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姫様勘弁してよっ! ~異世界戦国奇譚~  作者: 木庭秋水
第四章
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幕 鬼灯(三) 二水の草からの報告



 二水の造反の芽は潰えた――――。


 一昨晩、草からの報せが届いた。神森武によって、巽屋為右衛門は失脚させられたらしい。報告に書かれていた所によると、三日前の事のようだ。


 二水の町に神森武が向かった時から嫌な予感はしていたのだが、残念ながらその通りになってしまったようだった。


 コン、コン、ココン。


 三幻茶屋の奥の奥、忍びとしての私の部屋の戸が、決められた拍子で叩かれる。そして、


「鬼灯様」


 と戸の向こうで、紅葉が私の名を呼んだ。ここ藤ヶ崎では私の妹――由利として生活しているが、この部屋にやってきた時だけは部下に戻る。


「何かあったのかい?」


 そう応えると、部屋の扉が音もなくスッと開いた。


「はい。二水より、また報告が届きました。こちらです」


 紅葉は茶屋で見せているような幼さを残した少女の笑みはなく、その口調同様に感情を凍らせたくの一らしい表情のまま、何枚かの紙を小さく折り込んだ物を、胸元から取り出し、こちらに差し出してきた。


 私は、その折り込まれた紙を受け取りながら、眉を顰める。


「まったく。いっぺんでお寄越しってんだよ」


 不快感に、思わず二水に忍ばせている草に対しての愚痴が漏れた。


 ただの八つ当たりなのは、自分でも分かっている。


 元々二水の仕込みは、そのまま成功するとは思っていなかったが、それでも折角仕込んだ謀があっさりと潰えたのは面白くない。そのせいもあり、少々虫の居所が悪かった。


 紅葉は、私が報告を受け取り折りたたまれた紙片を開き始めた所で、小さく一礼してそのまま隠し部屋を下がっていく。私がそうであるように、紅葉もまた茶屋娘の格好のままだった。この報告も、いつも通り茶屋の客を装って届けられたものだろう。おそらく、そのまま店へと戻る筈である。


 畳まれていた紙片を開き終えると、目を落とす。


 どうやら一昨晩読んだものとは違って、今度のは神森武が二水に到着してからの顛末を事細かに記した物のようだ。経緯とその後の経過が、細かい字でびっしりと詳細に綴られている。先の物は、とりあえずの結果だけを速報してきた物で、細かい部分はまったく記されていなかった。


 隙間のびっしりと詰った細かい字を追っていく。油皿の明かりしかないこの部屋では、段々と目が痛くなってくるが、そうも言っていられなかった。


 これは……。


 神森武が二水へと発ってから、まだひと月も経っていない。にも関わらず、これだけの事をやってみせたのかと、敵ながら思わず感心させられた。


 それ程に、すごかった。細かい報告が別に来た訳だと、得心がいったくらいだった。


 茶屋に、客としてやってきていた神森武の顔を思い浮かべてみる。


 どうにも印象が重ならない。


 神森武は、もう何度も三幻茶屋に顔を出している。どうやら、この店や私たちを気に入ってくれているらしく、いつもだらしない顔をしながら、団子を食べお茶を飲んでいる。


 だから、彼の者の為人(ひととなり)を見る機会は十分に得られた。が、その時に見ていた神森武と、この報告書の中の神森武はどうにも重ならない。


 助平で、ちょいとお馬鹿さんで、そのくせ素ではあまり口を開かない銀杏を気遣って色々と話かけてみたりと、意外に優しい所あるというのが茶屋で見る神森武である。


 言っては何だが、どこにでもいそうな、ただの気のいい(あん)ちゃんだ。


 だが、報告書の中に見る神森武は、なるほど鳳雛などと呼ばれるだけの確かな才気を放っている。優しさだけではなく厳しさも持ち合わせている。道永――同影に聞いた神森武、そして『くの一』としての私が見せつけられた神森武――それらと同じ神森武だった。


 本当に油断のならない男である。あの一見軽薄で間抜けそうな様子からは、とても想像が出来ない。その上、上っ面だけみて判断すれば火傷するだけでは済まず、確実に焼き殺される。質が悪い事この上ない。


 このまま手を(こまね)いている訳にもいかないのだが、どうしたものだろうねぇ……。


 頭が痛くなってきた。


 同影は、藤ヶ崎に塩が流れるのをきっちりと阻止している。藤ヶ崎の塩の値も順当に高騰してきている。彼の者の働きの成果だ。


 惟春の前で、あの男から『二水の町を押さえてくれ』と頼まれた時には、一体何をしようというのかと思ったものだが、なかなかどうして、やる。あの男を金崎に誘った時に感じた抱いた『変わった』という感想は、間違っていなかった。


 今も、三沢の町の少し北にある廃村を根城にして、地道に工作を続けている事だろう。


 ただ、想像以上に同影が使えたのはいいのだが、このままでは私の金崎家での評価が下がってしまう。二水どうこうよりも、神森武どうこうよりも、それがいただけない。


 蔑まれる事自体はどうでもいいのだが、それによって収入が下がるのは困る。里から使わされている私の評価が下がる事は、すなわち里の評価が下がる事に繋がる。延いては、里の収入に影響を及ぼしてしまう。


 それを許容する訳にはいかないのだ。これ以上減れば、いよいようちの里でも口減らしをするしかなくなる。


 そんな事を考えていると、焦燥感で再びイライラとしてきた。やはり面白くない。私の方も、神森武が二水の町に向かうまでは順調だったのに……と今となっては詮ない事をついつい思ってしまう。


 銀杏を送り込んで町の状態も、しっかりと把握できていた。だからすぐに巽屋為右衛門に接触し、為右衛門を抱き込む事にした。あの町は、町の長の権力がとても強い町だった。その為、為右衛門を押さえれば二水を押さえたも同然だったからだ。


 そして、為右衛門を釣り上げる事にも無事成功した。


 その時点で、計画の半分は成ったも同然だったのだ。しかし、神森武があの町に向かった事により、流れが大きく変わってしまった。


 私の計画では、二水は一旦金崎に取り込まれ、それを藤ヶ崎に落とされる筈だった。


 神森武や佐々木伝七郎、永倉平八郎が、二水をこちらに渡したまま大人しくしている訳がないし、惟春はあの町を藤ヶ崎への中継点くらいにしか思っていない。北の砦や東の砦を『襲った』藤ヶ崎勢が相手なのに、だ。あんな身を隠すものが何もない場所にいる軍隊など、どれだけいても簡単に倒してしまうだろう。


 だから結果的に、そういう事になると思っていた。


 でも、そうなっても問題はなかった。『私自身の仕事』は完遂できているのだから、その後どうなろうと私の知った事ではないと安心していられた。


 しかし、今の状態だと私の失敗になってしまう。これは予定になかった。


 脳天気そうに私の乳を見て喜んでいる男の顔が、再び脳裏に浮かぶ。実に憎めない男ではあるのだが、今この時ばかりは腹立たしくて仕方がない。まったくもって、やってくれたものである。


 思わず溜息が漏れた。それは存外深いものだった。


 この報告書を読む限り、今回私たちが二水を失った事は、ただ二水を失ったという事実だけでは済みそうにない。


 私にとって追い風だった物が、一気に逆風に変わたようなものだ。


 二水の町は、町の長の権力が強く私たちにとって実に好ましい状態だった。しかし今では、神森武が町の長の地位自体を為右衛門から取り上げ、且つその息子の太助を抱き込んでいる。それにより、私が狙い目にしたのと『同じ場所』を、神森武に押さえられてしまった格好になっている。


 同じ場所を押さえられれば、今まで私らにとって有利だった部分が不利に変わるのは必然だ。


 それを失念していた事を、悔やんでも悔やみきれない。神森武は、私が王手をかけた将棋盤を盤ごとくるりと回して、ニコリと笑いながら『王手』と言っている。


 まったく巫山戯た話だった。


 あれを敵として戦わないといけないのは、本当に恐ろしい。


 でも……、やらないといけない。私たちが生きる為にはやるしかない。


 とはいうものの、私が仕込んだ反乱の芽は神森武に根こそぎ引き抜かれてしまっている。挙げ句、もう一度手を出す事も出来ないように、きっちりと守られてすらいる。


 今打てそうな手はなかった。無理やり動いても、まず間違いなく徒労に終わりそうだ。


 どうしたものかねぇ……。


 悩ましい。


 フゥ……。


 溜息が止まらない。


 鬱々とするのは性分ではないが、今回ばかりは正直参っていた。目を揉みほぐしながら必死で考える。


 報告をそのまま信じると、どうやら神森武は、今後も二水の町に積極的に手を入れるつもりらしい。民たちを前に、そのような事を話したとの事だ。具体的な動きについては何も書かれていなかったが、それはこれからという事なのだろう。


 そこで何かやらかしてくれれば、再びこちらが手を突っ込む機会も訪れるかもしれないが、如何せんそれを指揮するのが神森武自身のようだ。望み薄である。あの男は、そんな温い相手ではない。


 同影には悪いが……、やはり私たちはしばらく様子見するしかなさそうだ。


 そう思うと、本日三度目の溜息が漏れた。


 だが、いつまでも溜息を吐いている訳にも行かない。私は気持ちを切り替える。


 手の中の報告書を机の下の箱にしまうと、油皿に手を伸ばして腰を上げた。

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