第百五十八話 拉致 でござる
太助も、そして他の子供たちも、沙汰という名の提案を受け入れた。
太助と、茜ちゃん他数名は俺たちと共に藤ヶ崎へ。残りは二水にて、それぞれの役割についてもらう事になった。皆、それを承知した。
それぞれの親に説明が必要になってはくるが、まあ、それぐらいは手間のうちには入らない。これで二水を落ち着かせる礎ができると思えば、実に安い対価だ。
俺はそっと一息をつく。これで半分片付いた、と。
しかし残りの半分は、非常にキツい仕事になるのは分かりきっている。考えるだけでも、メンタルをガリガリと削られていく。でも、やらねばならなかった。
肉食の獣を野放しにしておいては、危なくて仕方がないからだ。
俺はガンキンチョどもに、もうしばらくこの施設に残るように指示をした。いま村に返すと、ひょっとしてという事があるからだ。危ない事になるかもしれない。
その上で、太助の話の裏付けを取るべく、偵察を何人も放った。女郎屋の膳兵衛とやらの周辺を、徹底的に洗わせたのだ。
そして五日目の事、その結果が俺の下に届く。
『黒』――――太助が言っていた通りだった。
その報告が俺にもたらされた時、側にいた太助が『ほらみろ、神森サマ。俺の言った通りだっただろう』と、どーだと言わんばかり顔を俺に向けた。それ程に、脚色なく言った通りだった。
その時、同じく側に控えていた源太の方は、黙ってその報告を聞いていた。眉根にいくらかの皺を寄せながら。それは、何も分かっていないが故に脳天気にしていられる太助の表情とは違って、この後の事を理解している顔だった。
ただ、結果が黒なら俺たちのすべき事は一つである。避けて通る訳にはいかない。気が乗ろうが乗るまいが、きっちり『お話合い』をしなくてはならないのである。
そして、お話し合い――会話とは、相手に分かる言葉でしなくては意味がない。相手がこちらの言葉を知らないのなら、こちらが相手の分かる言葉で話さなくてはならないのだ。
それは、異国の言葉しか分からない相手に必死で日本語で語りかけても、まったく意味がないのと同じである。異国の言葉しか理解できない相手と話をしようとするなら、異国の言葉で語りかけねばならないのである。
これは、あらゆる会話に共通する。そう。例えば『警告』なども、例外ではないのだ。
俺はその報告を受けた後、源太と太助を連れて塩泉の湧く洞窟へと向かった。他に誰もいない状況で、少し話がしたかったからだ。
塩泉のある洞窟は、非常に単純な造りの洞窟である。
天井まで三、四メートル。最奥まで百メートル弱の大きな一つの穴だった。いくらか枝分かれもしているが、それらは極めて細く、わざわざそちらを選んで入っていかなければ、迷う事など皆無と言い切れる造りだった。
塩泉は、六十メートルくらい入った所にある枝道を入っていった所にあり、その枝道は、岩壁が崩れ落ちたような横穴から続いている。そして十五メートルほど進むと急に目の前が開けて、二十メートル四方ほどの小プールがあるのだ。
そしてそのプールの水は、確かに海水のように塩辛いのである。まさに塩泉といった感じだった。ここを制圧した日に水を実際に舐めにきていたので、それはもう知っていた。
今日再び見たその小プールは、初めて見に来た日と同じく、まるで鏡面のような水面を見せていた。この小プールのある場所は風らしい風もない。だから、さざ波一つ立っていない。
そのプールの水辺に立って、俺はジッと奥の方を見つめながら、このあと俺たちがすべき事を整理していた。
そのあいだ源太は、俺の後ろに立ったまま、黙って待っていた。太助は地面に転がっている小石を蹴り飛ばしたりしている。落ち着かない様子だった。
カツン――――、カラコロ……。
太助が蹴った石が洞窟の壁に当たり、跳ね返って転がる音がやけに大きく響く。
それ程に、この場には音がなかった。警備の兵も洞窟の入り口にしか置いていないので、それも当然だった。
「……源太」
俺はプールの水面に目を落しながら、源太に呼びかける。
「はい」
「二人……、いや三人。膳兵衛とやらの所の下っ端を……連れてきてくれ」
「女郎屋のところのをですか?」
「ああ。方法は問わない。誰にもバレないように、速やかに……」
感情を意識的に押し殺そうとしたせいか、思ったよりも低い声が出た。
しかし源太は、それには突っ込んでこない。太助も何も言っては来なかった。
太助なら、こんなセリフを聞けば瞬間湯沸かし器のように騒ぎ始めてもおかしくはないのに……と疑問に思う。だが、もしかしたら、それを越えて言葉を失ってしまっているのかもしれないと思い直した。まあ、どこの犯罪組織の人間だというようなセリフだったから、それも十分にありえる事だろう。
その答えは俺が後ろを振り向けば、簡単に出る。だが、そうする気にはなれなかった。
俺は、そのままぼうっと、まるで透明な板を張ったような水面を眺め続けた。
しばらくして、「……はっ」と源太が答える声が後ろから聞こえた。その源太の返事は、洞窟に軽く反響して消えていった。
……うん。サンキューな、源太。
多分、俺の様子から源太は深く問うのは止めて、ただ信じる事にしてくれたのだろう。それがとても有り難かった。
正直、微に入り細に入り説明を求められたら、自分の良心……いや『弱い心』に負けてしまいそうだったから。
俺は今、自分の未熟さを痛感していた。
この件を決着させるにはこれしかないと思っていながらも、甘ったれた考えが脳裏をチラついて仕方がない。そこまでする必要はないんじゃないか――すぐに、そう考えようとする。自分が楽になろうとする。
正直みっともない話だった。でも現実の問題として、いま俺は、結構内心が不安定になっていた。
だから、何も聞かずに分かったと言ってくれた源太が、本当に有り難かった。
でも、甘えてばかりもいられない。
一度大きく息を吸い、そして吐く。そののち俺は、ゆっくりと二人の方を振り向いた。
まずは源太に声をかける。
源太はいつもの飄々とした様子ではなく、極めて真剣な顔つきで、こちらを見ていた。
「……うん。よろしく頼むな、源太。それともう一つ。お前には先に言っておかないといけない。いいか? お前が膳兵衛のところのを攫ってきたら『確認作業』にはいるが、俺が『次』という言葉を口にするまでは、何があっても俺を止めるな。そして逆に、『次』という言葉を俺が発したら、すぐに俺を止めに入れ。いいか? 大事な事だから念を押すぞ。『次』だ。これを絶対に忘れないでくれ」
その言葉を聞いても源太は、まったく動じなかった。一方太助は、再び足下の小石を蹴ろうと軽く右膝を曲げた姿勢のままで、固まってしまっていた。こちらを向き、目を見開いて驚きを顕にしている。
俺はそんな太助を無視して、源太への話を続けた。
「そして俺を止めた後は、源太、お前が話を聞き出せ。最低限、館に火を放ったのが自分たちである事をしゃべらせた上で、為右衛門の関与について絶対にゲロさせろ。いいな? 頼んだぞ」
俺は細かい説明をせず、要求だけを口にする。
しかしそれにも源太は、「承知いたしました。『次』ですね?」と短い確認をしてきただけだった。
俺はそれに一つ頷き、
「ああ」
とだけ答える。
そして次に、未だ固まったままの太助の方を向く。そして、こちらを凝視している太助の目をまっすぐに見据えて、俺は告げた。
「太助。お前もその場にいる事を許す。約束通り見せてやる。よく見ておけ」
太助はそう言った俺に、らしくない何かに怯えたような表情を向けた。返事がなかった。
「分かったか?」
俺は重ねて聞く。すると太助は絞り出したような声で、
「あ、ああ。分かった」
とだけ口にした。