第百七十話 巽屋に行ったのだが でござる
膳兵衛から話を聞きだすと、俺はすぐに三上やを出る事にする。膳兵衛が片付いたといっても、今回の事件の片割れが未だ健在だからだ。まだ、ゆっくりとしている暇はない。
「手間をかけさせたな、膳兵衛」
俺はその一言だけを残して、奴の返事も待たずに踵を返した。後ろでバタバタと音がしたところを見ると、見送るべく立ち上がったか、ひれ伏したかでもしたのだろう。
そんな俺に、源太がすぐ張り付いてくれる。俺の後ろに再び立った。他の青竜隊の隊員たちも、すぐにそれに習って俺の前や両脇に着いた。
だが太助は、今回は吐きこそしていなかったものの、信じられないものを見たような顔で、目を見開いたまま固まっていた。
世話のかかる奴である。
多分その原因は、膳兵衛だろう。いま太助が目にした膳兵衛は、太助が知っていた膳兵衛と大きく異なっていたに違いない。それで軽く混乱をきたしているのだろうと思う。
だが、いつまでも驚いたままでいてもらう訳にはいかないのだ。
「太助っ」
少し大きな声で呼びかけると、太助はようやく我に返った。ビクリと体を一つ弾ませ、
「あ、ああ、はいっ」
と慌てて、他の皆同様に俺を護るような位置に移動した。
それにしても、『はい』ね。
あまりにも、返事がらしくなかった。少なくとも、俺に対して使ったのは初めてだったと思う。
やはり、少々パニックを起こしているようだ。
俺は心の中で小さく笑いながら、部屋を出て外に向かった。
いくつも転がる死体はそのままに、三上やから外に出てみれば、前の道には野次馬で人垣が出来ていた。俺たちが出てくると、その人垣は俺たちから少し距離を置くように店先から引いていく。
俺たちが三上やに押し入った時よりも、あきらかに数は増えていた。多分百人近くいる。二水の町の人口を考えたら大変な人数だ。
この事は、間違いなく町中に広まるだろう。
そして、町の民の水島に対する認識を確実に変えるに違いない。その認識の変化は、必ずしも俺たちにとって都合がよい方向ばかりではないだろうが、少なくとも舐めて軽々な行動を起こそうと考えるような輩に対しては、一定の歯止めとなってくれると思う。
現状では、まずそこからだろう。これが第一歩なのだ。
だから、とりあえずはよしとした。零どころか、マイナスからの出発なのだ。後は、地道な努力を重ねていくしかない。
そんな彼らを置いて三上やを後にし、俺たちはそのままの足で巽屋へと向かう。三上やに向かった時と同様に、堂々と大通りを通った。
当然道中では、道を行く旅人や商人、町の人たちが何事だとこちらに視線を送ってきたが、それでも俺たちは真っ直ぐ前を見て巽屋を目指した。
巽屋の前に着くと、三上やの時と同じように、町の人々は遠巻きに人垣を作り始めた。巽屋は大通り沿いにある事もあり、野次馬が集まるのも早い。あっという間に、随分な人数が遠巻きに人垣を作った。
店の中からも、すぐに人が飛び出してくる。前にやってきた時に、俺の応対をした番頭だった。
まあ、五十人からの集団がとある店の店先に立てば、それだけで奇異な光景である。それに、俺自身もそうだが、返り血を浴びている者、手にした槍の先をねっとりとした赤いもので光らせている者もいる。目立たない訳がない。
野次馬も集まるし、店先に立たれた店からも人が飛び出してくるというものである。少なくとも俺たちは、手当たり次第に暴れている訳ではないのだから。
俺は、周囲の野次馬たちから、慌てて出て来た番頭の方へと視線を戻す。番頭は一生懸命に笑顔を作っているが、あきらかに怯えていた。
「幾日かぶりだな。為右衛門は今いるか?」
直球で尋ねた。
「あ、ああ、驚いた。どちら様かと思えば、神森様ではございませんか」
「それで為右衛門は?」
「主人にございますか? 今は店にはおりませんが……」
番頭は俺の返り血で汚れた着物や、後ろにいる兵たちにちらちらと目線を移しながらも、なんとか無理に作った笑顔でそう答える。
そんな番頭に、俺の後ろにいた太助が前に出て来て、
「平造。悪い事は言わない。正直に答えるんだ」
と真剣な顔をして忠告を送った。
俺の目には、この番頭が嘘を言っているようには見えなかった。だが太助は、それでも忠告をせずにはいられなかったのだろう。まず間違いなく、ここのところ太助に見せ続けている俺の振る舞いのせいだ。
親父とは仲が悪いようだが、この番頭とはそうでもないらしい。
「え? 坊? どうして坊が、神森様とご一緒しているんで?」
太助の存在に気付いていなかった番頭は、突然出て来た太助に声をかけられて、少々びっくりしたようだった。
「いいから。平造、本当に親父は店にはいないのか?」
太助は重ねて尋ねる。
「へえ。旦那様は寄り合いの方にいってまさあ。なんでも、町の子供が沢山神隠しに遭ったとか遭ってないとか……。その親たちが騒いでいるとの事で」
「ああ、そういう事か。親父の所にも、そりゃあ来るか」
番頭の言葉を聞き、太助は胸を撫で下ろしたようだ。そして納得がいったとばかりに、小さく二度ほど頷いた。
俺も、そのやりとりを横で聞いていて納得する。
「そーいう事ね。いや、騒がせた。すまなかったな。――――太助。お前、その寄り合いが開かれている場所は知っているか?」
俺は微かに苦笑いをしながら、番頭に向かって一言詫びた。そして、太助の方を向き、尋ねる。
「分かる。平造、いつもの所だろう?」
「へえ。そうですが、そちらに向かわれるので? こちらでお待ちになられるなら、お部屋を用意して、使いを走らせますが……」
番頭は太助に返事をすると、こちらに視線を移して、そう尋ねてきた。
「いや。寄り合いを開いているなら、その方が俺にとっても都合がいいしな。こちらから出向く事にするよ。手間が省ける。有り難う」
相も変わらず迂闊なところのある番頭だったが、どうにも憎めないなと思いながら礼を言う。そして俺たちは、その場を後にした。
二水の町の西の外れ――――そこに古寺が建っていた。
こういったものに素人な俺ではあるが、特に何の特徴も見出す事の出来ない寺であった。大きさも、敷地こそやや広いかなと思うが、建物自体の大きさはトリップ前の世界で、うちの近所にあった寺と大差ない。要するに、言葉は悪いが、どこにでもありそうな古寺だった。
寺の前までやってくると、一枚板に『円抄寺』と書かれたものが、門に掛けられていた。
俺たちが門の前までやってくると、寺の庭を掃いていた小坊主が飛び上がり、すぐにそのまま奥へと駆け込んでいく。
多分、和尚に報告をしに行ったのだろう。
そう当たりをつけた俺は、兵共々門を潜らずに、門前でしばし待つ事にした。
チチッ……、チチッ……。
種類は分からないが、小鳥の鳴き声が聞こえる。
その鳴き声に引かれて、壁の向こうにある木の梢を見上げてみると、緑葉生い茂る枝の向こうに、夏の青い空と、大きな入道雲が見えた。
絵に描いたような、平和な景色だった。
その一方で、自分の体からは、野蛮極まる臭いが漂ってくる。どうにも血生臭い。それは、目に映る景色からの落差のせいで、あまりにも異物として認識された。
そんな事を感じながら、じっと待つ。
すると、さほど待つ事もなく、年のころ六、七十と思われる、この世界の人物にしてはかなりの高齢の爺さんが、寺の奥からこちらに向かって歩いてきた。爺さんの現れた方をよく見てみると、建物の陰から顔を半分ほど出して、こちらの様子を眺めている小坊主の姿があった。多分、先程駆け込んでいった奴だろう。
汚れた着物を着替えるという訳にはいかないが、軽く体裁を整えて、その爺さんが俺の目の前までやって来るのを待つ。
「これはこれは……、どうなされましたか? このような小さな寺においでになるには、随分と物々しいように思われますが」
爺さんは、返り血を浴びている俺たちを前にしても一瞥しただけで全く動じず、柔らかい笑顔を浮かべたまま、静かな物腰で尋ねてきた。
俺は軽く一礼し、
「この寺の、ご住職か?」
と尋ね返す。
「和尚の慈恵にございます」
慈恵和尚は、先程と同じく丁寧に、そう答えてきた。