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姫様勘弁してよっ! ~異世界戦国奇譚~  作者: 木庭秋水
第三章
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第百六十三話 表と裏 でござる その二

「なんだよ。藪から棒に」


 俺の突然とも言える内容の問いかけに、太助は眉を顰めた。今はそんな話をしていないだろという苛立ちが、ありありと窺える。


「いいから答えろ。国は善なる存在か?」


 重ねて尋ねると、太助はイライラとしながらも少し考え、


「そりゃあ、そうあるべき存在だろ」


 と吐き捨てるようにして答えた。


 俺はそれを即座に否定する。


「いや、『そうあろうとすべき』存在だ。『そうあるべき』存在ではない。というか、むしろそうあってはならない。だから、そうあろうと努力する国はあれど、善なる国など存在しない。もし仮に生まれても、瞬く間に歴史の狭間へと消える事になるからだ」


 すると太助は、再び眉を顰めてしまう。


「は? そうあろうとすべきだけど、そうあるべきではない? 一体何を言っているんだ。それに、あんたら(さむらい)はいつも言ってるじゃないか。より強く、より豊かに、そして国が乱れて民が安全に暮らせなくなるような事がない様に、自分たちが守っていると。それが善い国で、そんな自分たちは正しく、それを為せるのは自分たちだけだと。あれは一体何なんだ?」


「ああ、その通りだな。どこの国主も――それこそどんな悪逆非道な君主でも自分が正しいと言っているし、国を正しく治められるのも自分たちなればこそと言っている。自分たちの国こそが善い国だとも言っているな。もちろん俺たちも例外ではない」


 俺は、太助の言っている事を認めた。しかし太助が問うた二つの問いかけに、直接の解答をする気はない。それは、太助が自分で辿り着かなくてはいけない答えだからだ。そこに到る思考の過程こそが、今の太助に必要な物なのである。


 だが今の太助には、それが分からない。だから、いよいよ混乱してしまっていた。


 善であろうとすべきだけど、善であるべきではないと言ったり、どの統治者も自分たちが治める国こそが善い国だと言っていると言いながら、その統治者側の人間である俺が善い国などないと言ったりしたのだから、当然なのかもしれない。


 でもこれは、嘘偽りなく事実だった。


 だからこいつは、少なくとも二水の町を背負おうとしたのだから、この程度の事は理解する義務がある。これは、組織の大小に関係なく、人の上に立つものが理解しなくてはならない事の初歩だからだ。


 故に、難しい事なのは重々承知しているが、俺はそれを要求した。


 しかし太助は、しきりに足下の地面を足先で蹴飛ばしている。


 いきなりは無理か……。


 そんな理解できない苛立ちと、纏まらない思考に難儀している様子の太助を見て、俺は助け船を出してやる事にした。


「いいか、太助。物事は必ず、表と裏の二つで一つだ。善なるものも、裏から見れば悪に見える。逆もまた然り。そういうものだ。故に、完全なる善、完全なる悪などというものは、存在する事自体難しいんだ。一つ例を出してみようか。お前は二水の町を、そして町の皆の為を思って、父親の造反が失敗に終わる様に動いた。そうだな?」


「……ああ」


 太助は俯きがちに顔を伏せながら、目線だけを俺に向けてきた。


「善だな。故郷の為に、そこに住む人の為に、自ら立ち上がって戦う。立派な志と行いだ。だが一方で、統治者、施政者側からこれを見るとどうなるのかというと、お前は治世を乱す騒乱を起こした只の賊徒。悪だ」


 はっきりとそう告げる。


「なっ」


 太助は目を剥き、それは心外だと反論しようとしたと思う。だが俺は、そんな太助を右手を軽く挙げて宥め押さえて、そのまま言葉を続けた。


「勿論、為右衛門の反乱の芽を摘んだのだから、俺たちから見ても俺たちに利する面はあった。だが現実に、こうして俺が軍を率いてこの施設まで出向いているんだぞ? それを考えてみろ。確かに為右衛門のやろうとした事も水島への反乱だが、お前たちが起こしてしまったこの騒ぎも、水島から見ると反乱以外の何ものでもない。どうだ? お前は自分の目線でしか物事を見て判断していないが、見る方向が変わると、お前が善と信じていたものがきっちり悪になっているだろう?」


 ちょいとばかり意地が悪かったかもしれないが、この例こそが太助の心に一番深く突き刺さると思えばこそだった。


 そして思った通り太助は、俺のその言葉に二の句が継げなくなってしまっていた。先程まで上げていた目線までも伏せて、今はどこか心身共に項垂れた様子に見える。


「でもな、太助。終わった今だから言うが、それでいいんだ。そりゃあもう少しやり様を考えろとは思うし、事を起こせば起こした分だけの責任も負う事にはなるが、さっきも言った様に完全に正しい、完全に善いなどというものなど、この世にはないんだ。一方から見れば善であっても、その裏から見ると悪……そんな事ばかりだ。だがそれは、そうであっていいんだよ。というか、そうでなくてはならないんだ。『完全』とは単なる理想にすぎない。そして理想というものは、目標ではあるが、決して到達してはならない場所なんだ。一つは、到達できる目標などは理想ではないという意味で。もう一つは、それを無理に求めようとすると、結果として『完全』から遠ざかるという意味で。歪になるからな。別の場所に無理が出る。それが、何事かに狂信的な『完全』を求めると失敗する事になる原因だ」


 太助は黙って俺の話を聞いていた。始めの様にくってかかってくる事もなく、かといって混乱しているようでもなく、ただただ黙って聞き、必死で俺の言っている意味を理解しようとしてくれていた。


 俺は、今の今すぐに理解できなくても、五年でも十年でもかけて分かる様になってくれればいいと思っている。だから、その太助の様子は、本当に嬉しかった。タイムリミットは、こいつが実際に二水の民を率いる様になるその時までなのだから。時間はまだ十分に残されているのである。


 これが理解できれば、水島との確執を越えられるだろう。


 これはもう根深い感情の問題になってしまっているので、他所から何を言っても言葉は届かない。他の二水の民も同様である。そんな彼らがこの問題を乗り越えるには、自ら悟るしかない。そして俺は、これを理解できた太助に、民たちがそれを悟る為の補助輪となって欲しいのだ。現在俺が、太助の補助輪となっているように。


 だからこそ俺は、この話をしたし、また誤魔化したりもしなかった。太助にとっても、二水の町にとっても、ここが大事な分岐点となるのが分かっていたから。


 俺はそのまま語り続ける。


「今回、お前が俺を責めた件も同じだ」


 俺がそう言うと、太助は肩をビクリと動かした。


「お前が言った通り、俺は罪のはっきりしていない人間をなぶり殺しにした。これは誰が見ても、誰に聞いても悪行だ。俺もそう思うよ」


「…………」


 太助は黙ったままじっと俺の目を見据えている。


「だが、それが悪行だからと手をこまねいていたら、事態は何か好転したか? 俺たちは、今回の一件の裏をとらなければならなかった。その必要があった。しかし、当たり前の事だが、為右衛門にせよ女郎屋の膳兵衛にせよ、普通に聞いてしゃべる訳がない。かといって、俺たちも統治者施政者を名乗っている以上、はいそうですかと引き下がる訳にもいかない。なら、どうするか。無論、どんな手段を使おうが必要な情報をとるよ。その為に生け贄が必要なら、それも用意する。それが、誰かの上に立ち誰かを統べる者が負う責任という奴だ」


「冷酷だな。どんな犠牲も厭わないってか」


 太助は強がる様に吐き捨てた。


 だが俺は、それをあっさりと否定する。


「いや? 俺たちも人間だからな。差し出す代償が惜しいと思えば、差し出さんよ。別の方法を考える。今回の騒乱でもそうだった。もしお前らがまったく見るべき所のない下衆だったならば、お前らは勿論の事、後に新たな騒乱を起こしそうな二水の町も、見せしめとして纏めて滅ぼす選択を俺はしていたかもしれない」


 俺がそう言うと太助も流石に驚き、目を見開いた。その口は何かを発しようとするが、上手く動かせない様だった。


 だが俺は、はっきりと告げる。


「これ、脅しでもなんでもなく本当の事だぜ?」


 この言葉に、太助は何かを言おうとするのを止めた。実際に、罪があるのかどうかも分からない男を一人なぶり殺しにした直後だけあって、言葉の説得力が違ったのだろう。


 太助は、視線を落して考え始めた。


 俺はそれを見て、太助の邪魔をしない様に黙る。背を向けて、再び水浴びを再開した。


 ザバーッ。


 満天の星の下、その音がやけに大きく聞こえた。

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