第百八十話 美人三姉妹の茶店 でござる
そんな事があったのだ。
大丈夫と答えたにも関わらず、それを聞いたお菊さんは胸元で手をキュッと握りしめて俺の顔を見上げていた。まっすぐに見つめるお菊さんの視線に堪えきれなくなった俺が「大丈夫だよ」ともう一度言うまで、彼女は俺を見つめていた。
よほど頼りないと思われているのか、心配させてしまったようである。ちょっとヘコんだ。
もっとも、気持ち的には行って来いってな感じで、プラスマイナス零といった所だろうか。あまりにも真っ直ぐに見つめていた事に気付いたお菊さんが、顔を赤くしながらフイッと横を向いたりしたので、思う存分堪能させていただいた。とても可愛かった。
だが、それはそれとして、
まだまだ頑張らにゃーな
と、そう思う。俺も男なので、惚れた娘にあそこまで懐の心配をされると奮起せざるを得ない。
ジッと見上げてたもんなあ。ありゃ、相当心配していたぞ。
そんな事を思いながら俺は、まだまだ買いたりない祭りの準備のための物資を買い集めるべく、次の目的地に向かって足を進めた。
後ろでは「押せーっ、根性がたりねぇーっ、遅れてんぞーっ」とへばっている三人を叱咤する与平の声が元気に響いている。ノリノリだ。叫ぶ与平の声に混じって、三人の悲鳴も聞こえる。口が動くあたり、まだまだ耐えられそうだった。
与平曰く、これも重臣の側を守る兵に必要な、最低限の力を養うための鍛練なんだそうだ。
昨日から、太助ら三人は信吾ら三人の指導のもと、鍛練を開始していた。初日から相当がっつりやったという話を信吾から聞いている。そのせいだろう。朝方出発前に、『今日は町だから、鍛練なしだっ』と太助らは大層喜んでいた。
しかし、やってきた与平に、今日の鍛練だと出発時から荷車に腰程まで高さのある甕を二つ載せられ、水を満タンに注げと命令されていた。
十分買った物を載せられるスペースは残っていたので、俺はそれを許可した。そして三人は、その時から悲鳴を上げ続けている、とまあそういう訳である。
しかし、あれだな。そんな無茶を、なんだかんだで熟せてしまうあたり、さすがにこちらの人間だなと言わざるを得ない。皆、超人的にタフだった。
「もう……勘弁してくれ……」
荷車に寄りかかりながら天を仰ぎ見る太助。
「……いっそ、ひと思いに」
「…………」
吉次もぜいぜいと荒い息を吐きながら、泣き言を並べた。八雲に至っては、店の長椅子に座った瞬間下を向いて、どこのボクサーだと言いたくなるほどに真っ白になって燃え尽きていた。
今日予定していた買い物も粗方済み、俺は三人へのご褒美もかねて、帰る前に三幻茶屋で休息をとる事にしたのだ。
ところがである。
せっかく美人姉妹がやっている茶店に連れてきてやったのに、こいつらときたら、この有様だった。
与平ではないが、根性が足りないと言わざるを得ない。もしくは、女の子との接点というものを軽く考えすぎである。まあ、太助はリア充みたいだし? ありがたみが分からないというのも理解できるが? ヤベ……なんか殺意が湧いてきた。帰る前に甕をもう二つほど買って、中に石でも詰めてやろうか。
店に着いても、へばったまま動かない新・三馬鹿を眺めながら、そんな事を考えていた。すると、
「なんだいなんだい。死屍累々だねぇ。神森様、これは一体全体どうしたんだい?」
と横から声がかけられる。葉月さんだった。美人三姉妹の長姉だ。
お菊さん同伴でこの店にやってきてから、町に出る度に足しげく通い込んで、最近では随分と親しげに話しかけてくれるようになってきた。
最初の来店で『水島家の神森武』であることがバレて以降、商売人らしく愛想こそはよかったものの少し緊張させてしまっていたものだが、最近ようやく、どことなくあった不自然さがなくなってきた。
おかげで俺の目の保養も捗る捗る。
素の彼女は、さっぱりとして割と歯に物着せぬ物言いをするので肩も凝らない。おかげで、気持ちよく鼻の下も伸ばしていられた。これは、彼女の沢山ある魅力のうちの一つだと言えよう。
そんな分析をして一人納得しながら、やーらかそうな大きなおっぱいがユサリと揺れるのを楽しんでいると、にゅっと団子ののった皿が目の前に突き出された。
「……ん」
その葉月さんの横で小学校高学年ぐらいの女の子が、団子ののった皿を一つ突き出しながら、こちらを見ていた。末妹の美空ちゃんだった。
最初俺がこの店に来た時には、彼女はいなかった。葉月さんと、真ん中の由利ちゃんだけだった。しかし、何度目だかにこの店を訪れた時に彼女がいて、(美人姉妹の店じゃなくて、美人三姉妹の店だったのか)とびっくりしたのを覚えている。
もっとも彼女は、『美人』というには少々幼すぎて『美少女』と呼ぶべきかもしれないが。
年齢云々以前に、出るとこがサッパリ出ていなくて、ぺったんこだ。姉二人を見る限り将来には大いに希望が持てると思うが、現状は大平原である。起伏らしき物はまったく見当たらない。
「おやおや、神森様は幼い方が好みなのかい?」
美空ちゃんの胸を見ながら、「はやく大きくなーれ」と心の中で声援を送っていた俺を見て、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべた葉月さんがからかってきた。
「ちゃうわっ!」
「えー、武様それは不健全ですよ。ちゃんと膨らむまで待ちましょうよ。お菊さんに言いつけますよ?」
「だから違うと言っとろーがっ。つか、ヤメレ。淡い恋の物語をなんと心得おるっ。最近やっと、なんかいい感じになってきたばかりなんだぞ? お前はそんなに俺が憎いのか」
「男ってのはしょうがないねぇ」
葉月さんにのっかって、与平はニヤニヤ俺を脅すし、葉月さんはこれ見よがしに溜息なんかついたりしているしで、散々だった。
「だから違うと言っとろーがっ!」
俺はやけくそ気味に叫ぶ。そしてちょっと乱暴に美空ちゃんから皿を受け取り、団子の串を二本ひっ掴んで、いっぺんに頬張った。
畜生。分が悪いったら、ありゃしない。何言ってもからかわれそうだ。
「おやおや、からかいすぎましたかね」
葉月さんは、そんな殊勝な事を言いながらも、とても楽しそうに笑う。その表情からは、とても反省などしているようには見えなかった。与平の方は言わずもがなで、『反省? 何それおいしいの?』状態である。
この一団では年長者にあたる者たちが、揃って馬鹿をやっていた。真に嘆かわしい。
美空ちゃんを見ろよ。姉らにネタにされても、まったく表情を動かす事なく、こちらを無視して淡々と団子の皿を配ってんぞ? ……うん、これはこれであれだな。
美空ちゃんは、あまり感情を表に出さない。
最初の頃は嫌われているのかと思った程だ。最近になって、動かない表情の中にも感情を少し読み取れるようになってきたが、基本的にはいつも口数少なく大人しく、何か用があってもジッとこちらを見つめて待っているような娘だった。勘違いしたのも仕方がなかったと、今でも思う。
ただでさえ整った顔つきをしており、幼さと相まって人形のようなイメージを受けるのに、この情動のなさは更にそのイメージを強く与えてくる。実際は、全く何も感じていないなどという事はなく、本人なりに感情を表してはいるのだが。
そんな難儀な彼女ではあるが、意外にも仕事はちゃんと熟せている。
見ていると、テキパキと手際よく配膳をしたり、注文をとったりと、きちんとお姉さんらを手伝って、しっかり接客をしていた。普通彼女みたいなタイプは接客業は向かないと思うんだが、これが予想外にきちんとお手伝いをしていて、びっくりさせられる。
そんな娘だった。
千賀とはまた違うタイプだが、気にかけてやりたくなる女の子だった。だからこの店に来ると、俺は割と美空ちゃんに話しかけるようにしていた。
その成果として、注文の品を持ってきてくれた時に「……どうぞ」と言っていたのが、最近「……ん」に変わったのである。
葉月さん同様、親しくなったからだと思うんだ……多分。