第百七十一話 慈恵和尚 でござる
「水島家の神森武です。物々しいのは、領土を他国に売ろうとした者の所に、顔を出してきたからですよ。その後に寄らせていただきました。寺に参るには、少々不作法となってしまいましたが、どうかご容赦願いたい」
慈恵和尚に向かって、堂々と告げる。
そんな俺の悪びれぬ態度にも、和尚は、
「左様にございますか」
と眉一つ動かさなかった。が、一瞬俺の後ろの方にチラと視線をやった。
そちらには、太助がいた。だが太助は、和尚と視線が合っても、口を開こうとはしない。だからだろうか、和尚は一瞬太助に話しかけようとしたが、結局そのまま黙ってしまった。
それを見て、俺は更に言葉を続ける。
「そして私たちが寄らせていただいた理由ですが、国を売ろうとした者の片割れが、大きな顔をしてのうのうと、ここで話合いなどをしていると聞きましてな。身柄を押さえにまいった次第です」
「なんと……」
慈恵和尚は、眉を顰めた。
施政者である俺たちが、売国奴を捕らえにきたというのは筋の通る話である。
しかし寺は、俗世から切り離された存在だ。少なくとも建前上は、彼ら仏門の徒にとっては、そういう事になる筈である。だから、俗世の問題を寺に持ち込まれては困るというのが、彼らの主張となる筈だ。
かといって、ならばと俺たちが望むままに、今この場で、その人間を放り出すという選択も出来ないだろう。俺たちの血ぬれの戦装束姿からして、穏やかな話にならないのは、一目瞭然である。仏門の徒としては、慈悲の心が問われるからだ。俺たちにしてみれば明白な罪人でも、その罪人の罪が、仏門から見ると俗世の権力闘争でしかないというのが辛いところだった。
和尚の眉の動きは、おそらくこの辺りに起因していると思われる。
だが俺は、それを承知で慈恵和尚に要求を突きつけた。
「和尚。今、こちらで町の寄り合いが開かれていると思います。そこに巽屋為右衛門がいるでしょう。引き渡していただけませんか?」
ただ、この要求は断られる――多分そうなるとは思った。
この和尚は優しげで静かな雰囲気を持ってはいたが、なかなかどうして胆も座っていそうだった。それに、殺される(としか、和尚の目からは見えないだろう)事がわかっている為右衛門を、さっさと叩き出してくるほど無慈悲な人物にも見えなかった。
だから、だ。
そして思った通り、
「…………神森様、それは致しかねます。お話の通りならば、巽屋為右衛門は確かに罰を受けるべきでしょう。しかし、彼も二水の民で、私も二水の坊主にございます。殺されると分かっているのに、みすみすお渡しする事などできましょうや。そんな事をすれば、仏の道に背くばかりか、人の道にも外れてしまいます」
と返された。
だが俺はその言を真っ向から受けて、尋ね直す。
「例えば、それが人殺しであっても、和尚はそう言われるおつもりですか?」
しかし、和尚も譲らない。
「……場合によっては。それに今のお話ですと、別に人を殺めたという話ではございますまい。俗世の争いの話にございます」
やはり仏の法で裁かれた罪ではないと言ってくる。
宗教はめんどくさい。
俺は軽く目を閉じ、胸の息を吐きだして、
「……なるほど。それはごもっともです。それに、確かに為右衛門自身が誰かを手に掛けた訳ではない。『他人』に手を汚させようとはしたようですが」
と告げる。思いっきり、皮肉まじりだ。
この言葉に、和尚は白い眉をピクリと動かした。が、言及してくる事はなかった。
要するに、見解は変わっていないという事なのだろう。やれやれだった。
俺と和尚は、互いに穏やかな笑顔を浮かべたまま『睨み合い』を続ける事となった。まったく埒があかない。
仕方がないので、こちらが先に譲歩する。
「…………分かりました。では中では、こちらからは刀を抜きません。これが、私たちが和尚に対して示せる最大限の誠意です。襲われて黙っている事も当然出来ませんし、我々もこのまま引き下がる訳にもまいりません。ご理解いただきたく思いますが」
そう告げて、俺は和尚の目を、真っ直ぐに見据えた。不退転の決意を伝える為である。
このあたりで妥協してもらいたかった。膳兵衛のところと違って、寺に力尽くで押し入るのは、町の民に与える印象が悪すぎる。
かといって、このまま寺の外で待つ訳にもいかない。それをやってしまうと、この場はそれでいいが、後に不味い事になるからだ。
俺たちは、『水島』を名乗ってやってきている。だから過ぎたる配慮をして、この話を伝え聞いた民らに舐められる訳にはいかなかった。頂点は頂点でなくてはならないのだ。国体が変われば話も変わってくるが、現状の水島の体制で、それは不味すぎる。対等であってはならないのだ。
和尚も、建前通りに振る舞えるなどとは思ってもいなかったのだろう。だから、俺の言葉に嘆息しながらも、
「……お約束いただけるので?」
と譲ってきた。
それに即答をする。ただし、改めて念を押した。
「誓って。私の名でお約束致しましょう。『こちら』からは抜きません。私は、為右衛門に話があってやってきたのです。彼の者が大人しくしている限り、そして彼の者の身柄を守ろうとする者がでない限り、約束は守られるでしょう」
元の世界の昔の仏教徒は何かと物騒だったそうなので、そういう形で約束する事にする。あちらの昔の日本にかなり近い世界のここでは、そういう事もなきにしもあらずだと思ったからだ。
柔和表情を浮かべながらも、和尚は少し疑うように視線だけは鋭くこちらを見る。
俺はにっこりと笑って見せた。
二、三秒はそのままだっただろうか。
「……分かりました。町の衆の元へとご案内致します。こちらへ」
こちらが引き下がる事は絶対にないと悟ったのだろう。慈恵和尚は諦めたように、俺に向かってそう言ったのだった。
その言葉を聞き、折れてくれた和尚に応えるべく、俺も源太と太助に向かって指示を出す。
「源太と太助、兵二名が同道してくれ。残りは、この場で待機。大丈夫だとは思うが、為右衛門が逃走しないように、警戒しておいてくれ」
「はっ」
「わかった」
源太は俺の指示に従って、隊を寺の門前から気持ち下がらせると、その場で待機させた。そして、三上やでも俺についてくれた兵二人と太助が、俺の側に寄ってくる。
実の親が弾劾される様を見るというのは、たとえ不仲であっても辛いだろう。しかし、太助はそれも見届けなくてはならない。次、もしくはその次の、二水の『長』として。だから俺は、同道しろと命じた。
ただ、先ほど慈恵和尚が何かを語りかけようとした時に口を開かなかった太助ならば、多分大丈夫だろうとは思った。
男子三日会わざればというが、少なくともあの製塩施設で始めてあった時の太助と今の太助は違う。まだまだこれからであるのは間違いないが、確かな成長を感じている。
それを見て、かなり手荒いやり方をしたがなんとかついてきてくれると確信していた。
慈恵和尚は、俺たちの準備が整うのを待って、「こちらへどうぞ」と寺の中へと招く。自身が案内役となって奥へと歩き始めた。俺たちはその後をついていく。境内の真ん中を進み、更にその奥へと進んでいった。
境内中央にある一番大きな建物に向かっているようだった。
多分、本堂だろう。この寺はそんなに建物の数も多くない。だから、建物の大きさと位置的に、ほぼ間違いない筈だ。
そしてその建物に近づいていくと、中で何人もの人間が激しく言い合いをしている声が聞こえてき始めた。
「……和尚。彼らはずっとこの調子なので?」
「なんでも、町の子供たちが何人も神隠しに遭っているとの事です」
あの番頭の言っていた通りってか。で、このザマと。でも、あのガキどもの両親たちも、よく為右衛門に食いついているな。
力を持っているようで持っていなかった? まさかな。もしそうなら、あの塩泉を私物化する力もなかっただろう。
となると……。
俺はそんな事を考えながら、慈恵和尚のあとについて、その建物の部屋へと入っていったのだが、部屋に入った瞬間、目の前にその答えがあった。
やはり、この建物は寺の本堂だったようだ。目の前に、二メートルちかくありそうなデカイ仏像が鎮座している。おそらく本尊だろう。
そしてその本尊の前で、陣営真っ二つに分かれて言い合いをしていた。
一方には、もちろん為右衛門が中央に座っている。その周りには比較的身なりの良い、おそらくは商人と思われる者たちが四人ほどいた。多分、為右衛門の腰巾着だろう。
そしてもう片方には、真ん中に座っているのは年の頃三十を越えるかどうかという人物だった。為右衛門やその腰巾着どもと比べると、どう見ても一回りか、ヘタすると二回りは若い。
ただ、その身なりからは、あきらかに金を持っている事が窺えた。派手派手しさはないものの、一目で分かるほど上質な生地でしつらえられた着物をきていたからだ。こちらも、多分商人だろう。そして、あのガキどもの親と思われる人々は、こちらの陣営にいた。その数は十人ほどだった。