幕 鬼灯(三) 廃村の隠れ家
しばらく進むと開けた場所に出て、いくつかの朽ちかけた建物が見えた。それらは手入れの全くされていない木々と、腰の高さほどの枯れた草むらに埋もれるようにして建っていた。
近づいていくと、少し遠くで馬がいなないているのも聞こえてくる。それに、人影こそ見えないが……いる。気配を殺して、こちらを見ている。それも沢山。
それをはっきりと感じた。
村に近づいたところで襲われなかったので、もしかしたら襲撃にでも出ていて留守かもしないと思ったが、そんな事はなかった。
だが、同影はこの場にいないようだ。いれば、私の顔を見て、普通に姿を現しているだろう。
小さく息を吐く。そして大きく息を吸い込み、
「金崎家の鬼灯。同影殿に会いに来ました。取り次ぎを望みます」
と名乗りを上げる。
しばらくして正面の建物の陰から、「そのまま、待っていろ。大将に確認をとってくる」と返事があった。そして野盗然とした下は二十くらいから上は四十に届きそうな年齢の男たちが二十人ほど――木の影やら建物の陰、あるいは中から、ゾロゾロと姿を現わす。みな刀や槍を握り、こちらを酷く警戒していた。
何というか、本当に盗賊みたいだねぇ。
率直な感想だった。とても名のある武家の部隊には見えない。
そのうちの一人が奥へと走って行った。おそらく同影に確認をとりに行ったのだろう。
私はその男が戻ってくるまで、大人しく待つ。
その間、私を囲んで威嚇している男たちは、私が動かないのを見て、それ以上何かをしてくる事はなかった。……もっとも、皆無遠慮な視線で、人の体をなめ回してくれたが。
不快ではあったが、これも珍しい事ではない。この手の男の視線には慣れていた。
すると、すぐに奥へと走って行った男が戻ってきて、「付いてこい」と促してくる。私は、それに従った。
私を取り囲んでいた男たちを後に連れられて行った先には、先程みた建物同様にいつ崩れてもおかしくないような茅葺き平屋の建物があった。放置されていた建物をそのまま使っているらしく、痛み放題に痛んでいる。屋根にも大穴が空いていたようで、そこだけ修繕の跡が新しい。
その入り口で、私を先導してきた男が、
「大将、連れてきたぜ」
と言うと中で、
「通せ」
と短い返事があった。それは、間違いなく同影の声だった。
「久しいな。鬼灯」
建物の中に入ると同影はそう言って、囲炉裏の炎の向こうでどっかりと腰を下ろしたまま、自分の正面へと座るように勧めてきた。
ボロボロの着物を纏い、火傷跡の残った顔を、煤なのか埃なのか、それとも垢なのか――どれともつかぬ汚れで黒く汚している。矢傷を負った左足は、本人も言っていた通りに治らなかったようで、胡座もかけないようだ。投げ出されている。
なんというか、変われば変わるものである。
すっかり山賊の親分のようになっていた。外で風が吹く度に踊る囲炉裏の炎の揺れが、只でさえ悪い同影の人相を、より一層凶悪に見せている。
私はそんな同影の前に進み出て、勧められるままに対面に座り、軽く頭を下げながら挨拶を返す。
「お久しゅうございます、同影殿。突然の訪問失礼致しました」
そう言いながら、朽木の町で買った酒の大徳利を一つ、背負った荷物から取り出して床に置いた。
私と同影しかいない部屋の中、コトンというその音がやけに響く。
「それは?」
「差し入れです。後でどうぞ」
そう言うと、なお山賊の親分に見える野卑な笑みを浮かべ、
「そうか。気が利くな」
と、同影は嬉しそうに受け取った。
実のところ、何か話が聞けるかと思って、朽木で客を装ったついでで買った物だ。
ただ、また戦を仕掛けようとしているといった話は聞けたのだが、残念ながらこれといった話を聞く事が出来なかった。とはいえ、これで同影の口の滑りが良くなれば、酒も無駄にならずに済む。
「ところで、これを買った朽木の町が、やけに物々しかったのですが……」
「御館様は、またもや藤ヶ崎を攻めるおつもりのようだな。川島殿と三森殿がやってきている」
同影はそれを好ましく思っているらしく、ニヤと嫌らしく笑った。
川島朝矩と三森敦信か……。
川島朝矩は、部将の一人であり金崎家でも重臣の一人と言っても過言ではないだろう。能力的には凡人以下だが血筋は良く、金崎家内での影響力は小さくない。
三森敦信の方は、能力は申し分なく俊英と言えるが、先の東の砦での一件以来蟄居を命じられていた筈だ。一応土豪の出ではあるものの、一族の地位が金崎家においては低い為、金崎家では軽んじられている。それは今も変わっていない。というか、東の砦の件で、重臣たちはこぞって鬼の首を獲ったように三森の一族をこき下ろしている。
そんな二人が一緒にやってきている?
珍しい組み合わせだった。川島朝矩は、三森敦信を軽んじていた側の人間である。一緒にいる事を、気持ちよく思っている筈がない。だがとりあえず、
「三森殿は蟄居を命じられていた筈ですが……」
と尋ねてみる。まずはこれだった。
「御館様の許しが出たらしいぞ。朽木の守りを命じられたようだ。……まあ、生きた盾にするつもりなのだろうな」
「制圧の方ではない?」
「らしいぞ」
重臣たちも勿論だが、惟春も三森敦信を快く思っていない。それは、東の砦の時の一件でもよく分かった。危うく切腹すら命じられそうになっていたくらいである。如何せん、国を民を省みず贅に耽る惟春たちと三森敦信では水と油だ。
だから、体よく蟄居にできた三森敦信を許すなどという事がある訳もなく、それでも蟄居を解いたとすると、同影の言葉には非常に信憑性がある。
だが、これは非常に愚かな事だ。
まあ、惟春が愚かなのは今に始まった事ではないが、三森敦信ならともかく川島朝矩ごときでは、藤ヶ崎の重臣三人には言うに及ばず、その下の者たち相手でも手も足も出まい。
金崎家は、どうやら次の戦でも煮え湯を飲む事になりそうだった。
だがその一方、安心感も覚えた。川島朝矩が余計な事をしなければ、三森敦信ならば二水経由の敵からは、きっちり町を守り切ってくれそうだ。つまり、藤ヶ崎から見て朽木の向こうにある神楽の里は、必然的に守られる事になる。
私がそんな事を考えている間、同影はじっとこちらを見ていたが、ふいと目を逸らすと近くに置いてあった盆から縁の欠けた茶碗を一つ取り上げ、目の前の囲炉裏で沸かしていた白湯を注ぎ、こちらに差し出してきた。
軽く頭を下げ、その碗を受け取る。そして、口をつけた。
信頼を示す為である。
この男の部下たちだけしかいない時に彼らに用意されても、危なくて口などつけられたものではない。しかし、同じ対応をこの男にしては流石に礼を失してしまうだろう。だからだ。
同影は、私のその様子を眺めていた。おそらくは、こうして色々と計っているのだろう。やはり、口をつけて正解だった。
私は、そんな事を考えてもいないような澄し顔で話を続ける。
「なるほど。それで最近、藤ヶ崎の者たちの腰が落ち着きなかったのですね」
「まあ、それは儂らのせいでもあろうがな」
同影も何食わぬ顔だ。この男は本当に変わった。神森武に良いようにやられたのが、余程気に入らなかったようだ。
「そうですね。それと……話のついでのような形になって申し訳なく思いますが、一つ謝らねばなりません。おそらくはもうご存じでしょうが、二水は失敗しました」
先程湯を受け取った時よりも更に深く、頭を下げる。
「……神森武か。彼奴は、本当に儂の邪魔ばかりしよる」
呟くように同影は言った。
その後私は、二水の細かい経緯を同影に伝えていった。同影もいくらかは自前の情報網で知っていただろうが、あの件に関しては私より知っている訳がない。だから、この男の要請を受けて動いて失敗した以上、その経緯だけは伝えておこうと思ったのだ。