幕 鬼灯(三) 鳳雛・神森武
その後神森武は、三浦与平や太助らを前に、とんでもない事を語り始めた。
二水の町を本気で再生するつもりらしい。
塩を作り売る為の働き手として、二水で太助らと共に製塩場に籠もった子らを見込んでいるらしいというのは、報告にも書いてあった。また、太助らを陪臣として実際に迎え入れている事からも、二水の町にてこ入れをしようと考えているらしい事は見て取れた。
いずれも、二水の町を落ち着かせる為には有効な手である。流石は神森武と感心していた。
しかし実際は、神森武の目はそんな目先の所ではなく、もっとずっとずっと遠くを見ている事を教えられたのである。
一見訳が分からない『祭り』……。
名物候補にする料理を用意し、それで人を集める事が出来るかどうかを見極めるつもりのようだ。あの町は塩で栄えていた過去があるだけに、確かに人を呼ぶ何かがあれば、また人の流れを呼び戻せそうではある。
なんというか、これ一つとっても、目の付け所が常人離れしている。
そもそも、自分の領地に種を撒き水をやっている領主を、私は知らない。奴らはいつも、刈りとるばかりだ。
しかし神森武は、そこからして違う。明らかに二水の町を育てようとしている。
正直、太助ら二水の民が羨ましくて仕方がなかった。
そんな領主――統治者に恵まれていたら、私らの里もこんな仕事に手を出さず、普通の山里として、慎ましくも幸せに、額に汗をしながら頑張っていたかもしれないのだ。
しかしそれと同時に、そんな弱い自分ではなく『くの一』としての自分が、羨んでいる場合じゃないと警鐘を鳴らしていた。
二水の町の位置である。
あそこは金崎領からにせよ、継直の領地からにせよ、藤ヶ崎を北側から攻める上で絶対に通らないといけない玄関口である。
そしてそれは、藤ヶ崎側から見ても同じ事が言えた。
だから先に北の砦に侵攻した折、藤ヶ崎勢から思わぬ反撃を受けて継直は領地をいくらか失ったが、とりわけあの二水の町を失ったのは、継直ばかりでなく金崎家にとっても、本当に痛かったのだ。
もっとも、実際に領地を奪われた継直と違って、惟春の方は今一危機感が薄いようだが。今も、見た目の国力の差に胡座をかいている。その口ほどには、本気で藤ヶ崎の者たちを警戒しているようには見えない。
神森武は、二水の重要性には当たり前に気がついているだろう。だからこそ、深く深く取り込もうとしているのだ。
二水の町が再び力を盛り返すようになれば、そこから生まれる税収によって、直接的にも藤ヶ崎の水島家を助ける事になる。しかしそれ以上に、そこまで町を再生する事に成功して二水の民に富を与えてやれれば、あの町は金輪際水島――いや神森武を裏切る事はなくなるだろう。
水島から見ればそれは、金崎領や継直の領地からの侵攻に対し、確かな味方と、強力な防壁を手に入れるに等しい。
そうなってしまえば、藤ヶ崎を攻め落とすのにかかる労力は、現在とは比較にならない物になるだろう。今でさえ、こうして攻めあぐねているというのにだ。
事実上、継直の所だろうが金崎だろうが、単身では落とせなくなる事請け合いである。
そんな話の次に、神森武は『畜産』とやらの事を話し始めた。
よくは分からないが、人を呼ぶ為の名物料理に獣肉を使い、その肉をとる為の獣を自分たちで育てようという事のようだ。
獣肉……あまり一般的とは言い難い食材である。日常的に誰もが口にしている物ではないから、確かにそれを使った料理ともなれば珍品には違いない。しかし、上流階級の者たちは勿論の事、庶人にもどちらかと言えば野卑な食材として認識されている。
なぜ、よりにもよって獣肉なのだろうか。珍しいだけなら、もっと楽な食材はいくらでもある。
そう思ったのだが、すぐに気がついた。人を呼ぶという神森武の言葉に乗せられて、『客』に喜ばれるという視点でしか考えていなかったから思わず見落としそうになっていた。
そう。あまり知られてはいないが、体を作るのには獣の肉はいい。だが体の臭いが強くなるので、忍びという仕事との相性は悪い。だから最近は口にしていないが、まだ修行をしていた頃には、体を作る為に偶に食べていた。
まさかとは思ったが、その事に気がつくとそうとしか考えられなくなった。
神森武は足軽どもの力を底上げするつもりなんだ。もちろん、今すぐどうこうなる話ではないだろう。が、後々を考えて、領内の兵の質を充実させようとしているのだ。
ゾッとした。
あの男は、一体どこまでの事に精通しているのだろう……。忍びでもないあの男が、なぜ忍びの体を作る秘術まで知っているのだろうか。
体が震えた。
しかし、そんな私を置き去りにして、神森武の話はまだまだ続く。
これ以上まだあるのか。
勘弁してくれ――そう思わずにはいられなかった。でも、逃げる事は許されないのである。そして、更に絶望させられた。
考え方が違う……。凡人とは、決定的に何かが違う。
『育つように図る』のが統治者の仕事、『育てる』のは民の仕事……。
違いすぎた。
自分の里のある金崎領の領主――金崎惟春の顔を思い浮かべる。
溜息しか漏れない。
これでは、間違いなく時間が経てば経つほど力の差は埋まっていく。遠からぬうちに、力関係は逆転してしまうだろう。
目の付け所も考え方も、何もかもが違いすぎる。しかも机上の話に止まらず、それを実際の国政に生かそうとしている。いや、すでにその成果の一部は出始めている。
どうにもならない。伊達に『鳳雛』などとは呼ばれていない。目先の戦だけではない。もっと大きな視点で、水島を勝利に導こうとしている。
認めたくはないが、正直戦うのが怖いと思った。自分が負ける姿しか思い浮かばない。あの男の言動を考えれば考えるほど、どこまで先を見通しているのか分からなくなる。
こんな事は始めてだった。
多分、私が気づいた事もおそらくは序の口の筈。実際には、もっとずっと深く、遠く見通している事だろう。
私一人では、とても勝てない――そんな敗北感を、戦う前から味わわされる事になった。
出来れば、向こうに与していたかった。そうであれば、こんな気持ちにならなくて済んだ。何より、同じ仕事をするにしても、もっと希望と忠節を持って、仕事に取り組む事が出来ただろう。
でも私は、『あちら側』ではない。あの男と戦うしかないのだ。
だから神森武に、このまま好き勝手やらせておく訳にはいかない。例え、『あんなの』であろうとも、里の契約主が金崎惟春である以上、私の主は惟春なのだ。
私は神森武が二水の話を終えるのを見届けて、隠れていた場所を離れる。来た時と同様に、大きく迂回して三幻茶屋へと戻った。
店に着くと、ちょうど神森武らが席を立ち、店を離れようとしている所だった。私は銀杏を呼んで、共に彼らを送り出す事にする。
店の前まで出て来てみた神森武は、先程あのようなすごい話をしていた人物とはとても同じ人物とは思えない――いつものちょいと助平で根明な兄ちゃんに戻っていた。
やはり、十分承知していても違和感がもの凄い。つくづく分からない男である。ぱっと見の印象で、『鳳雛・神森武』と『コレ』を繋げるのは、まず不可能と言ってもいいだろう。
ほんと、油断のならない男だよ……。
そう思いながら男好きのする笑みを浮かべ、
「また来ておくれ。待ってるよ」
と彼らを見送った。