幕 鬼灯(三) 神森武の来店
その翌々日の事――――。
神森武は、三浦与平や太助ら二水の少年らを連れて三幻茶屋へとやってきた。
その顔を店先で見た時には思わず呆れてしまったが、渡りに船とはこの事だった。先日は無駄に危険を冒す訳にもいかないからとやむを得ず館から撤退してきたものの、やはりもう少し様子を見ておきたかったのが本音だ。なのに、それが向こうからやってきてくれたのである。どうして喜ばずにいられようか。
面子を見ても、何か有意な話が聞ける可能性は低くない。ツイている。
ただ……あれは何なんだろうか?
神森武と三浦与平……、この二人はいいさね。共に武士らしくなく非常に軽い感じはするものの、それはいつもの事だ。武士としてはおかしいが、この二人としては別段何もおかしくはない。
が、その後ろでヘロヘロになっている太助たちはどうだろう……。というか、その太助らが押している荷車の荷物だ。ありゃあ、一体何なんだい。
大きな甕が二つに、大根やゴボウ……食料だね。他はちょっとここからじゃあ、よく分からないが……。
いずれにしても、一国の家老ともあろう者が、持って町をフラフラするような品物じゃあない。
そんな神森武ら一行だが、やはり今日も店先にある長椅子に陣取るつもりのようだった。
彼は、どうもあの外席が気に入っているようだ。店の中に入ってくる事もあるが、あの外席が空いていれば、大概あそこの席に着く。
荷車を押していた少年たちは、神森武が席に着くやいなや、同じ席にへたり込むようにして倒れ込んだ。相当重かったようだ。もっとも、見た目からして軽そうには見えないが。
「修行が全然足りネェ。ついでに根性もまったく足らんッ!」
三浦与平が三人の少年を叱咤している。神森武も大いに同意するかのように、何度も頷いていた。しかし三人の少年らは、へばっていてそれどころではなさそうだ。ぜいぜいと肩で息をするのに忙しい。
そんな一行に、私は『葉月』となって近づいていく。『葉月』なら怪しまれずに彼らに近寄れるから、あの荷物をもう少し詳しく見る事も、話の運び方次第では彼らから直接聞く事も出来るだろう。
「なんだいなんだい。死屍累々だねぇ。神森様、これは一体全体どうしたんだい?」
接客をしにきた振りをして、誘い水を注ぐ。
「や、葉月さん。ちょっと買い物しにきてね。休憩がてら、葉月さんの顔を見に寄ったんだよ」
神森武は、笑顔で私の顔をまっすぐに見たまま、しれっとそんな事を言った。まるで遊び人みたいだ。
ただその直後、あっという間にその視線は私の胸まで下がる。いつも通りに。
まだ少し修行が足らない。もっと自然にやれてこそ一人前――とりあえず、まだ半人前にも届いてないねと、心の中で苦笑いだった。
神森武は、いつもこうなのだ。
遊び人みたいな事を平気で口にするかと思うと、なんというか、女慣れしているようにはとても見えなかったりもする。なんともちぐはぐで、奇妙奇天烈な男だった。
「そうかい。そりゃあ嬉しいね。有り難うよ」
そんな胸の内を隠しつつ、私はいつも通りに軽く受け流す。
でも、私はこの男を知っている。同影からも詳しい話を聞いているし、私自身もすでに辛酸を舐めさせられている。だから、その態度のままにこの男を舐めるような事は決してしない。
しかし、目の前のこの男と、鳳雛としての神森武の人物像がきちんと重なっているかと問われると、それには首を横に振るしかなかった。
私も仕事柄、たくさんの人物を見る機会はあった。しかし、ここまで『落差』がある人物を見たのは正直初めてだった。
この男を見れば見る程、知れば知る程、混乱させられる。
だが、そんな事はおくびにも出さない。彼の前では、何も気付いていない、感じていない振りをし続ける。神森武はそんな私が気に入っているようなので、町の娘たちのように騒がずに、そうする事にしていた。
気持ちを切り替えて、
「でも、二日前に戻られたばかりなのに、神森様ともあろう御方が、こんなに沢山一体何を買いに来たのさ?」
と自然を装いつつも、可能な限り迅速に広範囲に視線を走らせ、荷物を確認する。
薬?
先程籠に入っていたり、包まれていたりして、遠目で判別できなかった物の大半は薬だった。
食料に薬……。こんな物をこんな量、一体どうしようというのか。
やはり、家老自らが買いに出て来るようなものじゃあない。
ますます分からなくなる。
「ははは。武様のやる事を何故と考え出すと、頭が痛くなるよ、葉月さん。『武様だから』で理解しておくのが一番頭の負担にならないって」
ケタケタ笑いながら、三浦与平が教えてくれた。どうやら、隠しきれずに疑問が外に漏れてしまっていたようだ。気をつけないといけない。
だが、なる程と納得させられた。三浦与平の言は至言だった。そう考えると、確かに神森武の言動についての理解は、この上なく捗る。
そう感心しながら、
「そうだねぇ……私も深く考えない事にするよ」
と、不審に思われないように話にも乗っておく。殊更大袈裟に、呆れたような溜息を吐いて見せた。
「ほっとけよっ。つか、葉月さん。耳が早いな。よく俺が出ていたのを知っていたな」
神森武は不満そうな顔で文句を言った後、すぐにそれまでの話を忘れたかのような調子で尋ねてきた。
そりゃあ、知っているさ。
内心ほくそ笑む。
だがそうでなくても、あれだけ町中で噂話が飛びかっている人物の行動なんて、放っておいても耳に入ってくる。
どうもこの男は、自分の立場というか、地位というか、そういう物には無頓着なようだった。私のような茶屋の娘と、こうして親しげに話をしているところからもそれは窺えるが、なんというか、言動を考えてみると、自分に価値を認めていないように思えて仕方がない。
そんな内心を隠し、会話を続ける。
「そりゃあ、私も客商売だからね。あれだけ庶人が騒いでいれば、話のネタに情報くらいは仕入れておくさ。二水に行ってたんだって?」
「塩を買いにね」
嘘つき。確かに塩を買いに行ったけど、違う事をやっていたじゃないか。
「ああ、なるほど。最近塩が高いからねぇ。なんでも行商の荷を狙う盗賊がいるとか。やだねえ。くわばら、くわばら」
私がそう言うと、神森武は本当に感心したように目を丸くした。
「ホントに耳が早いな。葉月さんて、見た目よりもずっと仕事熱心なんだな」
「『見た目より』は余計だよっ」
「武様、それは流石に失礼じゃないかと」
「ははは、悪い悪い」
まったく失礼してしまう。『どちら』の仕事も、こうしてしっかりと頑張っているじゃないか。
私はわざとらしく怒ってみせながら、心の中で舌を出した。
「それで、注文はいつものでいいのかい?」
神森武は、いつも煎茶と醤油を塗って焼いた団子を三串注文する。
うちのは醤油に蜂蜜を少し混ぜてあるため少々材料費がかかっているが、その甘辛い味が客にウケていた。神森武も、その味を気に入ってくれているようだ。
「ああ、五人分ね」
神森武は脳天気そうな笑顔を浮かべて、両手共に手の平を目一杯開いて見せる。
「はいよ」
そう返事する間に、神森武の目はまたもや上から下がり、私の乳に落ち着いていた。
なんというか、本当に女の乳が好きなようだ。私が接客に出てからずっと、私の乳を眺めていたような気がする。私と話している間、私の目を見ていた時間と私の乳を見ていた時間を比べると、下手をすれば乳を眺めていた時間の方が長いのではないのだろうか。
ただ、この男の不思議なところは、これだけ好色全開な癖に粘つくような嫌らしさを感じない事だ。視線は乳に、これでもかとへばりついているというのに……。
あからさますぎるからか、それとも他に理由があるのか……私自身も、自分のその感覚を理解しかねていた。