ。とりあえず置いておこう。


 何よりも、これが言いたい。


 二人とも、その言い方は止めなさい。


 なんだかヤッちゃったみたいでしょ? 一体、どんな風に広まってるの。流石にそれは不味いと思うの、俺。


 でも、それを口にする事は出来なかった。


 それはそうだろう。


 世の中には、知りたいけど知りたくない事もあるんです。話に尾びれ背びれがくっついていたらと思うと、怖くて仕方がありません。これから俺は、御用部屋で爺さんと会わなくてはいけないんですよ? 会議があるんです。


 そんな事を知って、一体どんな顔をして爺さんに会えば良いのかと。想像するだけで、自分の部屋に引き籠もりたくなるわ。


 そして、そうこう考えているうちに、なんかムカついてきた。


 惚れた女の子とめでたくキスができたくらいで、何故俺はここまで追い詰められているのか。俺が女の子と仲良くなるのは、そんなに罪深い事なのか。小一時間ほど問い詰めたくなってくる。


 理不尽すぎる。


 しかし、俺の怒りを受け止めてくれる人間は誰もいなかった。


 そんな俺の思いを他所に、時間は刻々と過ぎていく。そして、とうとう会議の時間となった。


 びくびくしながら御用部屋へと向かい、中へと入っていく。すると奥の間には、もうすでに伝七郎と爺さんが待機していた。


「お早うございます」


「おう、小僧。お早う」


 ……あれ?


 俺の心配を他所に、二人とも普段と全く変わらなかったのだ。というか、むしろ二人ともいつもよりも機嫌良さそう? 祭りで、心がリフレッシュしたせいかしら。


 いずれにしても、それならそれで好都合というものである。


 女の子連絡網にしか、例の情報は引っかかっていないようだ。先程盛大にクレームを入れてやったせいか、天はようやく俺に味方してくれたとみえる。


 知らないでいてくれるなら、そのままでいてくれた方が多いに都合が良い。このまま順調にいけば、そう遠からず爺さんには菊をもらう為に頭を下げに行かねばならないが、二人が知るのはその時で良いだろう。


 無駄に藪をつついて、蛇を出す必要はない。俺は、そのまましらばっくれる事にする。だから、


「お早う」


 と、にこやかに挨拶を返し二人の側に座った。




 昨日の今日で、まだ警備の見直しとかは出来ていない。だから、今日の所は目下最大の問題である『塩』――これについての議論を交わす事となった。


 もっとも俺は、まったく違う思いを胸に、この会議に臨んではいるが。今日は『塩』の件に付随して、今後の水島の未来を決めると言っても過言ではない重大な決断を、二人に迫らねばならないのだ。


 でもまずは各種資料を散らかしながら、


「――――とまあ、現状二水から塩を持ち帰れたとはいえ、やはり状況はどうに厳しい」


「武殿が予定されていなかった泉までも押さえてくれたので、当初の見込みよりはずっと楽にはなりましたけどね」


「そうだのう。二水の泉があっても、もって一年……いや、切り詰めて二年という所か」


「そんな所だと思います」


「それまでに何とかせねばのう」


「そうですね。それまでに何とかしなくては、手を打つ事も出来なくなります」


 などと件の『塩』に関して、二人と意見を交わしていく。


 伝七郎も爺さんも、先程までとは打って変わった難しい顔だ。


「贅沢を言ったらキリがない。むしろ今は、なんとか時間を稼ぐ事に成功した――そう考えるべきだろう」


 だが俺は、二人とは少し違う温度で口を開く。


 二人の言っている事は正しい。が、俺としては自分が描いた『策』の道筋を順調に歩けている感触がある。だから、改めて悲観する必要はなかったのだ。俺の認識では、そんな段階はもうとっくに終わっている。むしろ今最大の問題は、それを打開する為の『策』を、この二人にどう了承させるのかだった。


 入り口の襖以外、他すべての壁を漆喰の壁で囲まれた小さな部屋の中――中央に地図を広げ俺たちは、色々な資料を捲りながら話し合う。


「正直、この時間を稼げなかったら、本当にヤバかったんだ。それを考えれば、今は視界良好だよ」


 俺は、そう言って笑みを浮かべてみせる。すると伝七郎は、何かを期待するようにこちらを振り向いた。爺さんも顎に手を当てながら、片目を瞑った。口元も微かに綻ばせている。


「と言うと、武殿にはすでに何か妙案が?」


 伝七郎がずずいとにじり寄るようにしながら、体ごとこちらに向き直る。


「食いつきが良いなあ」


「そりゃあ、藁にも縋る思いですよ」


 こいつは水島家筆頭家老。ごもっともな言葉だった。


 爺さんも軽く腰を浮かせ、こちらに向き直った。結果、俺と二人が対面するような構図となる。


「では、聞かせてもらおう」


「楽しそうだな、爺さん」


「そりゃあそうだろう。天下の鳳雛殿の妙案を拝聴できるのだぞ」


「言ってろよ」


 爺さんはそうやって俺を茶化しながら、俺に話し始めるタイミングを作ってくれていた。こういうところは、ホント流石だ。年の功を感じさせる。


 俺は心の中で感謝しながら、空に視線を泳がせた。考えを纏めていく。


 勘違いはないか、話す順番はこれでいいか……。


 その間二人は、黙って大人しく待ってくれていた。


 やっぱ、これしかないな……。


 ――――よし、始めよう。

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