第百八十四話 屋台で出す料理を試作するよ でござる その二
「武殿っ!」
「は、はいっ」
「この食べ物の山は一体なんなのですかっ」
こちらへと振り向いた彼女は語気を荒げて、問い詰めてくる。
いやー、我ながら確かに買い込んだ気はするけど、これは投資みたいなものでもあるからして……。
俺は『心の中で』そう言い訳する。言ったら、食べ物で遊んではいけませんと雷が落ちそうだからだ。別に食べ物で遊ぼうという訳ではないが、こちらの食糧事情も考えれば、飽食日本の感覚とは乖離があって当然である。
やはり、この襷姿――俺を手伝い……いや、俺の代わりに料理をしようと来てくれたのだろう。
やべ、まだそうと決まった訳でもないのに、想像だけで胸が熱くなってきたぞ。感無量だ。
千賀に約束を守ってくれていないと責められた時、その場に彼女もいた。多分、それで気を利かせてくれたに違いない。
千賀に何かを作るつもりなのだろうと、手伝いに来てくれたのだと思う。しかしやってきてみれば、俺は二水名物にする為の料理を試作しようとしている訳で、厨の状態が思っていたのと少々違っていた。
で、「一体何なんですか」と。そんな所だろうか。
みりん、醤油とはちみつ、それに大蒜などを合わせて作ったタレを小さな碗から小皿に少し取って、お菊さんは自分で少し舐める。そして、
「これでどうでしょうか?」
と満足そうにしながらもう一枚小皿を取り、そこにタレを少し載せて渡してきた。
夫婦にでもなれたら同じ皿で渡してくれるのかなと、我ながらキモイ事を考えてしまう。が、まあ多分男ってそういうものだろう。というか、俺だけではないと信じたい。他にも沢山いるよ……きっと。
俺は本能のままに自由な自分と、やや冷静で理知的な自分の間で悶えながら、何食わぬ顔をして、出された皿を受け取り口を付ける。
うん。ちょっと蜂蜜の癖が強いけど、悪くない。つか、明らかに旨い。
こちらでは砂糖なんて高すぎるからな。薬屋で売られているのを見つけたが、値段がべらぼうなのだ。スーパーでキロいくらの砂糖を見慣れた俺には受け入れがたい金額だった。……まあ、少し買ってきたが。
で、甘みのほとんどは蜂蜜で代用しようと考えた訳である。
蜂蜜も十分すぎる程に高級品なのだが、砂糖ほどではない。共に希少ではあっても、原料の産地まで距離の差が如実に出ている。
砂糖は薬屋にあった。
そこから考えても、こちらでは味付けの中に甘みというものは少ないと思われた。おそらく庶民レベルだとほぼ皆無だろう。
でもだからこそ、多少の事には目を瞑る価値があった。甘みをなしにする事も出来るが、それで上げられるクオリティーを下げるというのもどうかと思うのだ。
そりゃあ、庶民に普及させようというのだから、あまり原価を上げる訳にはいかないのは事実だ。しかし名物を作ろうという目的を考えれば、調味料をふんだんに使って他では食えない味を生み出すという事は十分にありだと思うのだ。差別化イコール特色なのだから。
だが今は、そんな事は横に置いておきたい。
お菊さん……使い慣れた材料でも作り慣れた料理でもないのに、スゲーぞこれ。配合の加減がほぼ完璧だ。彼女、本当に料理のセンスがある。
まあでも、今の俺ってば、何食っても旨いとしか感じないかもしれないという可能性が微粒子レベルで存在したりするが。
なんでそんな事になっているのかと言えば、まあ、お菊さんが作っているからだね。間違いなく。
さっきから俺の心臓はバクバクいいっぱなしだし、喉も渇いて仕方がない。つか、あまりにドキドキしすぎて、皮膚感覚すら怪しくなってきている。
先程、厨に持ち込まれたあまりの量の食材に驚くお菊さんに、「千賀にはまだ内緒だよ?」と告げて『館祭り計画』のすべてを話して聞かせてからは、ずっとこうだった。
もちろん好評だった料理を二水の町に持っていって売ろうというとこまで含めて話した。話を聞いた彼女は、いつもは千賀を優しく見守っている瞳をこれでもかと見開いて驚いていた。「本当にそんな事をなさるおつもりなんですか?」など尋ねてきた程だ。
それに対して、「勿論だとも。もう伝七郎にも許可をもらっているしね」と笑って答えたら、「もう……なんて型破りな人」と呆れられたけどね。
ちょっぴり傷ついたのは言うまでもない事である。ああ……また変人だと思われてしまったか、と。
しかし彼女は、その直後に破顔して、
「では、お手伝いしますね。これでも、お料理は得意な方なんですよ。なんでも言って下さいな」
と言って、近くに置いてあった手洗い用の桶に両手を潜らせたのである。
そして、今に至っていた。
以降の俺はお菊さんのすぐ隣で、彼女とときどき肩がふれ合うような距離で立ったまま、食材の下ごしらえなどを手伝ったり、電子箱の知識を彼女に伝えたりしている。
料理人と助手が、真逆になったような状態になっていた。
俺が記憶の中の料理のレシピを伝える度に、
「武殿は本当に色々な事をご存じなのですね。殿方なのにお料理の事までご存じなんて、とても驚きました」
と、お菊さんはとても楽しそうにしている。
心拍数が上がって仕方がなかった。その表情が魅力的すぎて。
当初は、こうして下ごしらえを手伝う事にすら彼女は難色を示したが、ダダを捏ねてよかったと、今俺は心底そう思っている。
この幸せをどぶに捨てるなんて、勿体ないなどというレベルではないだろう。
七輪を用意し串に刺した肉を並べ、彼女が作ってくれたタレを肉に塗りながら、俺は一人頷いていた。
そして、火力を上げる為に団扇で必死に扇ぐ。
煙が立ち上り、それでもなおしばらく扇ぐと、プワ――――ンと良い匂いがしてきた。
厨の土間で、七輪の上に乗っている串肉と塗られたタレが適度に焦げ始めたのだ。それだけではない。肉からジュワッと肉汁がしみ出る様が目を、脂が炎に炙られ爆ぜる音が耳を、刺激し胃袋をつつく。
堪らない。
でも、俺の視線はほぼ別の所に釘付けだった。
無論、お菊さんだ。
先程からずっと、とてもご機嫌だった。手伝いどころか、もうほとんどメインで、俺の代わりに料理を試作し続けてくれている。
俺は知識を提供したり、味見をしたりしているだけで、本当にちょっとした手伝いをしている以外、何もやっていない。
おかげで、彼女が料理をする姿をこれでもかと堪能する事が出来ていた。
包丁でリズミカルにトントンとまな板を叩き、耳から流れ落ちた髪を再びかけ直す仕草なんかを見た時には、その色っぽさにドキドキしていた心臓が爆ぜそうになった。その後も彼女は、そんな俺の視線に気付くことなく芋の皮をつるつると剥いていたが、俺自身は後ろから飛びかかりたい衝動に襲われて、我慢するのが大変だった。
焼けてきた肉のおかげで、性欲が少し食欲に置き換わってくれて、ようやくなんとか耐えているといった体たらくだ。
俺は、肉を焼いている七輪を団扇で煽りながら思う。
彼女は、生まれ的にはお姫様に分類される筈なのになあ、と。
本人も言っていた通り、確かに彼女は料理がとても上手だ。味付けのセンスもそうだが、包丁捌きを見れば料理する人かどうかなんて、すぐに分かる。彼女は間違いなくやっている人で、出来る人だ。千賀の部屋を掃除している所も見た事があるから、他の侍女ら同様に掃除も完璧であろう。
それは大変すばらしい。すばらしい事なのだが、どう考えてもお姫様っぽくはない。彼女は世話をされる人というより、する人といった感じだった。
多分に千賀のせいではあろう。でも、それだけが原因とも思えない。
彼女の資質なのだと思う。
そして本当の意味で俺が惚れたのは、そこの部分のような気がしていた。
もし彼女が生粋のお姫様系だったら、『綺麗だ、凄い美少女だ』とは思っただろうが、それで終わっていた様に思うのだ。調子に乗って口説こうとはしただろうが、惚れたかどうかまでは正直分からない。
でも俺は今日、料理をしている彼女の後ろ姿を見ていて、心底『この女が欲しい』と思ってしまった。
真面目で働き者で、料理上手で、気立ても良く、おまけに恐ろしいほどの美人でもあるお姫様。まさに天が何物も与えたような人で、どう考えても俺には不釣り合いである。
それにも関わらず、だ。
彼女のどこが凄いって、実はそこが一番凄い所だろう。男を奮い立たせる。
ちょっと真剣にどうにかしよう。
俺は、そう心に決めた。