第百七十二話 下知 でござる
「巽屋さん。『神隠しなどではない。大人しくしていろ』と繰り返すばかりでは、町の衆も、そりゃあ納得できないでしょう。では、なぜ子供たちは帰ってこないのです?」
色めきだった親たちの前に座る若い商人が、為右衛門に向かって言う。
「だから金屋さん。それは長も言っておられたではございませんか。ちょうど藤ヶ崎からやってきている水島家のご家老様に、すでに話をしてあると。あなたも、神森武様が今この町におられるのはご存じでしょう。そこにすでに伝えてあるのに、他にどうしろと?」
「……本当に伝えてあるのですか? 少なくとも、水島家の館の方では、この件を把握していなかったそうですが。後ろの者たちが談判にいった時に、館では把握していなかったようですよ?」
為右衛門の取り巻きはやや苛立ち気味に説明するが、それを聞いた若い商人はその不審を隠そうともせずに、片眉を上げて言い返していた。
いいツッコミだ。為右衛門が俺にそんな話をしたなんて、『俺』も初耳である。
そんなふうに、取り巻きと若い商人が睨み合いをしている中、為右衛門は自分たちに近づいてくる俺たちに気がついたようだった。
はっきりと分かる程に、『不味い』とその心の声を表情に浮かべた。
まあ当然である。為右衛門にとっては、これ以上ない悪いタイミングで、俺たちがやってきてしまったのだから。
そんな為右衛門の様子に、目の前の相手だけを見て言い合いをしていた者たちも、次第に俺たちの存在に気付き始めた。慈恵和尚は、俺たちを彼らの側まで案内すると、すぐに一歩下がり、俺たちに場所を空ける。そして自身は、下がった場所から、こちらの様子を見守る事にしたようだった。約定の履行と、成り行きを見届けるつもりなのだろう。
俺としても、それで何の不都合もない。だから、そちらはそのまま放っておく事にした。俺にはすべき事があるのだから。
慈恵和尚に軽く頭を下げ礼をすると、俺は為右衛門の方へと振り向く。その頃には、為右衛門の額には、幾つもの汗の玉が浮かんでいた。おそらく、ただ暑いせいだけではないだろう。
「先日店で会って以来だな。為右衛門」
「か、神森様……」
「ああ、いかにも。お前が『神隠し』の件を頼んだいう水島家の家老、神森武だよ。俺は、何も聞いていないがな」
ニッコリと笑って、そう言い放つ。
若い商人はやっぱりというような顔をし、その後ろにいたあのガキどもの親たちは、絶句しながら目をつり上げた。
それを見て、俺は親たちを安心させてやるべく伝える事にする。このまま騒ぎ出されて、俺がしたい話ができなくなっても困るからだ。
「ああ、でも安心するがいい。うちの館でも多少の説明があったと思うが、この件は人攫いでも神隠しでもない。その点『だけ』は、為右衛門の言葉に偽りはない」
『だけ』という言葉を強調してやる。そして、
「子供たちは、俺たちが保護しているよ。全員無事だ」
とゆっくりと、でもはっきりと伝えてやった。
「「「おお……」」」
親たちは立ち上がり、そう声を漏らす。中には、安堵して緊張の糸が切れたのか、涙を流し始める者もいた。
やはり親の愛ってのは深いものだと思う。もし殺していたらと思うと、ぞっとせずにはいられなかった。そして同時に、もう会えないだろう親父と母ちゃんの顔が、脳裏を過ぎった。
だがその絵は、すぐに頭の奥に仕舞い込む。今はそんな思いに浸って、しんみりとしている暇はない。
俺は、ガキどもの親たちへの説明を続けた。
「まあ、ちょっと色々あって、このまま何事もなく帰す事ができなくはなったが、それは後で、改めて説明させてもらう。だが、安心して欲しい。怪我をしているとか、実は保護していてないとか、そういう話ではない。すでに、この二水の町に全員戻ってきているし、皆ピンピンしている」
俺のその言葉に、親たちは怪訝な顔を浮かべたが、とりあえずは納得してくれた。その様子を見て、俺は親たちから、彼らの前に座る若い男の方へと視線を動かした。
男は品定めするような視線で、こちらを注視していた。
そんな男に向かって尋ねる。
「そなたは?」
すると男は、その品定めをするような目線をすっと隠す。そして、いかにも商人らしい笑顔を浮かべながら立ち上がり、深く頭を下げながら応じてきた。
「はい。私は二水の町の商人で、金屋達吾郎と申します。最近藤ヶ崎の町でもっぱら噂の、鳳雛――神森武様にございましょうか? 以後お見知りおきいただければ、幸いでございます」
そう言って、深く頭を下げてきた。流石に抜け目ない。
それにしても、である。
こんな所にまで届いているなんて……爺さん頑張りすぎだ。
そう思わずにはいられなかった。金屋達吾郎と名乗った男の言葉に、俺は顔を横向けたくなった。だが何とか、その衝動を堪えた。そして、改めてこちらも名乗る。
「いかにも、その神森武だ。今回は、俺たちの代わりに色々働いてくれたようだな。礼を言う」
まあ、多分ただの商人同士の権力争いなのだろうが、形の上ではそういう事になる。
俺がそう言うと、金屋達吾郎はしたりとばかりに、
「いえいえ。私は、子供が帰らないと不安がる町衆の訴えを聞き、長との話し合いの場を設けただけ。大した事などはしておりません」
と一歩引いて見せた。流石にやり手の商人そうなだけあって、世渡り上手な対応をしてくる。目の前の俺は返り血を浴びたままであり、お世辞にも見られる格好ではないのだが、それを表に出す事もない。
俺は金屋達吾郎に向かって一つ頷いてみせると、改めて為右衛門の方へと向き直った。
「なあ、為右衛門。俺はお前から、子供たちが消えているなどいう話は一言も聞いていない。しかしお前は、俺に伝えたという。これはどういう事だ?」
そして、分かりきった事を敢えて尋ねて、追い込む。
「あ、いえ、その……」
「まさか、俺が嘘を言っているとでも?」
「いえ、そんな滅相もない……」
「では、お前が嘘を言っているのか?」
為右衛門は顔を青くしながら、必死で何か言い訳を考えているようだった。しかし何も浮かばないのか、口を開きかけては噤むという動作を繰り返す。視線も、俺を見たり、あちらこちらを泳いだりと、定まらなかった。しかしそのくせ、俺の後ろに立っている筈の太助に気がつかないようだった。太助の名を口にしない。
相当に動揺しているようだった。
そんな為右衛門の様子に、奴の取り巻き連中も、少しざわつき出す。しかし、俺に対して口を開く者はいなかった。
まあ、たかだか一町長の腰巾着が出しゃばってよい場面ではないので、そのまま最後まで傍観してくれていればいいと思う。
「まあいい。今日わざわざ、お前を追ってここまでやってきたのは、二つほどお前に伝える事があるからだ」
キョドっている為右衛門をそのままに、俺は一方的に話を進めていく事にした。
そもそも、相手の了承を取るつもりなど端からない。こちらから一方的に通達するだけの事なので、それでよかった。
都合良く町の実力者たちも、この場に集まっている。そして、この話を町中に広める役目の人間――子供らの親たちもいる。
俺たちにとっては、望みうる最高の状況になっているのだ。この状況を使わないとか、あり得ない。
「一つは、お前からの依頼は完了したという事。塩の泉と、塩を作るための施設――――占拠していた者たちから、きっちり取り返したぞ」
しかし為右衛門は、「有り難うございます」とすら言えない。前に巽屋で会った為右衛門だったならば、とりあえず表面上はこちらを立てて、どんな内容に対してであろうが、それぐらいの事は言った筈である。つまり、それも出来ない程に動揺してしまっているという事に他ならなかった。
それに、もう一つの方が気になって仕方がないのだろう。座ったまま、こちらを上目遣いに凝視したままだ。
そんな為右衛門に、俺はわざと焦らすように、ゆっくりと告げる。視線の温度を、一気に氷点下まで下げて。
「もう一つは……為右衛門、お前の長の地位を剥奪する。その下知だ」