第百八十六話 さあ、お祭りだ でござる その二
叩き続けられている太鼓の音。
すでに秋も深まろうとしているのに、信吾と源太は裸になった上半身に玉のような汗を煌めかせている。その周りでも二交代で与平らが、ひっきりなしに篠笛を奏で、摺鉦を叩いて、皆に囃子を提供していた。各々の村でやっていたのか、全員思いのほか芸達者だ。
客たちは、それらの外で輪になって、思い思いに踊っている。これ幸いと意中の女を誘っている若い文武官らの姿も、ちらほらと見えた。
「なあなあ、たけるっ。あれもじゃっ。あれも食べてみたいのじゃ」
が、このお姫様は食欲の方が先らしい。
いや、厳密には違うか。
さっき、両手一杯に団子やら串焼きやらを持って踊りの輪に突進しようとしたのを、お菊さんに止められていた。
それで、今はお食事の方に専念している。そんな所だ。
千賀は指さし出来ない程に様々な串を手に持ちながら、更にあれも、そんでこれも、とこちらにアピールしてくる。当然、あれもこれもと差し示すその手は、もうずっとグーの状態である。
そして、千賀が今あれもとねだっているのは綿菓子だった。
そちらに目をやれば、太助が手動の綿菓子製造器のハンドルを必死で回しながら、吹き出してくる綿菓子を棒でくるくると巻き取っていた。結構器用なようだ。意外に上手である。
向こうの世界でも綿菓子は渡来品だった。だから、多分ここにはないだろうと睨んだのだが、その予想は的中したらしい。そのもの珍しさに、男女を問わず人気を博している。超々高級品の砂糖菓子ではあるのだが、買う為の列すら出来ていた。
甘い物が少ないこの世界では、これも十分に名物になりえる――そんな感触を得た。ただ、材料費がべらぼうに高く、どうしても上流階級向けの品になってしまうのがあれではあるが。
材料には和三盆を使っているのだ。といっても、黒砂糖と和三盆の間のような和三盆”もどき”ではあったが。
あちらの世界では高級和菓子に使われる砂糖として有名な和三盆だが、こちらでは――少なくともここ藤ヶ崎では、手に入る砂糖はそもそもこれしかなかった。それに、仮に上白糖やザラメがあったとしても、その値が安くなる事はないだろう。そもそも砂糖自体が貴重なのである。
それに物は考えようだ。庶民も気軽に楽しめるようになるには少し時間がかかるかもしれないが、それまで眠らせておく必要もないだろう。
ちょっとした店で、小綺麗な器に羊羹や饅頭と一緒に品良く少量盛れば、金持ち連中の目を釣れると思う。客寄せのネタの一つとしては、間違いなく使えそうだった。
だから、手動とはいえ俺の大体な説明で見事綿菓子製造器を作り上げた藤ヶ崎の職人に感謝したいと思う。
俺がそんな風に思案に耽っている今も、太助に代わって朱雀隊の隊員が、汗だくになりながらハンドルを回している。予想外の客の入りだったせいだろう。まるで鉄砲の三段打ちみたいに、一人が作ってはそれを持って客に渡して金を受け取り、その間にその後ろが……みたいな三人体制で店をまわしていた。
まこと上々である。
が、俺の足下で不満そうな顔で見上げる顔もあった。
勿論、千賀である。俺が太助らを見ながら、一人ウンウンと頷いていたのがお気に召さなかったようだ。要するに、「妾のをはよ」って事だろう。
俺は千賀の頭に手を乗せ、ぐりぐりと撫で回しながら「ちょっと待ってろ」と告げる。そして、敢えて客の列の後ろに並んだ。
千賀の教育上悪いからね。こういう所を子供はよく見ているもんだ。御当主様なのだから、特別扱いでも何も問題はない。しかしそういう事は、真っ直ぐに育った後に必要に応じてすればよい。俺は、そう思っている。だから、そうした。
千賀は大人しく、両手に一杯持っていた団子などを頬張りながら、わくわくテカテカと待っている。お菊さんや咲ちゃんら侍女衆が側に行き、千賀が串や団子を口にする度に汚す口周りを拭いてやっている。しかし本人の視線は、機械からわき出てくる綿菓子に釘付けだった。
皆が猫可愛がりするもんだから、お行儀の方はまだまだのようだ。お菊さんの苦労が偲ばれる。
俺の前に並ぶ客たちは、千賀のそんな様子を温かい目で眺めていたが、すぐに気を利かせて並ぶ列からどこうとした。千賀は当主であり、俺にしても家老の身である。彼らにすれば、後ろに並ばれるというのは、むしろ心苦しいのだろう。が、「大丈夫。今日はいいから」と笑って、そのまま並んでいるように告げると自分の番を待った。
そして十分ほど。ついに俺の番になる。
金を払った所で、千賀を呼んだ。
俺が持っていっても良いのだが、屋台の戦利品なり食い物は、おっちゃんなり兄ちゃんから直接受け取るところも祭りの楽しみの一つだと思う。折角、身の安全が保証された館祭りなのだ。千賀からそれを取り上げるのは、あまりにも可哀想だろう。串焼きとかは量も多かったから無理だったが、綿菓子なら千賀が直接受けとれる。
俺が呼ぶと、大人しく待っていた千賀が嬉しそうに「なんじゃあ」と言いながら、テテテと駆け寄ってきた。さながら、待てから解き放たれた子犬のようだった。
そこに太助が、
「ほら、姫様。大盛りですよ」
と、さっきまで他の客に出していた物の倍はありそうな巨大なふわふわを、にゅっと手を伸ばして千賀の目の前に差しだした。
ナイスだ、太助。やるじゃん。
太助の振る舞いは、祭りの屋台の兄ちゃんとして百点だった。
千賀はそのでっかい綿菓子に向かって、それはもうキラキラと星でも飛ばしそうな眼をして手を伸ばしている。
「ふっわふわなのじゃ~」
千賀は目をまん丸に見開いて、出来たての綿菓子を見つめながら言った。
太助の奴は、どことなく満足そうな顔で鼻先を指で擦っていた。
そんな、太助と偶然目が合う。
俺は奴にサムズアップしてやったのだが、奴はどこか恥ずかしそうにして、そっぽを向きやがった。まったくもって失礼な奴である。
そうこうしているうちに、千賀は大きな綿菓子の固まりに、躊躇うことなく顔を突っ込んでいた。綿菓子がでかすぎて、千賀の顔が完全に隠れてしまっている。しかし、そこからボフリという音でも聞こえそうな勢いで顔を放した千賀は、もうこれ以上はないというほどに目を細めていた。
「あまあまなのじゃ。食べると『しゅっ』なのじゃ」
まん丸ほっぺにちっこい手を当てて、そう言うと、再び綿の塊にかぶりつく。
そんな千賀を、お菊さんらはいつも通りの優しい眼差しで見守っていた。そしてその後ろでは、不満そうな様子で婆さんもその様子を眺めていた。伝七郎と、いつの間にやってきていたのか爺さんが苦笑いを浮かべながら、そんな婆さんを宥めている。
察するに、「姫様に相応しくない下品な……」うんぬん、こんな所だろう。想定内の反応だ。婆さんもいつも通りである。
婆さんは婆さんで千賀を大事にしているのは間違いない。しかし、どうしても千賀に対して下にも置かない扱いをしたがるし、周りにもさせたがる。それはそれで間違ってはいないのだが、俺とは考え方が違うせいで水と油だった。
ま、いいか。そっちは任せた、爺さん、伝七郎。
俺は婆さんから太助へと視線を移すと、
「他の皆の分も頼むよ」
と、お菊さんや、咲ちゃん、おきよさんなど、千賀の侍女衆の方を指差しながら注文する。
「あいよ。ちょっと待っててくれ」
太助は、幸せそうに綿菓子をパクついている千賀を、うっすらと笑みを浮かべて眺めていたが、俺の注文を受けると、すぐにうしろの朱雀隊の先輩らに、その注文を伝えた。
伝えられた二人のうちの一人が、こちらを振り向く。
「おまえら。綺麗なお嬢さんらへの贈り物だぞ? 名誉だぜ。気合いを入れてまわせ」
俺はそいつに、顎でしゃくり綿菓子機を差しながら、ニヤリとした笑みを浮かべて言ってやった。
そいつも、俺と同じくニヤリと笑みを浮かべる。男同士の以心伝心だった。
「「うおっす」」
二人の朱雀隊員は、俄然やる気をだした。
咲ちゃん、おきよさん、茜ちゃん……この辺りはすでに売れてしまっているか、売れてしまっていると言っても過言ではない娘らではある。しかし、千賀の侍女衆にはフリーの娘も多い。そして断言できるが、千賀の侍女衆は美女美少女揃いなのだ。
そりゃあ、男ならやる気の一つも出るというものである。出なかったら嘘だ。女に少しでも良いところを見せられるなら、それがなんであれ見せたい――そう思うのが、男心ってものである。それがなんであるかは、二の次の話だ。
ましてその相手が美女美少女なら、尚の事だろう。
太助も含めた三人は、さっきまでの五割増しの勢いで綿菓子機のハンドルを回し、そして十割増しの笑顔を千賀の侍女衆に向けた。
非常に分かりやすい野郎どもで、好感が持てる。が、太助よ。お前は駄目だ。自重しろ。
そんな風に、太助のこの後を心配してやった所で、後ろから声をかけられる。
「あら、武様。もしかして私たちに?」
おきよさんだった。にっこり良い笑顔で近づいてくる。
「ま、これくらいはね。ちょっと珍しい菓子だし、折角だから食べてみてよ」
出来上がったばかりの綿菓子を太助から受け取り、俺はそれをおきよさんに渡してやった。
「ふふ。おねだりしちゃったかな。でも折角なので、ご厚意に甘えさせていただきますね」
おきよさんはペロッと舌を出しながら、そう言って受け取ってくれた。
俺もそれにのっかる。少し芝居がかった仕草で胸の前に手を持ってくると、執事のように軽くペコリと頭を下げて、
「どうぞ、ご遠慮なく」
と澄し顔で答えてみせた。
するとおきよさんは、おかしそうに笑いながら、棒の先に着いた綿を指先でチョイとつまんだ。そのまま口に持っていく。そして、
「わあ……。あまーい。それに不思議。本当に『しゅっ』となくなるんですね」
と目を丸くして、微笑んだ。女の子が甘い物を食べている時の顔って、なんでこう幸せそうなのだろうか。
「あ。いーな、いーな、おきよさん」
他の侍女衆の娘らも興味津々だった。
「武様、武様。私も食べてみたいです」
いつも俺の世話をしてくれていて、親しくなった娘らからも、おねだりされる。まあ、元々皆の分を俺が出すつもりだったので、俺も普通に頷いた。
「勿論。皆一本ずつもらってくれよ。いつも世話になっているお礼」
「やったあ」
俺と年が近い若いお嬢さん方は小躍りしながら喜んでくれたし、少し年長のお姉さんたちは、俺に向かってペコリと頭を下げてきた。
これだけ喜んでもらえれば、奢り甲斐もあるというものである。俺も満足だった。
そんなお嬢さん方肩越しに、相も変わらず千賀が綿菓子の中に顔を突っ込んでいる姿が見える。そしてその千賀の側では、お菊さんがまるで母親のように優しい目をして千賀を見守っていた。
うん。やっぱ、やってよかったな。
こういうのも悪くない――そんな満足感に胸が満たされた。