第百七十七話 塩止めをしていた賊徒について でござる
そう尋ねたところ、伝七郎は少し渋面になりながら、『同影』と呼ばれる男が賊の首魁であるという事しか掴めていないと説明した。爺さんが先頭に立って商隊護衛の指揮を執ったそうだが、荷を奪えそうにないとなると、一撃離脱の戦法で火を放ってくるようになったそうだ。
これだけでも、誰にでもわかる事がある。
明らかに、只の賊なんかじゃあない。物が奪えてこそ稼ぎになるのに、火を放つだけの集団が賊なんかである訳がない。
爺さんもすぐそれに気づき、この一件はいずこかの敵国による工作であると断定し、賊に対処するという方向から、対応をそちらに切り替えたとの事だった。今までは怪しいというレベルだったが、ワンランク上げて、賊の可能性を切り捨てる事にしたと、そういう事である。
しかしそれでも、神出鬼没な用兵と一撃離脱を徹底した火計によって、その賊に偽装した敵部隊は今以て商隊の荷を燃やし続けているそうだ。その被害は、ほとんど食い止められていないという。
二人が、塩を持ち帰った事に殊更嬉しそうにした理由も、この部屋に入ってきた時に疲れた表情をしているように見えたのも、それが理由のようだ。
それにしても、だ。
この爺さんを相手に、それだけやるというのは、敵も相当だ。何度も爺さんの裏をかくなど、容易ならざる事である。つまり、それだけの相手だという事に他ならない。
思っていたよりも、ずっと厄介な相手のようだった。
しかし爺さんとて、ただ転ぶような大人しい性格はしていない。
『敵は金崎の所でほぼ確定だ』
苦々しく顔を歪めながらも、爺さんは言った。
逃げられ続けた為、いつも手元に残るのはいくらかの討ち取った死体のみだったとの事で、確かな証拠と呼べそうな物はないと前置きをしながらも、『ただの賊ではない』という点と、『賊の襲撃を受けた場所』、『火を放った賊が撤収する方角』などから考えると、その可能性が極めて高いと爺さんは説明した。
襲撃は継直・金崎領との国境あたりに集中しており、その八割方が金崎との国境である事。賊が逃げる方角も、ほぼそのすべてが金崎領方面である事。
それらが、『賊は金崎家の者』と爺さんが断定した理由だそうだ。
偽装の可能性は勿論残っている。だが、確かに臭かった。
それにしても『こんなやり方』をしてくるとはなあ――と、爺さんは顔を手の平で覆い、グシグシと擦る。肩も若干落ちていた。
ああ、そっか。
俺は説明を受けても(ふーん。厄介だなあ)と思っただけだったが、爺さんにしてみれば、もうほとんど未知との遭遇に他ならないのだ。
伝七郎、信吾、与平辺りは違和感を覚えながらも、何かどこかで見覚えのあるやり方だなあくらいで済んだかもしれないが、爺さんには親しみのない手法なのだ。その分、精神的に疲労しているようだった。
俺が二水の町に行く前に、伝七郎とともに用意した資料を渡してきたくらいなのだから、この可能性をまったく想定していなかったという事は絶対にない。しかしそれでも、俺よりは可能性を低く見ていた筈である。
この爺さんの疲れ具合が、今回の敵のやり方がどれ程『この世界らしからぬ』やり方かという事を如実に語っていた。
しかし、俺にとっては別段特別でもなんでもない。ネッツな世界にありふれていた創作歴史小説の中にすら、いくらでもある事態だ。
どうやら、あちらにも『そういう奴』がいるらしい。継直がいるのだ。他にいても不思議はない。
面倒な事態になったと思いこそすれ、驚く事は何もなかった。俺にとっては、それが分かっただけでも十分に収穫だった。異世界人の強みって奴だろう。常識が違うのだ。
上等だ。
敵国の計略だと確定したならば、それならそれでいい。俺がこの国にいる以上、『そういうやり方』では倒せないと証明してみせるまでである。
そういうのは、ここでは俺の専売特許なのだ。負ける訳にはいかんでしょ。
俄然やる気が沸き起こった。
爺さんの話を聞きながら、俺は一人気勢を上げていたが、この件に関しては後日改めて対策を練り直そうという事になった。
とりあえずの所、今日はこれでお開きとする事になったのである。
俺としても、三者会談を経て二水の件と太助らの件に関して水島家の了承というお墨付きをもらったので、今日の目的は十分に達成していた。だから、そうする事に否やはなかった。
太助ら四人は、この顔合わせが終わるらしいという雰囲気を感じて、露骨に緊張の糸が切れている。
現在の水島家においては、俺におしつけられている地位も爺さん・伝七郎にそう劣る物ではない。
が、何の心構えもなくこの二人の前に引っ張り出されたのは、相当に負担がかかっていたようだ。俺が名乗った時には平気そうな感じだったので、大して気にもしていなかったのだが、不味かったみたいだ。突然名前が世に出た俺相手とは、勝手が違ったようだ。
ただ、よくよく考えてみると、俺が名乗ったのは敵だった時である。
出会い方が変われば、その後の関係が変わるのは当然というもので、少々俺の配慮が足らなかったかと若干反省する事になった。
伝七郎らとの顔合わせを終えると、太助ら四人を連れて源太の下へと戻る。館の門まで戻ってくると、信吾や与平、次郎右衛門殿がやってきていた。
荷運びされていく持ち帰った塩俵を眺めながら、皆で談笑していた。
俺は太助らを皆に紹介する。
太助らもこの連中には今後世話になるだろうし、皆にも俺の陪臣として知っていてもらわないと何かと都合が悪い。だから、丁度よかった。
一通り紹介が終わると信吾が、
「そう言えば、姫様がしきりに武殿の帰りはいつかと聞いておられましたよ。顔をお見せになれば、きっと喜ばれます」
と俺に千賀の所に行く事を勧めてきた。
それを聞いて、俺の口が渇いた笑いを漏らす。
あのチビが俺を探す時は、碌な事がないんだ。
そう思ったからだ。が、それを聞いて行かぬ訳にもいかない。拗ねるから。
今度は何だろうねと思いながら、
「今、部屋か?」
と尋ねる。
すると。
「さっき姫様の前の庭で、お菊さんらと武芸のお稽古をされていましたよ」
と、信吾ではなく与平が教えてくれた。
おっ。今はそんな時間か。
俺は空を見上げる。確かに太陽は、真上を少し過ぎたあたりだった。
となると、お菊さんの白襷姿が見られるな。あれはキリリとしていて、お菊さんによく似合うんだ。
俺の頭は、目的とは全く違う期待感で満たされた。
「そうか。有り難う」
俺は何食わぬ顔をしたまま答え、太助と茜ちゃんだけを連れ、千賀の下へと向かう。吉次と八雲の二人は、信吾や源太らに任せた。
俺たちが千賀の所に行っている間に、今夜寝るための部屋への案内や、行ってはいけない場所の説明などをしておいてもらえば、俺としても都合がいい。
それに、二人を置いていくのには理由がある。
地位を考えると、本来はこの四人全員、千賀の下へは連れていけない。
だから最小限の人数に絞る必要があったのだ
場合によっては、俺の使いで千賀の下に走ってもらう事もあるという可能性から太助を、千賀が男子禁制の場所にいる時の為の備えとして茜ちゃんを、それぞれ選んだのである。
もっとも今回の顔合わせは、千賀本人とというより、婆さんやお菊さんら千賀側近の侍女衆らと、という側面が強い。千賀本人は、誰を連れていった所で「う? よろしくしてたも?」というだけのなのは分かりきっている。だから、千賀の側近に顔を覚えてもらうのだ。
この辺りはきちんとしておかないと、千賀の安全を脅かすような事態にも繋がりかねないので、なあなあにはできない。貴人というのは、本人の資質に関係なく、立場が孤独なものなのだ。
そしてこういった感覚は、こちらの人間なら当たり前に持っているものであり、こちらではいわゆる常識に相当する。
そのせいだと思うのだが、太助も茜ちゃんも自分らが水島家当主にまで会う事になるとは考えてもいなかったようだ。俺が「ほれ、二人ともいくぞ?」と声をかけると、二人して思いっきり顔を引き攣らせた。
こっそりと、胸の中で大いに笑わせてもらったのは言うまでもない。