幕 鬼灯(三) 神楽の里
そのまましばらくは、二人の様子を見ていた。菊姫が神森武の部屋から去り、神森武が自分の部屋へと戻り行灯の明かりを消すまで、目を離さず静かに。
それを見届けて、私も館を後にするべく動き始める。その頃には、すでに館そのものが寝静まりつつあった。祭りの最中と比べても、また一つ違う静けさに包まれている。
それにしても、思わぬものを見る事が出来た。
菊姫と神森武は随分前三幻茶屋にやってきた事があるが、その時の二人の様子から、二人はおそらく『そういう』関係なのだろうとは思っていた。館に忍び込んだ時に見た菊姫の様子からも、それが窺えた。
しかし今日までは、なぜか決定的な場面を見る事は一度もなかった。
でも、今日のは決定的である。もう間違いないだろう。
あれなら、十分『使える』。
いざという時の切り札を、私は今日一枚手に入れた。
それから数日後、藤ヶ崎の町を離れた。もちろん、神楽の里に帰る為だ。
茶屋の事は紅葉と銀杏に任せて北の門から外に出ると、そのまま街道を北上していった。
始め、街道の分かれ道を東進したのだが、御神川手前ですぐに引き返す事になった。
御神川を渡る橋の手前にある、新しい北の砦の様子を見たからだ。
人の数が、工夫の数だけにしてはやけに多かった。同影の件で、通常の出入りまで厳しくなっている――その事に気づいたのだ。
北の砦の移設工事は着々と進んでおり、ぱっと見でももう外枠は出来上がっていた。中の建物はほとんど未着工であったが、兵らが寝泊まりできそうないくつかの建物はすでに建っていた。相当数の兵が常駐している事が容易に見て取れた。
だから、砦から少し離れた場所で様子をざっくりと眺めさせてもらい、そのまま踵を返す事にしたのである。正面から行って怪しまれたら、色々と台無しだからだ。戸籍のせいで色々と難しくなっている以上、注意はしすぎるくらいで丁度よい。
そして来た道をとって返し、二水を経て三沢に抜ける街道へと向かった。神楽の里に行くには、大きく迂回する事になるが、やむを得なかった。
二水を通る折に、ちらと以前巽屋だったところを覗いてみた。
すでに看板が下ろされ、まだ年端もいかぬ少年らが某かやっていた。多分、神森武の指示で動いているのだろう。二水に手を加えるようなので、おそらくは拠点にするつもりなのだと思われた。
それ以外には、まだこれといった変化は見られなかったが、神森武が二水を掌握してからの時間を考えれば、まだこんな物だろう。
これからも目を離す事はできないが、現状見るべきところはまだなかった。本来ならもう少し私たちが介入する隙間もあったと思うと口惜しくはあったが。
その想いを胸にそっとその場を去り、街道沿いに東へと向かった。
この先には三沢と、御神川を渡れる大きな橋があり、ここも金崎との国境辺りで、藤ヶ崎の者らによって厳戒態勢が敷かれているのは報告で聞いている。
永倉平八郎の懐刀――山崎次郎右衛門が来ているらしい。
老練な山崎次郎右衛門の手腕に、二水の町から、その北東にある三沢の町辺りでの仕事が非常にしにくくなったと、同影も書状の中でぼやいていた。確か十日ほど前に、木村又兵衛という侍大将とともに三沢に派遣されてきたと書いてあった筈だ。
この二人の将がやってきて三沢に常駐しだしてからというものの、国境を越えるすべての商隊が国境で管理され、ある程度の集団にされるようになったらしい。
その上で、山崎次郎右衛門ないし木村又兵衛の部隊が直接警護に当たっているとか。そりゃあ同影も仕事がやりにくいだろう。
もっとも、そんな事をすれば流通は滞る。領内の経済への影響は決して少なくない筈だ。
だが、それでも零よりはマシだと言わんばかりに、奴らはそれを断行した。
襲う方ではなく、襲われる方を制御する――――
なるほど一案である。襲う方が神出鬼没である以上、確かに有効だろう。
ただ、それを実際にやると決断できる者はなかなかいない。それによって発生する不利益を考えると、ほとんどの者は二の足を踏むからだ。
だが山崎次郎右衛門らは、それをやっている……。
『塩』という、こちらが狙っている物品をあっさりと見抜かれてしまったのも大きいだろう。実際、荷の中に塩がある時は、警備も厚くなっているようだ。
もっとも、確かにやったのは山崎次郎右衛門のようだが、とった対応の大胆さ、そしてこの対策が与える影響の大きさを考慮すると、あの家老三人の差し金である事はまず間違いないだろう。山崎次郎右衛門らは、それらを忠実に実行し、着実な成果を上げていると見るべきだ。
藤ヶ崎・水島家――本当に厄介な相手になってきた。
私は、そんな厳戒態勢の街道を使う訳にはいかず、途中で枝道に入った。そして、ほどほどの所で藪を漕いで獣道を歩き続けた。
御神川を越えて金崎領に入る為に。
兵や馬が通れるような大きな橋は、全部藤ヶ崎の連中に押さえられているだろう。だが、他にも橋はあるのだ。地元の者や猟師ぐらいしか使わないような細く頼りない吊り橋ではあるが、比較的川幅が狭くなっている場所にひっそりと架けられているのである。
だがそういう橋である為、ある場所が場所で、行き着くまでがあれだったが。しかしそのおかげで、どうにかこうにか朽木の町の近くまでやってくる事が出来た。
……まったく、冗談じゃないね。あいつら、本当にやってくれるよ。
顔にも腕にも体にも、カラタチの枝の棘をひっかけて傷まるけである。当然、旅衣装もボロボロだ。
それでもなんとか道らしい道に出て、ようやくホッと一息をつく。
ここらは三沢の南東あたりで、すでに金崎領だ。ここまで来れば、もう藤ヶ崎勢に追われる心配はない。あとは街道を通って、神楽の里へと向かうだけだ。
神楽の里は、三沢の町の北東にある朽木の町から、北東に更に半日ほど歩いた山の中にある。当然街道を外れたあとは、きちんと整備された道などないが、それでも藪漕ぎをするほどではない。この後は、先程までと比べればずっと楽な旅路だろう。
そして藤ヶ崎を出て丸三日ほどして、ようやく神楽の里に着く。本来ならば、途中で野宿をしても、私たちの足ならば一日とちょっとの距離である。ずいぶんと余分に時間がかかってしまった。
だが、なんとか到着する。久しぶりの里の姿に、少し心が穏やかになった。
神楽の里――――
忍びの里だからと言って、いや、忍びの里だからこそと言うべきだろうか――他の里と何が違うという事はない。見た目は、どこにでもある普通の山里である。
もっとも、それは見た目がという話であり、忍びの里は忍びの里。普通の山里などとは決して同じではない。
常人には分からないが、里を守る為の防衛用の罠が山ほど仕掛けられているし、常時それとなく巡回もしており、里の正面以外は猪の子一匹里の中には入れない。そして、その里の正面も誰もいないようで、道端の木々、ちょっとした丘や崖、あるいは畑の中など――いずこかで、必ず監視の目が光っている。
私は、その正面から堂々と中に入っていく。
特に門などがある訳ではないが、ここを通るしかないし、ここを通ればそれだけで来訪を告げる事が出来る。だからだ。今頃はもう、私が戻った事を告げに、長の元へと誰かが走っている事だろう。
私はゆっくりと長の屋敷へと向かう。
里には藤ヶ崎のような整備された道はない。が、畦道よりはいくらかマシといった『大きな道』は何本かはある。そこを進んでいく。
道中、久々の里の景色を眺める。
夏場には辺り一面緑で覆われるこの里も、今は刈り入れの終わった田んぼや、紅葉した葉っぱを落として枝を剥き出しにしている立木など、冬目前の枯れ景色だ。ふいと見上げた立木の枝の先で、百舌が残していった蛙が干物になっていて、冷たい風の中で揺れている。
幼い頃から見て育った景色そのままだった。
ああ、私の里だなあ――――
と、今更ながらの郷愁を感じる。
久方ぶりに緊張から解かれ、そんな感慨に浸っていた。すると、
「「「「ああ、鬼灯姉ちゃんっ!」」」」
刈り取りの終わった田んぼの方から、私を呼ぶ声が聞こえてきた。
そちらの方に首を回すと、いくつかの無垢な笑顔が、こちらに向かって駆けて寄ってくる。
可愛い見張り番たちだった。
となると、ここらだと……ああ、いたいた。
少し離れた丘の上に、この子らに気付かれないように、この子らを見守っている修行着を来た者たちの姿も見つける事が出来た。
懐かしいねぇ。
駆け寄ってくる幼い子らに『気付かれないよう』に、且つ本当に余所者が来て危険に陥る事がないように見守る事を、あの子らは修行として命じられている。私も両方ともやった。この子供たちも、子供たちを見守っている子らの方も、どちらも修行中なのだ。