第百八十五話 さあ、お祭りだ でござる その一
その後も少ない時間を目一杯頑張って、どうにかこうにか祭りの日を迎えた。
二日前に、準備の目処が付いたところで千賀にも教えてやったら、それはもう大いに喜んだ。部屋の中で跳びはねまわり、ただでさえ落ち着きに欠ける千賀ははしゃぎにはしゃいだ。
あそこまで喜んでくれたら、寝る間を惜しんで準備に励んだ甲斐もあったというものである。
それと同時に、館内への告知も済ませた。もっとも、こちらは告知の必要はなかったかもしれないが。告知した時には、もうすでにそれくらい知れ渡っていたのだ。
職権乱用して、使えそうな人間はすべて巻き込んでやったせいである。
俺一人苦労するなんてとんでもないという、誰が言い出したのかを棚に上げた俺様理論を、全力で展開させてもらった。でも、巻き込まれた皆も乗り気で参加してくれたから、問題なかったと思う……多分。このところ続いている戦いの日々の中で、突発的に起きた平和なイベントであり、一時の息抜きには丁度よかったのかもしれない。
まあ、その辺りの本当の所は分からないが、告知をした時には、そうして手伝ってくれた人たちの口から、その周辺にまで広く伝わっていたと、そう言う訳だ。事実上、知らなかったのは御当主様だけだったと言う。君主制の国において、その国体が問われてもおかしくない事態となっていたのである。
まあでも、問題なしだ。
その御当主様も、気になさっているご様子はない。というか、それどころではなかった。
昨日の千賀の部屋には、簾と見紛わんばかりに大量の『てるてる坊主』が首を吊っていたのである。どこのお化け屋敷だとのツッコミが、喉まで出かかっていた程に。
あまりにも頻繁に、「なあなあ、たける。明日はおまつりなのじゃ」とか「雨はだいじょうぶかの」とか、ソワソワと同じ事ばかり繰り返すので、大人しくさせる為にてるてる坊主の作り方を教えてやったのだが、伝七郎に呼ばれて小一時間ほど千賀の部屋を出ていた隙に、部屋の中がホラーハウスになっていた。
流石に多すぎると、お菊さんや婆さんは止めたらしいが、千賀は言う事を聞かずに全部ぶら下げさせたらしい。お菊さんら侍女衆は苦笑い、婆さんはとても深い溜息を吐きながら、じろりと俺を睨んだのである。
知らんがな。
そう思った俺を、誰が責められるだろうか。
どや顔で「これで明日は晴れなのじゃあ」と無邪気な笑顔を向けてくる千賀に、俺も何も言えなかった。俺は黙って、千賀の頭を撫でてやったさ。千賀はとても満足そうにしていた。
まあ、その大量に首を吊ったてるてる坊主のおかげかどうかは知らないが、本日は快晴なり、である。
朝から見事な秋晴れだった。千賀の執念の勝利だ。
外の様子を見る為に開いた障子を閉め、白絹の寝間着を着替える。そして、頬を一つ両手で張った。
――――さあ、『お祭り』だ。
赤く染まった西の空が暗くなり始め、流れる雲が紫から黒に変わろうとする頃、すべての準備が整う。本日は、朝から祭り開催に向けての細かい調整をしていて、今までにも増して大忙しだった。
が、その甲斐あって、すべての準備が完璧である。抜かりはない。後は、伝七郎が千賀を連れて出てくれば、祭りが始まる。
俺たちは今、生活している建物がある区画の北西部にいる。そこは庭園になっており、大きな池もある。その庭園の隅が千賀の部屋を出てすぐに見える庭だ。
だから千賀からは見えないように紅白の垂れ幕で隠しながら、ここの所ずっと作業をしていた。屋台を並べ、櫓を組み、その櫓から四方八方に綱を張って、紅白の提灯をぶら下げている。
陽も暮れ、祭りが始まろうとしている今、すでにその提灯にも火が入っていた。おかげで、普段は陽が落ちると真っ暗になるこの庭園も明るい。時折吹く風に池の水面が揺れ、そこに反射する提灯の明かりがテラテラと輝いていて、とてもよい雰囲気を演出している。
千賀が喜んでくれるといいなーと、そんな事を考えながら時を待った。
会場を隠していた垂れ幕を見て「あれはなんじゃ?」と尋ねる千賀に、「祭りの日まで、楽しみにしていろ」としか俺は答えていない。お菊さんらにも口止めをしてある。
どんな顔をするか、想像するだけで楽しめる。
「姫様、そろそろっすかねー」
与平が笛を片手にポンポンと肩を叩きながら、こちらに歩いてきた。
ねじり鉢巻き、サラシにハッピ、ふんどしを締めたケツも丸出しの『漢姿』だ。やはり男が祭りをするのなら、これに限る。このぐらい勇壮でなければならない。
これについては、俺がそう強弁して強行した。一部から――具体的にはどこぞのババアからは、案の定反対意見が出たが、押し通した。
館の中での祭りだからと言って、上品になどしてはならない。本物の祭りを千賀に見せてやるのだ。
まあでも、その一部以外には男連中にも、女連中にも好評だった。男は侍連中、女だってそういう家柄の者たちが多いので、もう少し抵抗があるかと思っていたが、意外にそんな事はなかった。みな普通に、『粋』と捉えてくれた。
という訳で、俺は勿論、太鼓を担当してもらう信吾、源太も、屋台の方を担当する太助ら三人も、とにかく企画側に参加してもらっている協力者全員、この姿だ。
すぐ横までやってきた与平に俺は、
「多分な」
そう答える。いや、本当にそろそろの筈だ。
「おーい、神森サマ。とりあえず汁物だけでも火入れしていいか?」
屋台の準備をしていた太助も、こちらに駈けてきて尋ねた。
俺は周りの様子を確認する。
すでに会場には、客としてやってきている館勤めの者らの姿も、ちらほらあった。
そう。祭りには『客』もいる。櫓太鼓、笛、御輿などと同じくらいなくてはならないものである。ちょっと考えてみれば、誰にも分かる事だ。『客』が自分の他に誰もいない祭りなど、何が楽しいものか。ガラだけ立派でも、そんなものは祭りとは呼ばない。
金を落としてもらう存在がいる。それも勿論大きな理由ではあった。しかし単純に、千賀に祭りを楽しんでもらう為には『祭りを楽しみにきている人』というエキストラも必要だったのだ。しかも、絶対に千賀に危害を加える心配のないエキストラが。
館の武官・文官連中なら、まず間違いない。だから今日は、企画として参加していない部下たちが、俺たちの『客』だった。
「おう。そろそろ人も集まってきているしな。千賀がやってきたら、すぐに祭りを始められるように準備しておいてくれ」
「あいよ」
太助はそう答えて、やってきた方へ再び駆け戻っていった。
それから十五分も待たずに、庭園の南側に設けられた会場入り口から、
「千賀姫ご来場~!」
との声が上がる。
それと同時に櫓の上で、信吾と源太が太鼓を叩き始めた。与平含めた何人かで組織された笛隊も、楽しげな音色で笛を奏で始める。
祭りの始まりだった。
集まってきていた者らも、櫓の周りに寄ってくる。
伝七郎に手を引かれた千賀も、右に左に落ち着きなく物珍しそうにきょろきょろとしながら、櫓に向かって歩いてくる。その後ろには、お菊さん始めとする侍女衆も付き従っていた。
千賀の顔は、驚きと感動に満ちあふれ、キラキラと輝いていた。
俺は、いや俺たちは、この顔が見たかったのである。