第百七十五話 後始末――藤ヶ崎の館にて―― でござる その一
そして今、俺は藤ヶ崎への帰路についている。子供らの親たちに説明をした日の翌朝、すぐに藤ヶ崎に発ったのだ。
伝七郎が調べているだろう塩止めの実行部隊のことも気になるし、為右衛門の失敗を受けて、金崎が次の手をどう打つのかも気になる。
周りには源太、太助、茜ちゃん、そして太助が選んだ吉次、八雲という少年が二人同道していた。二人とも太助とは同い年らしい。信吾らみたく幼い頃から、ずっとつるんでいるのだろう。あの施設での戦いでも、太助を助けるべく懸命に声を上げていた。
吉次の方は、太助ほどではないががっしりとした体つきをしており、八雲の方は細身で女顔の、一般的には美少年と呼ばれる類いの人種である。やはり、この世界の美男美女率は異常だと言わざるを得ない。
まあ何にしても、藤ヶ崎から二水へと向かった時と比べれば、俺の周りは随分と賑やかになっていた。
馬の上で、俺を囲む太助らの顔を見ながら源太に言う。
「とりあえず、無事で終わってよかったな。最初はどうなる事かと思ったが」
「そうですね。塩を買いに来たのに、まったく違う事案に追われる事になってしまいました」
源太は隊列の後方を振り返り、荷車に乗せられて運ばれている塩を眺めながら、そう答えた。
「まったくだ……」
俺はこれ見よがしに溜息などをついてみせる。
すると、俺の周りの少年少女たちは恐縮した。そんな皆を代表し、俺の馬の面懸を握る太助が、俺の顔を見上げながら、
「もう反省したから、そう言うなって。それはそうと、神森サマ?」
と本当に反省しているのかどうかわからない言い方をしながら、太助が俺に呼びかけてきた。
「あん?」
「俺たちは神森サマの下で働くって事でこうして付いてきている訳だけど、具体的には何をやる事になるんだ?」
太助が俺に向かってそう尋ねる。吉次と八雲の二人も少し竦めるようにしていた首を元に戻して、少し真剣な顔になって俺の方へ視線を向けてきた。
「まかせろ。すでに考えている事がある」
ふっふっふっ。丁度いいのがあるんだよ、太助くん。うまく育ってくれれば、二水の町も塩がうんたらと泣き言をいう事もなくなるだろうって案がな。一石二鳥、いや、三鳥にも四鳥にもなる、起死回生の妙案だぜっ。我ながら、頭の冴えっぷりに惚れ惚れしそうだ。……ただの執念とも言うが。
しかし、そんな心の声は口に出さずに言葉を続ける。
「とはいえ、まず伝七郎と話し合わんといかんからな。返事はちょっと待ってくれ。まあ、仮にそれが駄目でも、お前らに来いと言ったのは俺だから、きちんと雇うし給金も出す。安心しろ。現時点で決定しているのは、俺の直率部隊へ編入だな。精鋭部隊だぞ? よかったな。入りたくても中々入れん。そして、そこへ組み込む前に、ここにいる源太はじめうちの自慢の部将たちにビシビシ鍛えてもらうから、せいぜい揉まれてこい」
俺の言葉を聞いた源太は、いつものポーカーフェイスにニヤリと口元だけを曲げた。いわゆる悪い笑顔である。
「おー、そういうご予定でしたか。腕が鳴りますな」
「「「えーっ」」」
三人の少年たちは、心底嫌そうにそんな声を上げた。
そんな三人を見て、俺は心の中でクケケと笑う。
気の抜けた返事が出来るのも今日までだ。せいぜいうちの三馬鹿に鍛えてもらえ。先輩として一言言わせてもらうならなあ、あいつらマジで容赦ねぇから気をつけろよってこった。
俺は澄し顔のまま、胸の中だけで三人のガキどもにそう忠告した。半年もすれば、俺とともに、三馬鹿被害者友の会を結成できるようになっている事だろう。
その日が、今から楽しみだった。
そして極めて順調に、翌日の昼には藤ヶ崎の館へと到着した。
特に急ぐ理由がない事と、塩を荷車に乗せて移動させているという状況の違いから、この帰路では少しゆとりを持った行軍計画を組んでいた為だ。そのせいで、行きよりは若干時間がかかっている。
無事藤ヶ崎の館に到着した俺は、細かい事は源太に頼み、太助、吉次、八雲、茜ちゃんの四人を連れて伝七郎の下へと向かう事にした。
俺はこの館で居候をしている身である。その俺が臣を取るなら、話を通しておくのが筋というものだからだ。
もっとも、本来ならば話を通すべき相手は千賀だ。しかし、話をしたところで「う?」と首を傾げるに決まっている。伝七郎に通しておくのが適切だろう。
俺は四人を連れて、館の廊下を奥へ奥へと進んでいく。向かう先は、御用部屋近くの手頃な広さの居間だ。
伝七郎はおそらく御用部屋にいると思われるので、俺だけならこちらから出向けばいいのだが、こいつらを連れて御用部屋には入れない。あそこは水島の中枢なのだ。伝七郎や爺さん、俺といった一部の人間と、あそこの部署の人間以外は基本立ち入り禁止なのである。
こいつらを連れて行ける訳がなかった。
だから、伝七郎に出てきてもらうのである。
居間に向かう途中、廊下ですれ違った館の下女に今向かっている部屋を伝え、伝七郎に出てくるよう伝言してもらう。
その下女の娘と俺の会話を聞いた太助ら男三人は、顔に緊張を走らせた。茜ちゃんは平然としていたが。どうやら、太助らは伝七郎の名前を知っているようだった。
水島の支柱となる前から、伝七郎の名前はそれなりに売れていたとは聞いている。だから、それ程に驚くような事ではないのかもしれない。が、こうして民が名に反応する所を目前にすると、やはり素直に感心してしまう。
例えば元の世界でも、一般の中学生が、政治家の名前をどれだけ知っているだろうか。余程の大物や、目立っている人物でもなければ、「誰それ?」で終わる筈だ。
つまり、本人は『それなり』に名前は売れていたと思うと言っていたが、全然『それなり』なんかじゃあなかったという事である。
言葉は正しく使いましょう。知らない人が聞くと、そのまま信じてしまうからね。
最近爺さんが暗躍したせいで、俺と伝七郎の株が不当に急上昇しているが、この分ならゼロベーススタートの俺より伝七郎の方がまだ上の筈。
少しホッとしてしまった。
先頭切って晒し上げになっていない。
そう思った俺は随分と調教されてしまったのかもしれないが、それが偽りのない俺の本音だった。
そんなしょうもない事を思いながら、館の中央辺りにある居間へと入る。そこそこ広さはあるが、畳敷きの部屋で四方を襖で囲われているだけの、なんとも殺風景な部屋だ。もともと、某か物を持ち込んで使う部屋なので、物を持ち込まなければ何もないのは当然だった。
そして待つ事しばし、部屋の襖が開かれ、伝七郎と爺さんが入ってきた。二人とも少し疲れているように見受けられたが、俺の顔を見ると明るい表情に変わった。
そして、
「おう、小僧。帰ったか。どうやら上手くいったようだな」
入ってきて早々、爺さんはニッカリとよい笑顔で、俺にそう声をかけてくる。
「まあまあ、平八郎様。まずは座りましょう。それでは、武殿も落ち着かないでしょう」
「おう、そうだな。ついな。がはは」
多分爺さんは、荷車に乗った塩でも見たのだろう。喜びが体の中に収まっていなかった。そして、そんな爺さんを宥める伝七郎も、とても嬉しそうにしていた。
その一方で、俺の横では四人がこれ以上ないほど緊張感を漲らせていた。
三人の坊主は目を見開いたまま固まっており、今度は茜ちゃんも、ただでさえ小さめの体を更に縮こまらせていた。
原因は一つだろう。
爺さんだ。
伝七郎も、そして不本意ながら俺も、今ではそれなりに名前が通っているのは事実だが、この国におけるネームバリューで爺さんに並ぶ者は存在しない。
年季、実績……ありとあらゆる部分で格が違う。
水島の宿将であり、世にその名も高き名将――永倉平八郎、その人なのだから。
そりゃあ、この国の者ならば、老若男女を問わず皆知っている。
で、そんな爺さんが、出てくると聞いていない席に、突然姿を現した訳だ。
「聞いてないよー」と泣きが入っても、やむをえない事だろう。
が、俺は爺さんを呼んでいない。勝手に来たのである。だから四人とも、恨めしそうな目つきで、こちらを見るのはやめたまえ。
俺は、その辺りをよく把握しないうちに今の人間関係を築いてしまったので、正直どうしてもピンと来ない部分があるが、こうして見ると、やはり皆すごい人物だったのだなあと、今更ながらに思う。
俺がそんな感想を抱いている間に、伝七郎も爺さんも俺の側までやってきた。二人とも目の前で腰を下ろし胡座をかく。
そんな二人に俺は、
「ま、そういう訳で今戻った。ただいま」
と、いつも通りの態度で、とりあえずの帰参を告げた。すごい人物なのはわかったが、今更どうしろと、という事である。
そんな俺の心情など知らない爺さんは、いつも通りに応えてくる。
「おう。見事だったな。今回ばかりは、お主でも難しいかもしれないと思っていたのだが……。いや、流石だ。それで、あれは今後も継続して手に入るのか?」
太助らの方にチラリと視線をやったものの、まずはこちらが先とばかりに、塩に関して質問を浴びせてきた。
もう一方の伝七郎も太助らの方に一瞬視線を向けるが、
「本当に有り難うございました。そして、お疲れ様です、武殿。やはり武殿にお願いしてよかった」
と、やはりそれは置いておく事にしたようで、先に俺を労った。
二人ともに共通するのは、笑顔である事か。
あの程度の量では焼け石に水なのは二人も承知しているだろう。しかし、それでも欲しいというのが、こういった状況における施政者の本音である。今の俺には、その気持ちがとても良く理解できた。少し前の俺ならば、「焼け石に水では意味がない」などという言葉が口を突いただろうが、今の俺にはそれは言えない。
だが、それはそれとして、今の状況をどう説明したものだろうか。
二人の言葉に応えるべく、俺は少し考える。そして、口を開いた。
「いや。ぶっちゃけて言うと、取引には失敗した」
「「は?」」
俺がそう言うと、二人とも狐につままれたような顔をした。
しかし俺は、揉み手をしながらニカリと渾身の笑顔を作ってみせると、そのまま言葉を続ける。
「こほん。えー、このたび二水の町で商いをさせていただく事になりました神森屋と申します。なんでも、こちらでは塩が不足しお悩みですとか。私どもも、微力ながらにご協力できるかと。是非とも、ご贔屓いただければ幸いに存じます」