第百七十九話 千賀のおねだり でござる
「な、なあ、おい、神森サマ。まだ買うつもりか?!」
「当然だ。お前ら、まだへばるんじゃないぞ? 気張れっ!」
俺の後ろで太助が情けない声を上げた。が、俺はすげない言葉を残して、すたすたと先に歩いて行く。
「嘘だ」
吉次は嘆く。
「もう勘弁して下さい」
八雲は、泣きが入った。
そして、その様子を見た与平が、
「鬼ですね、武様」
と苦笑いを浮かべた。
俺は太助、吉次、八雲、与平を連れて、藤ヶ崎の町に買い物に来ていた。与平は俺の護衛で、他三人は荷物持ちである。太陽はそろそろ真上に差し掛かろうとしており、もうすでに何軒かの店を回った後だった。
三人の荷物持ちの少年らは、店を一件回るごとに荷の背丈が高くなる荷車を押しながら、その手には荷車に直接乗せられない細々とした物を風呂敷に包んで持っている。すでにひと頃よりずいぶんと涼しくなってきてはいたが、三人が三人とも、額はおろか着物も汗でぐっしょりとなっていた。
力仕事をしていない俺や与平でも、額には汗が浮かんでいる。要するに、それだけすでに歩いているという事だ。そんな状態なので当然と言えば当然ではあったが、三人ともヘロヘロになっていた。
そしてそれにも関わらず、俺に「まだまだ買うヨー」などと言われたのである。嘆く気持ちも分からないではない。勘弁してくれと言いたくもなるだろう。
が、勘弁してやる訳にもいかないのだが。
そもそも、なんでこんな事になっているのかと言えば、その原因は我らが小さな主様にある。あのチビの『お願い』を叶えてやるべく、こうして頑張らねばならなくなっているのだ。
二水の町から戻ってすぐ、太助らを連れて千賀に面通しをし終わった後の事だった。
「……は?」
「だーかーらー、ちゃんと聞くのじゃあ」
千賀が俺の頭をがしっと掴んで揺する。
いや、聞いているがよ。つか、目が回るわ。やめれ。
「お祭りに行きたいのじゃ」
千賀は俺に抱き上げられたまま、両手の指をもじもじと絡ませつつ、縋るような目を向けてきた。
俺がいつ帰るのかを皆に聞いたりして待っていたとの事なので、何らかのおねだりがあるだろうとは思っていた。しかし、なんとも難度の高い要求であった。そう言わざるを得ない。
祭りなんて、どこの誰とも分からぬ人間が溢れかえるような場所に、千賀を連れてなどいける訳がないではないか。かといって、祭りの最中に、千賀の安全を十分に確保しようとすると、祭りをぶち壊しにすること受け合いである。そんな事をしたら、民たちから大顰蹙を買うだろう。その事態をちょっと想像してみるだけでも、民の恨み節が幻聴として聞こえてきそうだ。
前に、町の視察という名のお菊さんとのデートにくっついて来た事があったが、もし祭りなんかに連れていけば危険度はあの時の比ではない。あの時でさえ人通りが想像以上に多かった為、警護にあたってくれていた信吾に相当の負担をかけたのだ。祭りは、流石にヤバすぎる。
「いや、千賀ちゃん? それは流石に無理だろう?」
思わず下手に出てしまう程に、無理な注文だった。
しかし俺がそう言うと、千賀はうりゅっと目の端に涙を溜め始める。
わ――――っ。泣くなっ、泣くんじゃないっ。
俺は慌てたが、千賀の涙玉は刻一刻とその粒を大きくしていく。そしてついには、鼻をスンスンと言わせ始めた。
ぎゃ――――っ。こんなん俺にどうしろと。
二水の町で難題を一つ片付けてきたばかりだというのに、息を吐く間もなく、俺は再び大ピンチを迎えていた。
千賀を抱いたまま、みっともなく右往左往する俺。
そんな俺を見かねたのか、お菊さんが困った顔をしながらフォローに入ってくれた。
「姫様。だから申し上げたではございませんか。いくら武殿でも、これは難しいと言うと。伝七郎殿も『流石に危険すぎます』とおっしゃっていたでしょう?」
小さく口を噤むようにして尖らせ、しゃくり上げている千賀の頭をそっと撫でながら、お菊さんは優しくそう言って聞かせる。
「でも、たけるならなんとかしてくれると思ったのじゃ。おいしいものも、まだ作ってくれてないのじゃ。はりせんぼんなのじゃ」
グサッ。
口の中で呟くようにグズる千賀の言葉が、俺の胸に深く突き刺さった。
そーいや、まだ約束を果たしていなかったっけ。
何か美味しいものを作ってやるって約束していたのに、忙しさにかまけてずっと放りっぱなしだった。
この前、また今度と約束し直してから千賀が何も言ってこなかったのは、忘れていたのではなく、千賀なりに俺に気を遣ってくれていたからなのだろう。でも、今回ついつい我慢していた思いが一緒になって口を突いてしまった。そんな所だろうか。
勿論、あれはあれ、これはこれと言うのは容易いし、間違いなくその通りではある。
しかし、それではあんまりだろう。約束を果たしていないのも事実なのだ。
んーむ。こりゃ、なんとかせん訳にはいかんね。
千賀の教育にも悪い。約束一つ守れない君主になど、千賀にはなって欲しくない。
目の端に今にもこぼれ落ちそうな涙を溜めて、お菊さんに頭を撫でられている千賀を眺めながら、俺は必死こいて頭を使った。
そもそも、なんで千賀がこんな事を言い出したのか。
それをお菊さんに問うたところによると、俺が二水に行っている間に、藤ヶ崎で秋祭りがあったとの事だった。この町も元は農村だったらしく、収穫祭に端を発する祭りが、こうして大きな町となった今でも行われているらしい。
そして、その祭り囃子が館まで聞こえてきて、「あれは何なのじゃ?」という話になったのだそうだ。
千賀は祭りという物を知り、見てみたいと言いだした。領主の娘として生まれた千賀は、世俗の祭りなどとは縁遠い世界で生きてきた。行った事見た事どころか、聞いた事すらなかったようだ。聞こえてくる楽しげな囃子に、ただただ興味を掻き立てられていたようだったと、お菊さんは話してくれた。
そして、ついに「行ってみたいのじゃ」と言いだしたらしい。
婆さんや、お菊さんは、あまりにも危ないだろうと心を鬼にして駄目出しをしたそうだ。
しかし千賀は諦めず、伝七郎、爺さんとお願いに行き、当然と言えば当然だが、よい返事はもらえずに、最後の頼みの綱として俺の帰りを待っていた――――と、そういう話だった。
やれやれ、まいったなあと俺は頭を掻きながら、ふと気付く。
あれ? 肝心の祭り自体、もうとっくに終わってるんでね?
それをお菊さんに確認してみると、やはり終わっているとの事だった。当然だろう。そんなに何日も何日もやる祭りなんて滅多にないし、今現在祭り囃子が聞こえてきていないという事は、必然的にそういう事になる。
だが、それでも千賀が納得してくれないらしい。
祭りという物を知らない千賀は、いつもやっているものだと思っているようだった。しかも困った事に、皆に駄目駄目言われすぎて、もう終わっているとの言葉にも「嘘じゃ」と言って、この件に関しては話を聞いてくれなくなってしまったと、お菊さんは弱った顔をして言った。で、その問題の種は、俺が帰ってくるまで、「たけるにたのむのじゃーっ」と気勢をあげ続けていたそうな。
その話を聞いて、頭が非常に痛くなった事は言うまでもない。
とは言え、『針千本』のお約束まで出して、必死に食い下がる姿を見れば、ここで無下に扱うのもどうかと思われた。千賀はまだ幼い。道理云々も大事だが、他にも大事にしてやるべき所がある。そもそも俺が悪い訳で、幼い子供がするには十分すぎる我慢を、千賀にはすでにさせている。今度は甘やかしてやる番だろう。
しかしながら、すでに祭りは終わっているし、仮にご近所で近々あっても、そこに千賀を連れて行くというのは、どうにも危険すぎる。
どうしたものだろうと、悩ましかった。だが、ふと閃いた。
あ、いや、待てよ?
連れて行けないというなら、連れて行かなけりゃいいんじゃね?
すでに終わっているというならば、これから始めればいいんじゃね?
これで解決じゃん、と。
祭りに『行く』のではなく、祭りを『しよう』――――。
それに気がついたのだ。発想の転換である。
しかし、ただ一つ重大な問題点もあった。それは、
(予想外の出費になるなあ……)
これである。これから二水で金が必要になる。それを考えると、あまり金を無駄遣いする訳にもいかない。
だが人間追い込まれると、某かの知恵が出てくるものである。
あ、でも、館内でやろうって訳だから、学祭みたいなノリでいいよな。酒や肴も屋台で有料で出して、いくらかでも回収すれば俺の負担も最低限で済むじゃん。
そんな事を思いついたのだ。
そのアイデアも含めて、俺はもう一度最初から計画を描き直す。本当に出来るか。無茶はあっても、実現不可能な無茶はないか。それらを検討していく。そして俺は、
「喜べ、千賀。お祭りを見せてやるぞ」
と言ってやった。
それを聞いた千賀は、今の今まで泣きべそを掻いていたのに、もうこれ以上ないと思える程に大輪の笑みを咲かせた。もう、まさにパアッと周りが明るくなったような気がするほどの笑顔だった。
「た、武殿? そんな事を約束して、本当に大丈夫なのですか?」
お菊さんは、慌てて俺に向かって確認してくる。
この千賀の笑顔を見れば当然だった。これでやっぱ駄目なんて話になったら、どれほど千賀の心を傷つけるか。お菊さんは、それを恐れているのだ。
でも俺は、それには自信を持って頷く。最悪いま俺が持っている金だけでも、内輪で小さな祭りを開く事くらいはできる。問題は、いくら伝七郎が俺から塩を買ってくれるといっても、二水の町の再建に着手するなら金が幾らあっても足りないという事であり、要するに少しでも最終的な支出をおさえたいという部分だけであった。
だから、
「大丈夫。なんとかしてみせるよ」
俺は苦笑いを浮かべながら、彼女にそう答えた。
それは、ただただ純粋に千賀を喜ばせてやりたいという気持ちと、千賀にお約束の件を出された以上引くに引けぬという気持ちがない交ぜになった、俺の今の心をよく反映した言葉だった。