第百六十九話 躾 でござる その四
「……申し……訳ありません」
膳兵衛は奥歯を噛みしめ、睨むような目つきをしながら、小さな声でそう言った。
まだ、少々『刺激』が足りなかったようである。
「聞こえんな」
俺はそう言いながら刀を抜くと、もう一人残っていた『俺に刃を向けている男』に向かって袈裟がけに振り下ろした。
あまりにもいきなりに、しかも無造作にやったせいだろう。男はこちらを睨みつけていたにも関わらず、反応が遅れる。
もう避けられない。ただそれでも、握っていた刀を俺が振り下ろす刃に当てようと、必死で突き出してきた。
――――キンッ。
ただでさえ、鍔のない白鞘の刀では振り下ろされる刀を受け止める事は難しい。まして後手に回わってしまったのだ。迎える結末など一つである。振り下ろされる刀の力に負け、男の手から刀が飛んだ。
そして刃はそれだけでは止まらず、首元から胸のあたりで止まるまで、男の体に切れ込みを入れる。俺の腕が足りないのもある。自然を装った為に腰を入れられなかったのも響いただろう。
男は半切れになっただけだった。しかしそれでも、男の命を奪うには十分すぎた。
瞬く間に、男の体に入った切れ込みから真っ赤な血が噴き上がる。喉からせり上がってくる血に喉も塞がれ、呻き声も上げられなくなっているようだった。
それらの血を、少々俺もかぶった。そして男が、力を失いその場に倒れ込む時に、勢い余って飛んだ血が、膳兵衛の顔にもいくらかかかった。
その段になって、ようやく膳兵衛の顔色は赤から青へと変わったのだった。
鈍い。
というか、先ほど親分らしく勘が良いものだと褒めてやったというのに、これはどうなのだろう。自分の『盾』がなくなった途端にというのが、あまりにもいただけない。人間性以前にヘタレすぎる。
正に化けの皮が剥がれたといった感じだった。
だが、これでよかったのかもしれない。ヘタに胆が座っているよりは、こちらの方が遙かに扱いやすいのは間違いないのだから。実は大それた真似をしようとした小物だったというならば、それに越した事はないのだ。
だから俺は、これを良しとした。
俺は赤く染まった刀身を軽く一振りして払い落としながら、
「膳兵衛。聞こえんぞ?」
と告げる。躾の再開である。
すると膳兵衛は、今度はバネ仕掛けの人形のように、
「申し訳ございませんッ!」
と今度ははっきりと大声で言いながら、すぐにその場でひれ伏した。
勿論、本心から謝っている訳ではないだろう。
奴にそうさせているのは――――恐怖。それだけである。
でも、それでよかった。俺たちも、こいつを信用する訳ではないのだから。
どうせこういった人種は、どう付き合ったところで、こちらが力を失えば簡単に裏切るし足を掬いにも来る。それを止めさせる術はない。
では、どうすればいいのか。
最初から、それを見込んでおけばいいのである。ある意味シンプルな思考をするのだから、そうする事は容易なのだ。
上が力を失えば裏切るが、上が力を持っている間は従う――――それが奴らの世界の大原則なのである。これを言い換えると、押さえつける力をこちらが持っているうちは、形の上だけではあるものの、奴らはきちんと従うという事に他ならない。
野生の定めそのものと言える。
力なき者を喰らい、力ある者におもねり従う。ただ、それだけの存在なのだ。
だから俺は、とことん上から行く。
「結構。以後気をつけろ」
これが、こいつらとの『正しい』付き合い方なのだ。
「は、はっ」
膳兵衛は再度ひれ伏した。
「あとな、わざわざ俺がここにやってきた理由だが……」
「は、はい」
「下の者が暴走したようだな? 先月うちの館が燃やされたのは、お前も知るところだろう。それをやったのは、お前の所の者のようだ。何か知っているか?」
これだけ派手に正面から押し入って、「何か知っているか?」もない。俺は、それを承知で尋ねている。
膳兵衛も俺の言葉の言い回しには引っかかったらしく、伏せていた顔を持ち上げると、探るような目つきで、恐る恐るこちらを見上げてきた。
それに対し、俺は無表情のまま、同じ言葉を繰り返す。
「お前の所の下っ端がやったようだが、お前は何か知っているのかと俺は聞いている。……なあ、膳兵衛。よーく考えてから答えろよ?」
膳兵衛は俺のその言葉に、額から汗を流した。そしてしばらくの後、
「い、いいえ」
と答えたのだった。
俺は内心笑みをつくりながら、
(それでいい。お前らに人間性など期待していない。やったと認めさえすれば、それでお前自身は見逃してやると言っているのだから、黙ってそれに従っておけばいい)
と、胸の中でそう吐き捨てる。その後、その思いは表には出さず、
「そうか。では、今後二度と同じような事を起こさぬよう、俺に対する無礼の件と合わせて、しっかりと教育しておけよ? 次は警告もない。そのつもりでいるように。わかったな?」
と容赦のない言葉を、更に膳兵衛に浴びせかけた。
しかし膳兵衛は、とりあえず自分が俺の望む返事ができた事にホッとしているようだった。今のところ、俺たちに背く心は、べっきりとへし折れてしまっているらしい。
俺の言葉に叛意を見せる様な事もなく、額に幾つも浮かんでいる玉のような汗を着物の袖で拭いながら、
「は、はっ。申し訳ございませんでした。しっかりと、ええ、しっかりと言い聞かせておきます。二度とそんな真似はさせません」
と返事をしたのだった。
それに対し、どうだかなと思いながらも俺は、
「『そう』しておけ。それが賢明だ。『犯人』は、全員手打ちにした。今回『だけ』は、それで決着としておこう」
と宣言する事にしたのである。
膳兵衛自身の件ついては今回は不問にすると俺が言った事で、心底安堵した様子の膳兵衛に向かって、
「あと、一つ尋ねたい事がある」
と俺は声をかける。
「は、はい。何でございましょう?」
膳兵衛はようやく終わったと人心地ついていた様子だったので、この俺の呼びかけには太った体をびくりとさせた。そして、明らかな作り笑いをしながら応じてくる。俺がこの部屋にやってきた時とはまったく真逆の、媚びへつらうような態度だった。
唾を吐き捨てたい気持ちを堪えながらも、
「巽屋為右衛門の事だ。この町を金崎に売り渡そうと、『お前の所の者』と接触した疑いがある。これについて聞きたい。知っている事は全部話せ。『今度』はきちんと、な?」
と、今回ここに寄ったもう一つの目的を果たすべく尋ねた。
この問いを分かりやすく翻訳すると、『さっきの件同様、テメーの所の若い衆が暴走したという事にしてやる。代わりに、為右衛門の事を洗いざらい吐け』となる。俺は取引を持ちかけたのだ。
膳兵衛は、再び投げかけられた含みのありそうな言葉に顔を引き攣らせながら、
「あー、あー、はいっ。勿論、存じておりますとも。えーと……、その……」
と唸り出す。
もう全部俺たちにバレているのは、悟っている筈である。だから膳兵衛は、変に誤魔化す事もせず、関与はすぐに認めた。そこを誤魔化そうとすれば、俺が何をするか分からないと思っているに違いない。
ただ実際は、動いたのは下っ端ではなく、膳兵衛自身である。だからそれを、俺に促されて自分が関与していないストーリーに変更しようとしているのだ。
それに苦慮しているのである。膳兵衛は脂汗を浮かべながら、必死で考えている。
言葉を濁して時間を稼いでいる辺りから、そんな膳兵衛の内心が手に取るように分かった。そしてそれが分かっていたので、明瞭さに欠ける膳兵衛の応答にも、俺は何も言わずに待ち続けた。
その間五秒、十秒……いや、もう少し長かっただろうか。
なんとか俺の台本に沿う形で話を作り上げた膳兵衛は、自分は知らなかったという一線は守りつつ、為右衛門の暗躍を可能な限りに詳しく吐いた。
その『物語』は、膳兵衛の関与以外の部分に関しては、塩泉のある洞窟で二人の男それぞれから源太が聞き出した内容と、ほぼ変わりなかった。暗躍した二人のうちの一人の証言なだけあって、下っ端二人から聞いた話より内容がより詳しくはあったが、その程度の差であった。
これで、個別に聞いた三人の証言が一致した事になる。所詮は証言の積み重ねにすぎないが、それでもこれは、もうほぼ確定とみていいだろう。
ようやくこの件に終わりが見えてきたと、俺はそっと一つ胸の中の息を吐き出した。しかし、すぐに緊張の糸を張り直す。
次は、いよいよ元凶も元凶――――大本の処理なのだ。