第百八十七話 さあ、お祭りだ でござる その三
その後も、千賀は興奮しっぱなしだった。
うちの隊の奴らが突貫作業で作った手作りのエセ御輿が出て来た時には、
「ぅおーっ、すごいのじゃあ……」
と、お姫様にあるまじき表情で、目を丸くして驚いていた。そしてすぐに、自分も担ぐんだと言いだし、再び俺たちを困らせたのである。
お姫様に御輿を担がせる――――それだけでも十分に問題だが、何よりも物理的な問題があった。背が足りない。もし千賀に担がせようとすると、他の皆は中腰である。そんなんで御輿など担げる訳がないのである。エセとは言え、それなりの重量はあるのだ。
当然、俺やお菊さんらは必死で千賀に諦めるように言い聞かせようとした。千賀も、俺たちの様子にどうも本当に駄目らしいと悟ったのか、これに関しては無茶を通そうとはしなかった。が、それはもうはっきりと、哀しそうな顔をした。
そんな顔をされてしまうと、何かいい知恵はないかと考えたくなるではないか。
ここまできて、こんな顔などさせたくない。そう考えた俺は必死こいて考えた。そして妥協案として、御輿の上でどうだと提案したのである。俺を含めた皆で、担いで櫓の周りを回ってやった。
千賀は、それはもう大喜びで大ハッスルしていた。
ちょい疲れたが、まあよしである。
そんなやんちゃなお姫様だが、今はお菊さんや咲ちゃんらと、櫓の周りで楽しそうに踊っている。お菊さんらの動きを真似しながら、不格好におそるおそる踊っていて、周りの観客の目を温かいものに変えていた。
そして俺は、茹でたザリガニにバター醤油を塗って炙ったものを摘まみながら、そんな千賀たちの様子を眺めている。
横に伝七郎と爺さんもいた。
伝七郎の奴は素面だが、爺さんは屋台で出しているどぶろくを呷りながら、同じザリガニのバター醤油焼きを口の中に放り込んでいる。
「これはなんとも珍しい味ですね。食べた事がない」
「儂もないな。が、なんとも酒が進む」
本来なら、ビールの方が合うんだろうがな。
そう思いながらも、俺は爺さんに頷く。
「バターを作ったからな」
「ばたー?」
「そのタレのコクを出しているものだよ。元は牛の乳だ。集めるのに結構苦労したんだぞ?」
そうなのだ。バター作るのも、こんな環境では重労働で大変だが、それ以上に牛乳を日常的に口にする習慣がこちらにはないものだから、入手するのに大変苦労させられたのである。
一応牛乳は、この世界でも滋養強壮の薬として使われていたり、『蘇』というチーズもどきの食材の材料として使われていたりしていた。とはいえ、入手不可ではなかったものの、容易に手に入るようなものでもなかった。
結局、兵を使った人海戦術で、藤ヶ崎近郊の村々を周り、雌牛のいる家から直接買って集めたのだ。当然乳牛などいないから、そのクオリティーは推して知るべしだが、それでもそれなりの物は作れた。こういった物が美味しくなっていくのも、今後の努力次第といった所だろう。
だが、それでも大いに期待できる。
集めた牛乳からバターを作る為に、俺はまたも職権を乱用した。鍛練だと強弁し、うちの朱雀隊の連中に密閉した小さな器に塩とその牛乳を入れた物を渡し、力の限りに振らせたのである。
バターが出来た時には、もう勘弁してくれと兵たちは嘆いた。
しかしその嘆いていた兵たちも、出来たばかりのバターを使って焼いた肉を食わせてやったら、目の色を変えて残りの牛乳を全部バターに変えたのだ。人間欲望を刺激されると、全力で物事に取り組む生き物だと再確認できた。
だがそのおかげで、今日の祭りに使うバターは確保されたのである。素直に感謝したい。
つか、今日の祭りが終わってもまだまだ余っているだろう。そのぐらい出来た。
試しに藤ヶ崎の市で、太助らにこのザリガニのバター醤油焼きを売らせてみるか。今日の祭りでは好評を博したが、庶民の中に出してどうなるか。試してみよう。
七輪の上でジュウジュウいいながら焦げた醤油の匂いと、バターの甘い匂いが合わさって、十中八九町中で飯テロを起こすに違いない。男女を問わずに、その胃袋と唾液腺を攻撃する事だろう。その効果はバツグンの筈だ。今から楽しみである。
水島家軍師の名を賭けてもいい。まず間違いなく上手くいく筈だ。
このザリガニのバター醤油焼きの他にも、同じく匂いによる吸引力の強い肉系の串物を出している屋台も客の入りがよかった。塩麹をつくって獣肉を柔らかくしてやったのだが、食べた者らの感想が新たな客を呼んでいた。他にも猪の肉をつかった豚汁もどきやら、山芋を材料にした餅もどきを醤油で焼いた物、唐辛子と蜂蜜、ニンニク、ショウガで甘辛く下味をつけた鳥を米粉で揚げた唐揚げなども、客の入りはかなりよかった。
物珍しさと、実際の旨さ――それで十分に戦える。
そう自信が持てた。そして、下地さえ作ってやれば、やはり肉食文化は根付くという確信を得る事もできた。
大成功だった。
千賀の我が儘と俺の思いつきによって突発的に開かれた『館祭り』だったが、こうして好評のうちに幕を閉じたのである。
「あらら、寝ちまったか」
中央の櫓に登り、祭りの終わりを告げて太鼓を叩いていた信吾らと共に千賀の下へと戻ると、お菊さんの背中でうっすらと笑みを浮かべたまま、幸せそうにスピースピーとお姫様は寝息を立てていた。
爺さんと伝七郎は、何か早馬が着いたらしく「主はこのまま続けていてくれ。とりあえず儂と伝七郎で話を聞いてくる」と言って、少し前に会場から館の方へと戻っている。だから今、千賀の周りには侍女衆しかいなかった。
「ふふ。武様が櫓に上ろうとしていた頃には、すでに船を漕いでおられましたよ」
おきよさんが、温かな視線を千賀に向けながら、そう説明してくれた。
こいつの側を離れてから櫓に上がるまで、三分もかかっていないんだが……。マジで、力の限り全力で騒ぎやがったんだな。
呆れたような、でも嬉しいような……ちょいと複雑な気分だった。
まさに電池が切れたといった感じである。俺はすいよすいよと気持ちよさげに眠っている千賀のほっぺたを、つんつんと突いてやった。すると、
「もう食べられないのじゃ~」
と、ものすごいベタな寝言を言った。ホントにこの寝言を言った奴を、俺は初めて見た。
思わず噴く。
そして、そんな俺とお菊さんの目が合った。
「姫様、本当にはしゃいでおられましたから」
と肩の辺りにある千賀の寝顔を振り返るようにして見ながら、お菊さんは優しい表情を浮かべる。
咲ちゃんや茜ちゃんも、お菊さんの背中で、また何やらむにゃむにゃ言っている千賀の寝顔を覗き込みながら微笑んでいた。
そんな時、婆さんがぱんぱんと手を打ち鳴らす。
「さあさあ、皆の者。祭りは終わりじゃ。姫様を寝室にお連れするぞ」
その声に、侍女の子らは撤収の為に周りを片付け始める。おきよさんは信吾の元へと歩み寄り、「おまえさん。おまえさんは今日はまだお務め?」などと夫婦の会話を始めた。
婆さんはそんな部下たちの様子を眺めながらも、俺に声をかけてきた。
「……小僧」
おきよさんと信吾の会話を横で聞きながら、(見せつけてくれるぜ……)とちょっぴり嫉妬を覚えていた俺だが、婆さんの方を振り向く。
すると婆さんは、
「こんな低俗な催事に姫様を参加させるなどどうかと思うが、姫様は本当に楽しそうにされていた。ここ最近では一番幸せそうだったと思う。感謝する。……ご苦労じゃった」
と少し言い難そうに躊躇いながらも、そう言った。そして俺の返事は待たずに、踵を返してスタスタと館の方へと歩いて行ってしまう。
やれやれ……まったく素直じゃないこって。
どうも、素直に俺を褒めるのは気恥ずかしいらしい。いつも文句や憎まれ口しか叩いていないその口で褒めるのは、婆さん的には憚られたようだ。
だから俺はその背中に向かって、
「おうっ」
とだけ答えた。婆さん的にも、きっとそれでよかったに違いない。
婆さんは、それに応える事も止まる事もなく、その場から遠ざかっていく。その婆さんの後を追って、お菊さんも歩き始めた。
その時一瞬、お菊さんは俺の方を振り返った。何かを言いたそうにしているように、俺には見えた。が、婆さんは歩いて行ってしまうし、背中に千賀は背負っているしで、結局お菊さんはそのまま何も言わずに行ってしまった。
なんだったんだろう?
そんな疑問が浮かぶ。が、とりあえず忘れる事にした。また明日も会えるのだ。明日聞けば良いのだ。
他の娘らも、次々と彼女たちの後を追い始める。皆、離れる前に頭を一つ下げて、
「とても楽しかったです」
「有り難うございます」
などと礼を言いながら。
やってよかった。
二水に客を呼ぶネタの方にも上々の反応を得る事が出来た。まだまだこれから色々知恵を絞る必要はあるが、間違いなく視界は良好である。