幕 鬼灯(三) 神楽蒼月
もっとも、この幼い子らの方は、まだ正式に修行に入っている訳ではない。
『町に知らない人が入ってきたら大人を呼ぶ事』と告げられて、遊んでいるだけである。
しかし、それがこの子らの仕事であり、修行でもある。見張り、偵察の技の習得へ向けた第一歩なのだ。
「おかえり、鬼灯姉ちゃん」
「かえり~」
「ただいま。宗介、あんた随分と大きくなったね」
この中で一番年下の――私の足にぺとりと張り付きこちらを見上げているかえでの頭を撫でてやりながら、一番年上の宗介に向かってそう言ってやる。
「へへん」
宗介は、得意げな様子で鼻頭を指で擦った。
これで鼻の下が乾いた鼻汁でかぴかぴでなかったら、まだ少しは絵になっているのだが、本人はお構いなしで胸を張っている。
ヤレヤレ……。
まあ、それは置いておいて、その宗介にしても他の皆にしても、本当に大きくなっていた。ここに戻っていなかったのは一年ほどなのに、記憶の中の子供たちが随分と大きくなっている事に気づく。このかえでなんか、記憶の中ではまだ、むつきが取れたばかりだった筈だ。
私の足を掴んで、ニコパッと無垢な笑みを浮かべているかえでを見ながら思う。
やはり、子供の成長は早い。
そんな事を思いながら、
「長はおられるかい?」
と、集まった他の子供たちの頭も撫でてやりながら尋ねた。
すると宗介がボロボロの着物の懐から、竹の皮で包まれた何かを見せた。潰れてひしゃげている。
「うん、いるよ。今朝、これもらったもん」
「なんだいそれは」
「栗のまんじゅうだよ。後で食べようって、とっておいたんだ。みんな一個ずつもらったんだよ」
栗をふかして練っただけの物ではあるが、この時期ここでは定番のおかしだ。私も昔、長からもらった。
「そうかい、それはよかったねぇ。じゃあ、あっちに行って食べといで。私は長の所に行くとするよ。でも、知らない奴が入ってくるかもしれないからね。見張りはちゃんとしているんだよ?」
そう言ってやると、
「「「「はーい」」」」
子供たちは私が去る事に少し残念そうな顔をしたものの、良い返事をしながらさっきまでいた田んぼの方へと駆けていった。素直で元気な子供たちである。他に何もないこの里で、唯一の宝だった。
私は子供たちと別れ、そのまま里の奥へと進んでいく。そして、この里の中では一番大きく立派な建物の前までやってきた。
長の屋敷だ。もっとも屋敷と言っても、藤ヶ崎にある水島の屋敷などと比べると、納屋みたいなものではあるが。
その長の屋敷は、ぱっと見は背の高い茅葺き平屋といった感じの代物である。
だが、そこは忍びの屋敷……当然、普通の建物などではない。
平屋にしてはやけに高さがあるのも、実は三階層の建物だからだ。隠し二階の建物のように見えて、屈んでようやく動ける程度の三階がある。二階は、やや天井が低いものの、普通に部屋として使える造りだ。
他にも、三幻茶屋の比ではない色んな絡繰りで一杯である。無論、私も全部は知らない。知っているのは長だけだ。
まさに神楽の里の業の粋が、ここにはある。
そんな屋敷は、植木と菱格子状に組まれた竹の柵で囲まれ、粗末な木製の格子戸の門が開かれたまま、竹林の中にぽつんと建っている。
庭も、ぱっと見はごく普通の庭だ。牡丹や水仙が植えられ、ちょいと見栄えの良い大岩が置かれていたり――――ただし、うっかり変なところを歩くと、落とし穴に落ちて竹槍に出迎えられたりなどする。
屋敷の門の前に到着すると、その門の陰からスッと人が現れた。
白髪交じりのざんばら髪を頭の後ろで束ねた、右まぶたの上に大きな刀傷のある男――上忍の半次様だ。長の実子で、次のこの里の長である。
「半次様、お久しゅうございます。鬼灯、戻りました」
「うむ、久しいな。だが、急にどうした。戻るとは聞いていなかったが」
「はい。急ながら、長に少々相談したい事がございまして」
「長に?」
半次様は軽く首を傾げる。
「はい。藤ヶ崎の者どもは思いのほか手強く、少々思惑が狂いそうです。それは、そう遠くなくこの里にも影響を及ぼしてしまうでしょう」
「ほう……」
半次様は片手を顎に当てて、少し考えるような仕草をした。興味を引いたようだ。
「その事で相談をと思いまして……。取り次ぎを所望致します」
実際の所、これは様式美というかけじめみたいなものだった。
金崎家における惟春などとは違い、長に『会う』事自体は難しくはない。現に、先程の宗介らも、今朝会って饅頭をもらっている。が、『忍び』として長に『目通り』する時には、この手順を守る事になっていた。忍びの里という組織の特性上、士同様に上下をはっきりさせておく必要性があるからだ。いざという時に、命令系統が混乱する事を避ける為の措置である。
私の申し出に半次様は、
「うむ、分かった。しばし待て」
と屋敷の奥へと戻っていく。私はしばらくの間、その場で待つ事になった。
「久しいの。元気でやっておるか?」
戻ってきた半次様に連れられ建物の中に入り、奥の間までやってくると、囲炉裏の前で天井から吊された鍋の中身をいじりながら、禿げ上がった頭の老人が好々爺然とした優しい顔で出迎えてくれた。
三代目・神楽蒼月――長である。
「はっ。お久しゅうございます、長。鬼灯、戻りました」
「ほっほっ。ご苦労じゃの。腹はすいとりゃせんか?」
長は相も変わらず目の前の鍋(雑穀と米のかゆにわずかばかりの味噌を落としたものだろうか)をかき混ぜながら、目線で差し向かいに座るように指示してきた。
「はっ。今は大丈夫です」
その指示に従い、一礼して着座しながら、そう答える。半次様も私が相談に来た話に興味を持ったのか、私の右前で胡座をかいた。
「そうか」
私の返事に、長は特に気にする事なく鍋に蓋をした。夕飯には早すぎる。『夕』ですらない。まだ昼だ。
部屋に来た時から思っていたのだが、こんな時間に食事を作ってどうしようというのだろうか。
私は、思わず首を傾げてしまう。
「ふふ。ちょっと惟春に呼ばれてな。儂が出かけるところだったのだ。出かける前に腹ごしらえをしておこうと、作っておったのだよ。何、少し多めに作ってある。遠慮したのなら、その必要はないぞ?」
私の様子に気付いた半次様が、その答えをくれた。
「ああ、いえ、大丈夫です」
「そうか」
半次様も、それ以上は勧めてこなかった。実のところ、食事を勧めてもらったのは有り難かったのだが、それ以上に話がしたかったのだ。
それに……半次様の言葉の中にも気になる部分があった。
「はい、有り難うございます。あの、それで、惟春に?」
話を戻す。
「うむ。なんでも相談があるとかでな。どうせ碌な話ではなかろうが、仮にも主だからな。無視する訳にもいくまい」
今一気乗りはしていなさそうではあったが、半次様は苦笑いを浮かべながら、そう答えてくれた。
「なる程……。ふふ、左様にございますね。下手に自尊心を傷つけると、あの男は大変です」
「そういう事だ」
半次様とそんな冗談を言い合う。その間、長は先程までと同じ優しい笑顔を浮かべたまま、黙って私たちの話を聞いていた。
前座は終わりである。
私は少し気持ちを引き締め直し、頭の中でこれから話す内容に筋道をつける。
そして、
「それで、長。今日こちらに参ったのは、藤ヶ崎の水島家の件にございます。実は――――」
と本題を切り出した。
現状の水島家について。佐々木伝七郎、神森武を筆頭とした新たに加わった俊英たちの話。その統治、政治。軍事的な今後の見通しなど。
私がこれまで見た事、聞いた事、調べた事。あらゆる内容について、知る限りすべてを話していった。
中でも、特に神森武である。
あの男は本当に油断がならない。他に類を見ない考え方をして、動きをする。今の状況だと、里がいつそれに巻き込まれても、なんら不思議はなかった。この里は、そういう位置にある。
だからそれを長らにも把握してもらう為に、普段定期報告で伝えていたものよりも、更に詳細な情報と分析を提示していった。
その判断を仰ぐ為に。