第百六十七話 躾 でござる その二
俺は、すぐに後ろに下がる。そして下がりきる頃には、独特の生臭さを放ちながら、真っ赤な華が何輪か店先に咲いていた。時間にして五秒かかっていない間の出来事だった。
残った店の者たちは、俺たちの本気を見て全員顔を引き攣らせている。そして、じりじりと後ずさりをしていた。
当たり前とはいえ圧倒的である。こちらの兵たちは傷一つ負っている様子もない。
ありのままの力を振るわせると、こうまでも強いのか――――と指揮をしている俺が驚愕するほどに、青竜隊の面々は強かった。相手はただのチンピラとはいえ、なかなかこうはいかないだろう。伊達に選ばれた兵たちではなかった。
だが、その指揮官である源太は澄ました顔で、当然とばかりに一つ頷き、
「正面制圧終わりました。中に参りますか?」
と尋ねてくる。
「ああ、有り難う。そうしよう。あと、念の為に兵の半数で店を囲んでおいてくれ」
「はっ」
俺は源太の返事を聞くと一つ頷き、三上やの中へと入っていく。源太は、その俺のすぐ後ろに続いた。すると特に命令もしていないのに、青竜隊の兵たちの中から二人が小走りに俺の前に出て来て、そのまま俺の左右両斜め前についた。
護衛のようだ。たぶん源太が、俺の護衛として先に選任していたのだろう。
俺は何も言わずに、そのまま店の奥へと歩みを進める。
俺が前に進むと、先程まで舐めてかかってきていた膳兵衛のところの若衆らは、更に逃げ腰気味になって後ずさった。だが、その顔だけはこちらを威嚇し続けてくる。
俺はその様子に一瞥をくれた後は、まったく歩く速度を変える事なく、奴らが存在していないかのように無視して、その場を通り過ぎる。
忙しいのだ。下っ端と遊んでいる時間はない。
奥へ奥へと進んでいく。
そんな俺に合わせて、二十人ほどの兵が店の中へと突入し始めた。店を包囲する為に散った兵の残りである。入り口付近に五人立っているので、そんなものの筈だ。入り口の五人は、おそらく店先まで出て来た輩を、その場に張りつけにしておく役目だろう。
十人隊長たちの号令で、青竜隊の兵たちはみな迅速に動いている。狩りに行った時よりも、ずっと連携がとれていた。部隊としても、もうどこに出しても恥ずかしくない精鋭となっているように見えた。
先程から、膳兵衛のところの者たちも奥から幾らか駆けつけているが、その大半はさっきの店先の若衆たち同様に、こちらを睨むだけでどうする事も出来ずにいる。忌々しそうにしながらも、俺たちに道を譲っていた。
だが何人かの馬鹿は、駆けつけたままの勢いで、こちらに飛びかかってきた。しかし俺の前で護衛をしている二人の兵によって、そのすべてが無言の下に物言わぬ屍に変えられた。
店に突入している他の兵たちは、俺に飛びかかってくるチンピラの事など気にもしていないように見える。こちらの様子を窺おうとする者は一人もいなかった。みな脇目も振らず店の中へと駆け込んでいき、部屋の襖を次々と開けて、中を改める作業に専念しているのだ。
俺を守っている二人の兵と源太を抜ける者など、ここにはいないと確信しているのだろう
そして、現にそうなっていた。
外観同様に、田舎町の女郎屋にしては豪奢がすぎる建物内部を奥へ奥へと進んでいく。
その周囲では、青竜隊の兵たちによって、金が掛かっていそうな金箔の貼られた襖が手当たり次第に次々と開け放たれていた。
客のいる部屋を開け放ってしまう事も、結構な頻度で起こっているようだ。小さな町の女郎屋にしては客の入りは悪くないようで、遊女の短い悲鳴がいくつも上がる。そちらを見れば、半裸の客と遊女が、怯えて部屋の隅で震えているのが目に入った。申し訳ないとは思うが、勘弁してもらうしかない。
そんな迷惑を振りまきながら、俺たちは膳兵衛を探していた。
その名を叫びながら、しっかりと掃除も行き届いたツヤツヤの廊下を、俺や兵たちの土足が汚していく。
「膳兵衛ッ! さっさと出てこいッ!」
建屋内に響き渡るような大声で、俺は叫ぶ。
とはいうものの、出てこいと言われて大人しく出てくるような奴なら、もうとっくに出て来ている。俺たちの方から出向くしかない。追い込みをかけるという意味では効果があるので、そうしているだけだ。
そして、うちの兵が何人か、上階も探そうと二階へと続く階段に足をかけた時だった。
「神森様っ」
一階の奥の方から、俺を名を呼ぶ大声が響いた。
見つかったか。
呼び声の調子から、おそらくそうだろう。
「太助。いくぞ?」
とりあえず後ろをついてきているものの、未だ呆然としたままの太助に声をかける。
「あ、ああ……」
太助は目を見開いたまま、かすかに膝を震わせていた。そんな状態ではあったが、なんとか俺の呼びかけには応えてくる。
ついこの間まで、ただの町人だった太助には、こういった修羅場はさぞキツいだろう。それは理解できる。俺も、それを承知で連れてきている。
それでも太助には、しっかりとしてもらわねばなならい。目を見開いて、見届けてもらわねばならない。これが現実なのだと、知ってもらわねばならない。
二水の町が受けた理不尽など、理不尽のうちには入らないと悟ってもらわなければならないのだ。
それに、いま俺の側にいる人間で膳兵衛の顔を知っている奴は、太助だけである。太助に顔を見てもらい、確認してもらう必要がある。
こいつにも、ただ震えていられる時間はもうないのである。だから、手厳しい言葉で尻を蹴り上げる。
「気を引き締めろ。震えていても何も片付かん。何も成らん。お前は誰かを率いた時も、震えたまま何もせずにいるつもりか? 率いた者たちを巻き沿いにして、そのまま諸共滅びるつもりか?」
俺たちくらいの歳の男には、こういう言葉は効果的だ。
矜持がある。自分はやれるという根拠のない自信に満ちている。無鉄砲なまでに上向きな思いが、心のどこかに必ず眠っている。
それを刺激してやったのだ。
普通の男ならば、こんな言い様をされたら必ず何かを思うだろう。そして、この太助も例外ではなかった。
俺のその言葉を聞くなり眦を決し、太助は両手共に拳を作ると、それを震える自分の膝上あたりに打ち下ろした。
バシンッ。
結構大きな音がした。力加減を誤ったらしく、少し涙目になっていた。だが歯を食いしばりながら、俺の目をキッとした目つきで睨んできた。
「上等だ。行くぞ」
俺はもう一度声をかける。そして、今度はそのまま踵を返して、先程呼ばれた方へと歩き出した。
俺を呼んだ声は、建物一階の左奥の方からした。
そちらに向かって進む。
俺が歩き始めると、周りの部下たちに次々と大声で指示を出していた源太が、すぐに側へと戻ってきてくれた。先程俺の前で護衛をしてくれていた二人も、変わらず同じ位置についてくれている。
そんな俺たちの後を、一つの足音がついてくる。太助だ。
結構足早に移動しているのだが、それから離れずについてきている。先程の発破が効いているのかどうかは本人に聞いてみるしかないが、それなりに気持ちの切り替えはできているようだった。
先程呼ばれた辺りまでやってくると、とある部屋の前でうちの兵たちが三人ほど、部屋の中に向けて槍先を向けていた。
その足下には男が二人、血だまりの中にうつぶせで転がっている。ピクリとも動かない。すでに事切れているようだった。背中にも大きく赤い染みが広がっており、二人とも槍で刺し貫かれて絶命したようだ。
俺はその骸に一瞥をくれると、すぐに兵の方へと視線を向けた。
「見つけたか?」
源太が俺の後ろから出て来て、俺の代わりに声をかける。
「はっ、おそらくは。確認をお願い致します」
一番手前にいた兵が、視線は部屋の中へと向け槍を構えたまま、源太の問いかけにそう答えた。
源太もそうだが、兵たちにも行動、応答に一切の迷いが見られない。腕も立つが、心も強い。流石に選ばれた精鋭たちだった。
その一方で、太助はなんとか揺れる感情を抑えてついてはいるようであるものの、やはり心の動揺がまだ見て取れた。
良くも悪くも、まだ『庶人』だった。
いきなり押しかけて、罪の有無を確認する事もなく、一方的に虐殺しているのである。太助のように、良心を刺激される方が普通と言えば普通だろう。
だがそれは、あくまでも陽の当たるところに暮らす一般人にのみ通じる話である。当然の事だが、そんな世界がすべてではない。
国を営むという事は、善と悪を同時に抱きかかえるという事に他ならないのだ。どちらかだけでは成立しないのが国というものである。
国の建前が綺麗事で出来ていて、皮を一枚二枚剥けば残りが真っ黒なのは、それが理由だ。これに良い悪いはない。そういうものであり、そうでなくてはならないものなのである。
今回の事にしても、『効率』――この一言の下に実行されている。
常識的には、今やっているこれも悪行に他ならない。相手がどんな人物だろうが、そんなのは関係ない。間違いなく悪行である。
でも、国……俺たちはそれを行う。
悪い行いだと承知していても、俺や将は正当性を謳いそれを命令するし、兵はその命令通りに動く。
どちらも、必要だからである。それ以上でも以下でもない。
文句は言わせない。その代わり、負けた時にどうなっても文句は言えない――――そんな、どんな事であろうと、必ず勝って終わらなくてはいけない世界での話なのだ。
そして、この店の人間たちの住んでいる世界も似たようなものである。
だから俺の意思は、膳兵衛たちにはこれ以上なく正確に、そして明確に伝わっているに違いない。
俺に逆らうな。逆らえば殺す――――と。