第百七十四話 後始末――二水の町にて―― でござる
歯噛みをし体を震わせながらも、耐えて沈黙している為右衛門――――。
俺の後ろから出て、為右衛門の下に近寄っていく太助――――。
為右衛門は太助を睨みつける。太助は何かに耐えるように少し哀しい目をしながらも、そんな為右衛門を直視し続け、その前に立った。
それを見て俺は、
「俺たちは外に出よう」
源太に声をかける。
これは親子の問題だし、為右衛門にはもう力は残されていない。だからどうするにせよ、太助が決める事である。
「はっ」
俺の呼びかけに、源太はすぐに答えた。
「じゃあ、俺たちは外に出ているから、終わったらこっちに来い」
「ああ、分かった」
太助は、為右衛門と視線を交えたまま振り向く事なく答えた。
その返事を聞くと、俺は慈恵和尚の下へと歩み寄る。そして礼を言い頭を一つ下げると、子供らの親たちに向かって「明日、今この場にいない者も揃って館に来るように。子供たちの事について話す。子供らとも、その場で会える」と告げ、本堂を後にした。
俺と源太と護衛二人は、そのまま寺の門前で待機していた者たちの下へと戻り、太助が出てくるのを待った。
十五分、いや三十分くらい待っただろうか。太助は、一人寺から出て来た。町の衆は誰も出てこないところをみると、まだ皆揃って中に残っているらしい。
出て来た太助は開口一番俺に、
「待たせて済まない」
と言って軽く頭を下げた。そして上げた顔は、何か憑きものが落ちたような顔をしていた。
俺たちはその後、館に顔を出して、今日の事を含めた今回の事件の概略を伝えた。改めて、しばらくは町の様子に気を配るように念を押すのも忘れない。
責任者の男は俺の話を聞いているうちに、顔を青くした。
そして俺は、そんな男を一切叱責しなかった。
顔を見れば、流石にここに至っては状況が理解できたらしいのは分かった。しかし、遅すぎるのだ。
今回の事件は、本当にヤバかった。これから気をつけます――と口で言うだけで、簡単に済ませてもらっては堪らない。猛省してもらわねば、こちらも困るのである。
だから反省して貰う為に、わざわざ『上から下』に細かな『報告』をした上で、敢えて男の失態については触れなかったのだ。男の言い分を一切聞かないと伝える意味で。
通常報告とは『下から上』にするものである。『上から下』にあるのは、連絡と命令だけだ。にも関わらず、俺からは報告をしたのみで叱責をしなかった。
それが何を意味するのか。
余程の間抜けでない限りは、すぐに分かる。
というか、そんな事にも気付けないようならば、無能の烙印を押されて、遠からず今の地位を失う事になるだけだ。
まあもっとも、この男はしっかりと顔を青くしているので、その辺りは分かっていると思うが。俺が寛容さをみせている訳ではないのは、十分伝わった筈だ。
次、もし同じ事があれば叱責では済まない――――。
そう、理解したに違いない。話が終わる頃には、男は地面に頭をこすりつけんばかりに平伏してしまっていた。
話が終わると、子供が神隠しに遭ったと騒いでいた親たちが、明日この館にやってくる事を告げて、俺がやってくるまでここで待たせておくよう伝えた。そして俺たちは、用件が済むとすぐに館を出て、田村屋へと帰る事にしたのだった。
田村屋の前までやってくると俺は、子供たちと一緒に隊列の後ろの方にいた茜ちゃんを呼んだ。そして建物の中へと入り老夫婦の前までいくと、その背中をポンと押してやった。
二人は茜ちゃんの顔を見ると、心底安心したようで涙を流して喜び、茜ちゃんも、ごめんなさいごめんなさいと繰り返して謝り二人と抱き合っていた。
感動的なシーンだったと思う。
が、俺としては、これでめでたしめでたしという訳にもいかなかった。仕方がなかったとはいえ、この老夫婦も為右衛門の片棒を担いでいたのには違いないからだ。
だから一区切りついたところで、俺は老夫婦を目の前に座らせ、今度は館の責任者とは違って、きちんと叱責する事にした。一般人相手に、館の責任者の男に対するものと同じやり方をしても意味がないからだ。
館でもそうだったが、今回もメンタルががりがり削られて、疲労感が半端なかった。
そりゃあ、そうである。元いた世界だと、こういうのは中々ない。
もう少し俺が歳を食っていれば会社の中でならありえるかもしれないが、少なくとも高校生がこういう事をするのは、向こうではあまり一般的ではないだろう。逆の構図なら、よくある話ではあるが。
とはいうものの、現在の俺の立場上やるしかないので、心の中でブツブツ文句をいいながらも、俺は淡々と役目をこなす事にした訳である。
そうして田村屋の老夫婦に一通り反省してもらった後、今度は茜ちゃんの件について説明に入った。罰として、彼女は俺の下で奉公する事になるとも。
まあ実際は罰でもなんでもない訳だが、建前上俺はそれで押し通さねばならなかった。信賞必罰は統治の基本だからだ。故に、某かの罰は必要だったのだ。
老夫婦は茜ちゃんを取られるとでも思ったのか、泣いて許しを請うてきた。
が、この件に関しては俺は許さなかった。許してしまうと、今度は茜ちゃんと太助を割く事になり、彼女に恨まれること必至だからだ。必要な恨みなら甘んじて買うが、必要のない恨みまで買いたいと思うほど、俺は変態ではない。
それに、この田村屋では二水の町が持ち直すまで保つとは思えなかった。
立地条件も悪く、建物も悪く、経営者であるこの老夫婦も為右衛門から借金をしているくらいで、当然金も持っていない。ましてその為右衛門も今回失脚し、次の金を工面するのにも苦労するのは目に見えている。
これでは、そのまま放り出す方が鬼というものである。
だから茜ちゃん同様に、『それもお前たちのした事に対する罰だ。よくよく反省しろ』という事で押し通す事にしたのである。
ただ、このままでは水島家への印象に悪影響がでてしまう。だから罰を与えなければならない立場上その真意を説明する事はできなかったが、茜ちゃんの給金は普通に出る事だけを伝える事にした。
すると、流石になんとなく、老夫婦にもこの沙汰の意味が伝わったようで、二人は態度を一変させた。さっきまで「ご勘弁下さい」としか言わなかった口で、「宜しくお願い致します」といい、二人とも深く頭を下げたのだ。
丁稚奉公が当たり前にあったり、家にいる子供が普通に労働力としてみなされる世界なだけに、『給金』のあるなしでものの見方がはっきりと変わるようだった。
単純に金が手に入る事を歓迎しているという部分も勿論あるだろうが、老夫婦の様子を見るに、給金があると、子いやこの場合は孫か、とにかくそれを奪われるという感覚から外れるようだった。
俺が思っていた以上に、『給金』という言葉は効果てきめんだったのだ。
給金については、罰と言えども、もともときちんと支払うつもりではいた。しかし、このような効果があるとは正直予想していなかった。渋々納得させる為の手段くらいにしか考えていなかったのである。
だが、そうではなかった。
この世界の常識に沿った提案になっていたのが功を奏したようだった。子供を連れて行かれるという思考が、働き口を世話してもらったという思考に書き換わってしまったのだと思う。
これを見て、『しめた』と思わずにはいられなかった。
茜ちゃんの件もそうだが、明日もう一つ残っているからだ。他の子の親たちにも、同じ手で行こうと心に決めたのは言うまでもない。
そして翌日、それは的を射た。
館で行われた他の子供たちへの説明は、これ以上なくスムーズに終わる事となったのである。
まず最初に子供たちに会わせて安心してもらったのは茜ちゃんの時と同じだが、今回は初めから『雇用』である事を全面に出して、それから子供たちがやらかした事を説明し、『罰でもあるので拒否は認められない』と説明をした。
そうしたら、親たちに泣かれる事もなく、むしろ感謝される事となった。罰がうんたらと説明していた段階でも、子供の親たちは騒ぎ立てるような事もなく、顔色一つ変えずに黙って聞いていた。
まあ、ここにいる子らのほとんどは二水の町で雇われる事になるので、親元を離れる事がないのも理由の一つだろう。しかし水島と二水の関係を考えると、ここまで円滑に片付いたのは僥倖としか言いようがない。最良の結果と言えた。
後は地道にコツコツと、互いの信頼関係を築いていくだけだ。