第百六十二話 表と裏 でござる その一
一人を皆の前で惨たらしく殺し、その他への警告とする――――。
古今東西あらゆる文明、あらゆる国にて、そしてあらゆる組織にて行われてきた警告方法である。某国の麻薬密売組織といった裏社会の住人達のやり方としてのイメージが強いが、これは別に裏社会にのみ限定された方法でもない。あまりにも有効すぎて、今以てあらゆる場所、場面で存在している。
まあ、表社会では裏社会ほどには直接的ではないが。その要めの精神は普及している。
俺は男を一人、生け贄とした。
その成果はあったと思う。弟分二人の様子を見るに、今頃は源太に泣きついている筈である。そして源太に聞かれるままに、知っている事は洗いざらいしゃべっている事だろう。
そろそろ、当事者たちから事の真相を聞き出さなくてはならない頃合いだった。
彼らは”たまたま”その対象として選ばれただけである。そして、その中の一人に死んでもらっただけの事だった――――必要だったから。
塩泉の畔を立ち去り洞窟の入り口近くまでやってきた時、警備に立っていた兵二人は俺の姿を見るなり身構えた。
中に入るなと命令をされていたものの、中で悲痛な叫び声が何度も上がり、そののち奥の暗闇の中から色濃い血臭をまとう人間が姿を現せば、当然の反応だろう。なにせ俺は、刃がむき出しの血まみれの刀を握っていたのだから。これで無反応ならば、むしろ兵たちの武人としての資質を問わねばならない。
だから俺は二人を責めず、静かに声をかけた。構えた槍を下ろせ、と。
その声を聞いて、二人はやっと俺が神森武である事を悟ったようだった。松明の明かりしかなく薄暗いせいもあったとは思うが、多分それ以上に俺の姿が酷すぎたのが原因である。腕や胴体など、自分で見る事が出来る範囲だけでも、大変な事になっている。明るい場所で見ても、ぱっと見で判別できるか怪しく思えた。当然、血臭も凄かったに違いない。俺の鼻は、とうの昔に馬鹿になっていたから、おそらくの話ではあるが。
まあ何にせよ、とりあえず二人の警備兵は出て来たのが俺という事は分かってくれ、槍の穂先は即座に下ろされた。
二人はすぐに謝罪をしてきたが、俺は口で説明する事なく、軽く手を上げて気にするなという意思を示す。そしてその代わりに、井戸端で体を洗うから着替えを取ってきてくれと頼んだ。
その段になって、ようやく二人は俺の姿をはっきりと見る事が出来た様だった。多分無意識だったとは思うが、一人が「はっ」と応えたのとほぼ同時くらいに、二人とも半歩ほど後ずさったのだ。
エリート部隊の一つである青竜隊の隊員をして、これだった。どれほど酷い格好をしているのかは、推して知るべしというものだろう。
二人のうち先ほど返事をしてくれた方が、すぐに俺の着替えを取りに建物の方へと駆けていった。
俺はその後ろ姿を見送り、残った方に「すまんな」と声をかける。
兵は「い、いえ」と返事をするが、その目は右に左にと落ち着かなかった。まだ少し動揺しているのだろう。
だが、なんとか対応はしてくれていた。なので俺は、この男にも一つ頼む事にする。
「じゃあ俺は体を洗いに行くけれど、このあと多分、ここを占拠していた子供らの頭が出てくる。出て来たら、俺は井戸の方へと行っていると伝えてくれ」
そう言伝をした。
その俺の依頼には、兵は「はっ。承知致しました」と今度はしっかりとした言葉で返してきた。背筋もピンと伸びており、流石は精鋭部隊の兵と思われる様な応答だった。
俺はその返事を聞き一つ頷き返し、その場を後にした。
井戸端に着くと、返り血でグチャグチャになった着物を脱ぎ捨てる。そして俺は、六尺(ふんどし)一丁になって水を頭からかぶった。
――――ザバーッ。
体を伝い流れる水が、まるで赤絵の具をたっぷりと溶かした水の様な色をしていた。
二度、三度、四度、五度と、俺は水を頭からかぶり続ける。体の表面を流れていく水は段々と透明なものへとなっていった。が、心の奥に澱の様になって溜まった不快感だけは、水に溶けて流れていってはくれない。
ふぅっ。
大きく息を吐き出す。
石けんなどという物がなく水で流しただけなので、まだベタつくような感じが体中に残っている。臭いも、完全には取れていなかった。でも、先程までよりはずっとマシだった。
その後も水をかぶり続けた。そのうち俺の着替えを取りに行ってくれていた兵がやってきて、俺に着替えと手拭いを二本渡してくれた。俺が「有り難う」と礼を言いそれらを受け取ると、その兵は軽く頭を下げてすぐに任務へと戻っていった。
その男と入れ違う様にして、太助がやってくる。
やってきた太助は俺を見てはいるが、口を開かない。ぼうっとこちらを見て、立ちつくしていた。聞きたい事はあるのに、何を言っていいのか整理できていない――そんな、何とも言えない表情をしていた。
俺は、そんな太助をしばらくじっと見ていた。太助が口を開くのを待っていた。でも、太助はいつまで経っても口を開こうとしなかった。
だから俺は、太助からわざと視線を外し背中を向ける。再び桶に水を汲むと、その水を頭からまたかぶった。そして、先程兵が持ってきてくれた手拭いのうちの一本を手に取り、それで身をこそぐ様にして体をゴシゴシと擦る。
しばらくの間その場は、俺が体を洗う音、水をかぶる音、そして虫の声だけがあった。
だが丁度俺が体を洗い終わった頃、とうとう太助が口を開く。
「…………なんでだよ。なんで、あんな事をしたんだ」
押し殺した様な声だった。
「あんな事とは?」
俺は尋ね返す。
「巫山戯るなよ。なぶり殺しじゃないかっ。やっぱり水島ってのは、民を玩具にして遊ぶ家なのか? あいつ……、助けてくれじゃなくて、はやく殺してくれと言っていたぞ。でもあんたは、それを無視してなぶり続けた。そんな事をする必要があったのか? いやそれ以前に、あいつらは膳兵衛のところの人間だとしても、火を付けた当人とは限らないだろ。なのに、あんな風になぶり殺しにして……。あまりにも理不尽じゃないかっ」
太助は思うままに、正直な気持ちを俺にぶつける事にした様だった。一度口を開くと、立て板に水を流す様に、一気にまくし立ててきた。
俺は手にした桶の水を体にかけ振り向くと、太助の顔を改めて見る。
なんというか、まっすぐな目をしていた。真剣だった。そして、わからない――その思いがどんな感情よりも強く見て取れた。
うん。いいな。やはり、その資質はいい。でも、それだけじゃあ駄目なんだよ、太助。
俺はゆっくりと振り返り、太助の目を見据えて言う。
「理不尽……か。その通りだよ、太助。あれは理不尽だ。玩具にした訳ではないがな。でも、それがどうかしたのか?」
太助は俺のその返答に、一瞬絶句する。だが、すぐに吠えた。
「それがどうかしたのかって……、おかしいに決まっているじゃないかっ。罪を犯したのかどうかも分からない人間をなぶり殺しにしたんだぞ、あんたはっっ」
だがそれにも、俺は真顔で答える。
「その通りだ。が、もう一度聞くが、それがどうかしたのか?」
「あんた狂ってるのか?!」
俺の反応に苛立ちを押さえきれずに、太助はとうとうそう叫んだ。
もちろん俺は、太助が言いたい事は分かっている。その感覚が正しい事も分かっている。
ただ、それが通用しない場所もあるだけなのだ。
それこそが、太助に見て感じ取って欲しかった事だった。だから俺は、太助の問いかけには答えずに、問い返した。
「なあ、太助。国は善か?」