第百六十五話 為右衛門に会う前に…… でござる
「はい。余程に堪えた様で、聞いてもいない事まで洗いざらい。二人を個別に尋問いたしましたが、やったのは膳兵衛とやらの所の若衆、依頼主が巽屋為右衛門で間違いないようです。金崎領となった後も女郎屋商売を許可する事と、幾らかの金子で協力を約束したようですね」
やるなあ。説明していなかったが、『二人』残した意味はちゃんと汲み取ってくれていたようだ。
そう思いながら、
「ほう……、その程度でか。俺たちも随分と安く見られたもんだなあ」
と、俺は部屋に大の字になり天井を見上げたまま、源太に答えた。
「まったくです」
「明日にでも『挨拶』しに行こうか」
源太の方を見る事なく、俺はのんびりとそう言う。
「承知致しました」
「それで、あの二人は?」
ちらり。
源太の方に視線だけをやった。
「流石にこれだけしゃべってしまっては、もう一家の下へ戻れないと泣きつかれましたので、この一件が片付いたら幾ばくかの金を持たせて三沢の方に放してやると約束致しました。現在は、見張りを二人付けて、塩の保管庫として使われていた蔵に閉じ込めてあります。よろしかったでしょうか?」
「妥当だな。上出来だ。ご苦労さん、源太」
俺が体を起こしてそう言うと、源太は、
「いえ。お役に立てた様で何よりです」
とフッと鼻で笑うような、いつもの笑みを浮かべた。
その後、源太は聞き出せた細かい話を、すべて報告してくれた。
そこから分かった事は、為右衛門と膳兵衛が、持ちつ持たれつで思いの外共存関係にあるらしいという事だった。だが、特別重要な情報がそこからもたらされる事はなかった。
すでに源太がやってきて小一時間ほど経っただろうか。源太の報告を聞き終わったところで俺は、
「明日ももう一仕事あるから、今日はゆっくり休んでくれな。あ、でも兵に出発の準備をさせなきゃならんか。どうする? 俺がやろうか?」
と源太に尋ねる。今日は、しんどい役割をさせてしまった後ろめたさもあって、思わずそんな事を聞いてしまった。
が、源太は、
「いえ、大丈夫です。有り難うございます。では兵に準備をさせたら、私も休ませて頂きます」
と横に首を振った。
「そうか、分かった。ホントお疲れ。終わったら、ゆっくり休んでくれ」
「はっ。では、失礼します」
源太はそう言うと、軽く頭を下げて部屋を出て行った。
部屋の中は、再び鼠の足音が響くほどに静かになる。物思いに耽るには、適度な静寂さだった。
それにしても、なんという面倒な土地なんだろう。今回の一件が起死回生の一手になるなら、苦労のし甲斐もあったという事になるが、それにしても色々と疲れた。
まだ終わっていないし。このぐらい愚痴っても罰は当たらない。
伝七郎の奴に一杯食わされたようなもんだし。
偶々なのは重々承知しているが、それにしてもという奴である。塩の件だけも十分に面倒な案件だったのに、実際の所はその何倍も厄介な案件だったのだから。
まあでも、厄介でもこのタイミングでここに来られて良かったと思う。これを放ったままにしてしまっていたらと思うと、正直ゾッとする。どうにもならなくなっていた可能性がかなり高い。
そういった意味では、俺は最高にツイていた。悪魔的なヒキだったと思う。為右衛門らにしてみれば、災難以外の何ものでもないだろう。
だが、それでも言いたい。俺はツイていなかったと。
翌朝予定通り、俺たちは二水の町に戻るべく施設を出発した。
太助は昨晩じっくりと考え続けたのか、朝かおを合わせた時、眠たそうに目をしばしばとさせていたが、何かがふっきれたように見えた。
俺の陪臣になって以降は、俺の事を『神森サマ』などと呼んではいたが、どこか舐めた様なところがあった。しかし今朝、「……お早う……ござい、ます」と、言い難そうにモゴモゴと挨拶をしてきた時には、そんな気配がまったくなくなっていたのである。
思わず太助をまじまじと見つめてしまい、「な、なんだよ……」と気持ち悪がられたのはご愛敬だ。
そんなちょっとした変化のあった太助は、今は俺の横を、俺の乗る馬の面懸|(※轡を固定する為に馬の顔にかける緒。馬具)を持って歩いている。源太とともに、俺を左右から挟む様にしてついてきていた。
そんな太助を見て、俺は頃合いをみて声をかける。
「太助」
その俺の声の低さのせいか、太助は肩を一つぴくりとさせ、無言でこちらを向いた。
「今日も先日に引き続き、少々キツいものを見る一日になるだろう。だが、それから目を逸らすなよ? きちんと見届けろ。世の中、綺麗なものばかりではないし、人にも色々な人がいる。だから、警告、交渉などでは、時、場所、場合、そして相手によって、使われる『言葉』も『手段』も変わってくる。為右衛門にしろ膳兵衛にしろ、お前は俺たち以上によく知っているだろう。その二人が、俺とどういう『会話』をするのか。それをよく見ておけ」
俺が言い終わると、太助はごくりと一つ喉を鳴らし、「……わかった」と短く答えた。その顔はとても真剣なものだった。
まるで、何かを企んでいるような変わりっぷりである。
太助は太助なりに一晩考え抜いて、今の太助に出せる某かの結論を出したようだった。
だから俺は、とりあえずはその太助の変化を受け入れてやろうと思った。余計な事は何も聞くまいと決める。
それに実のところ、俺も見た目ほどに余裕がある訳ではない。虚勢を張っている。さっきのだって、太助に伝えながら、自分に向かって言っていた部分もあった。
迷うな。躊躇うな。
悪は悪。だが、必要な時にはそれを選ぶのだと。
躊躇いは隙に他ならず、隙を見せれば必ずそこを突かれるのである。それが弱肉強食の世界だ。だから物事に対処する時には、絶対に舐めてかかってはいけない。特に今回は、明らかにそういう世界で生きている相手なのだから。良心などはなんの足しにもならず、それに従っても、ただ隙を晒すだけの事になるのである。
俺も伝七郎と共に、水島の民を背負っている。爺さんからも、藤ヶ崎を託されている。あれは、水島そのものを託されたに等しい。
そんな俺が、甘い幻想に漬かって敵に脇腹を晒す事などあってはならない。
それらの事をゆめ忘れてはならない――――と、自分にもそう言い聞かせていたのだ。
馬の背に揺られながら、俺たちは来た道を帰る。その道中は何事もなく、平穏そのものだった。
朝、日の出からゆっくりと準備をして、そして、ゆっくりと半里の道程を帰ってきたのだが、巳の刻――午前十時過ぎくらいには巽門に到着していた。
巽門は、町一番の大通りの端にある門だ。日の出からしばらく経っている事もあり、いくら二水が寂れつつある町だといっても、それなりの人出はあった。
俺たちが門前に到着すると、それらの人々が皆、丁度俺たちがこの町にやってきた時と同じように、道の端へと逃げていく。商売人も、たまたまその場に居合わせてしまったというような者たちも、怯えた様な表情を浮かべるか、あるいは露骨にチッと舌を鳴らして、疎ましそうな表情を浮かべながら移動した。
藤ヶ崎とはえらい違いだった。
あっちだと、最近ではわざわざ出迎えてくれる町民たちもいる。それ程に、俺たちは歓待されている。
まあ、藤ヶ崎のあれは勝っているからで、あの状況をそのまま水島への従心と受け取ったりはしていないが、それでも比べてしまうのが人情というものだ。そして、それと比べてしまうと、この眼前の光景はやはりうら寂しく思える。
だがこれが、この町における俺たちの現状の評価なのだ。
これから地道にやっていくさ。
俺は気持ちを切り替え、目の前の空いた道の真ん中をまっすぐに進んだ。
しばらく行くと、巽屋の前までやってきたが、俺たちはそこを通過した。先に行かねばならない場所があるからだ。
太助の案内で、俺たちはずんずん道の真ん中を歩いて行く。巽屋の前を通り過ぎてから二本ほど通りを渡り、曲がる。すると目的の場所に着いた。
膳兵衛の店――『三上や』である。