第百五十七話 二水の未来の分岐点 でござる
そう言いながら俺は、ニヤリ――――と笑って見せた。
こいつはまだ何も分かっていない。物事のとらえ方、考え方が何もかも甘い。
二水の町が寂れた事を水島のせいにしているだけでも、それが十分見て取れる。これは二水の民全員に言える事でもあるが、水島が悪いという思いだけが育っていて、本当にそれだけが原因なのかと考える事は一切していない。
もし考えていれば、水島の存在は所詮きっかけに過ぎないという事に気付いている筈だからだ。
だが、そんな風に考えている様子は全くない。水島憎しで思考が完結してしまっている。
こうして面と向かって話をしていると、そういった甘さが伝わってくるのだ。
ただ幸い、根が素直そうな点と、正義感の強さは十分に買える。だから『今』は兎も角、『先』は期待できる人材だと思った。
それは、俺たち水島だけでなく、二水の町にとっても幸運な事だった。しかし、今のままではまったく話にならない。確かに正義感『だけ』は買えるが、今の太助はそれだけだからだ。
慣例から言えば、為右衛門の次はこいつが町の長の地位を継ぐ事になるが、今の太助のままでは、二水の町は現状よりももっと酷い事になるだろう。
だから、こいつは”本当の”世の中の仕組みを学ばなければならないのだ。
二水を本当に救いたかったら、それが最低条件になるのである。
太助が今持っている正義感を失わないままに、それを物にする事ができれば、きっと二水の町は再び力を取り戻せる。しかし逆の言い方をすれば、そうなれなければ、こいつ自身はもちろん、二水の町にも未来はない。
それ故に俺は、太助を懐に招き入れる事にしたのだ。
目の前に、常に”本物”の景色がある――――そんな状況に太助を置く為に。
国の中央付近というのは、そういう場所だ。嫌でも、その”本物”を見る事になる。美しさ、清らかさ、正しさなどというものからは程遠い。
そんな光景を見続ける事になるだろう。
でもその上で、今のままの気持ちを持ち続けてもらいたい――――。
そして”本物”を見て、そういうものだと理解した上で、心の芯までそれに染まらないで欲しい――――。
納得がいかないらしく、ギンッと鋭い視線をこちらに向け続けている太助の顔を見ながら、俺は心の底からそう願っていた。
だが、そうして招き入れる前に、一つ修正しておかなければならない。
今のこいつの甘ったれぶりは相当なものである。これだけやって、命があるだけでも儲けものだと思えない辺りに、その事がはっきりと現れている。とてもではないが、死すらも覚悟している様には見えない。
それ故に、その甘さが丸見えになっていた。これでは、万一悪意を持った何者かに近づかれた時に、足を掬われかねない。
とはいえ、それを直接指摘しても得られるものは少ない。これは、自分で気がつかなければ意味がない事だからだ。
だから俺は、胸の中で盛大な溜息を吐きながら、少しだけ助け船を出してやる事にした。
「それにそんなに憎いなら、それはそれでこの沙汰は甘受すべきだと俺は思うがな……。絶好の好機だよ」
「何が好機なんだよっ」
床几に座ったまま、組んだ足の膝に頬杖をついている俺に向かって、太助は吠えた。
そんな太助に向かって、俺はのんびりとした調子を崩さずに答えてやる。
「自分で言うのも面はゆいが、俺ってば水島のお偉いさんよ? ぶっちゃけ、中枢もいいとこ中枢だったりする。そんな俺の下って、水島を偵察するのにこれ以上ない特等席なんだが、お前はどう思う? お前、ずっと水島が憎い憎いと言っているけれど、その憎い水島の事をどれだけ知っているんだ? ちゃんと調べてあるのか? 兵力は? その配置は? 持っている人材は? 今現在の各組織の構成は? 税収は? 作物の収穫量は? 物資の流れは? 統治の仕組みは? 治安はどう維持されている? どれか一つでもいい。お前は答えられるのか?」
「ッ…………」
のんびりとした口調のまま、俺は太助を追い込んでいく。知らない事は承知の上だった。
太助はやはり答えられずに、口を小さくぱくぱくとさせるばかりだ。
ただ、ここで逆ギレしなかった事だけは褒めてやりたいと思う。それだけ水島に抗するという事を、本人なりに真剣には思っているという事に他ならないからだ。
しかしそんな思いは出さずに、俺は叱責するような言葉を続けていく。
「知らないんだよな。でも、なら何故調べようとしない? こうして行動を起こすところまで来ているのに。お前は敵の能力も知らずに戦うつもりだったのか? 一か八かの状況ってのも確かにある。が、今のお前らはそんな状況ではないだろう。そんな事では、どれだけ俺たちを憎んでも、憎い憎いと言うだけに終わるぞ? 何度戦いを挑んでも、今日と同じ結果しか得られない」
そう言い終わると、俺は頬杖をついていた右手の親指をグッと立てて、俺自身の方へと向ける。そして、不変の真理を告げるようにして言ってやった。
「俺の、水島の百戦百勝だよ」
これを聞いた太助は、パクパクさせていた口元をキュッと一度引き締め、口を開きかけた。しかし声に出すことはなく、奥歯を噛みしめるようにしてグッと堪えた。はっきりと、奴の顎の筋肉が張っているの見える。
太助がそうして堪えた事で、奴の口惜しさが逆に伝わってきた。
ギャアギャア騒いでいる奴ってのは、実はその口ほどには強い思いを抱いていない事が多い。むしろ黙っている奴の方が危ない。そしてそういう奴は、往々にして逆に笑うから質が悪かったりする。
だから俺は、太助の様子をしっかりと観察していた。
太助の感情自体は、隠されることなくきっちりと表に出ているように見えた。そしてそこからは、ただ単純に自分の力が及ばなかった事、指摘された通りに未熟だった事を悔しがっているようだと読み取れた。
それを見て、どうやらうまくいったらしい――――と俺は手応えを感じた。
悔しさではなく、憎しみを煽り立ててしまっていたら失敗だった。そして、こいつに悔しいと思えるだけの二水の町への本物の思いがなければ、この論法では効果がなかった。
しかし、効果が見て取れた。
その事で、こいつを自分の側に置こうと考えた方針は間違っていなかったと、少し自信が持てた。
だから俺は、そのまま言葉を続ける事にした。
「それに……、それ程に二水の町を思っているのなら、尚の事この沙汰に黙って従っておくべきだろう」
「……どういう事だよ?」
さっきの俺の指摘は流石に少々堪えたようで、太助は少し覇気を失った声音で、そう尋ねてきた。
ここからが勝負だった。すべてがここで決まるからだ。
「『ここ』を管理する人間がいる」
少し力を失っている目で俺を見上げた太助に、俺ははっきりと『地面』を指差しながら答えてやった。
「なっ」
後ろで、源太が驚く声が聞こえた。そりゃそうだ。いま太助たちを排除したばかりの場所の管理に人がいると、『太助』に言ったのだから。
太助は確認するように、二度ほどポポンと地面を叩きながら、
「ここって『ここ』をか?」
と確認してくる。
それに俺は大きく頷いてみせた。
「ああ、『ここ』のだ。事の真相がお前が話した通りなら、俺はここを為右衛門に返すつもりはない」
俺ははっきりとそう言い切った。すると太助は、侮蔑の色を浮かべた目をして、
「ハッ。いかにも汚い水島らしいな。場所が分かったから、親父は切り捨てか。うちの親父もざまあないな」
と吐き捨てた。そして、わざとらく笑い声を上げた。もちろん、その目は笑っていなかった。
まー、物は言い様だな。それだけの理由があるから、そうなるだけの話だが、要素だけを取り出して軽く味付けをしてやれば、太助の言いようでも間違ってはいない。
だから俺は、太助の言葉自体は軽く聞き流して、奴の思考の風向きだけを変えてやる。
「だからそうなるかどうかは、お前……、いやお前ら次第だと言っているんだよ」
悔し紛れの挑発に、俺がまったく乗ってこなかったせいだろう。太助は小さく舌を鳴らす。しかし、
「どういう意味だよ」
と尋ね直してきた。こいつはホント、色々な意味で正直者だった。
俺はかるくコホンと咳払いをして気持ちを切り替えると、太助の目をまっすぐに見据えて口を開く。
「確かに為右衛門からは取り上げる事になる。これだけの事をやらかしたんだ。真っ当に裁けば死罪も免れ得ないのだから、文句なんぞ言わせん。つか、当たり前に死罪にすれば、どのみちここは俺たちの管理下に置かれる事になるのだから、文句を言ったところで何の意味もない。だから、ここが俺たち水島の管理下になる事は、もうすでに決定していると言っていい。となれば、通常ならこの後俺たちは、藤ヶ崎あたりから適当な人間を送ってここを管理する事になる。ここまでは分かるか?」
ここまで話して、一旦言葉を切る。
「……ああ、それで?」
「ん。しかし、それでは俺たち水島は何も困らないが、二水の町はますます力を失ってしまうだろう。二水の富を俺たちだけで吸い上げる事になってしまうからな」
俺はここで、太助だけでなく、その後ろの茜ちゃんや他の子供たちにも視線を巡らせていく。
俺の『策』では、太助は勿論だが、他の子供らの存在も重要になってくる。直接的にも、そして間接的にもだ。ここにいる子供たちは、間違いなく『未来』の二水の民なのだから。
俺は『今』の二水の町の子供たちではなく、そんな『未来』の二水の民に向けて弁論をぶっていた。
子供たちは最初こそポカンとした表情をしていたが、二水の為にと幼い正義感を燃やした子供たちだけあって、すぐに真剣な眼差しになって、こちらを真剣に見返してきた。
俺は、そんな子供たちを一人一人説得するかのように続きを語っていく。
「だがもし、お前らがここを管理する事になるとすればどうだ? 確かに仕組みの頂点は俺たち水島である事には違いない。だが、塩を売った稼ぎも、そして雇用……えーっと仕事も、そのすべてを俺たち水島に取られてしまう事はなくなるぞ? 少なくとも、今のまま行くと全くなくなってしまう物のうち、かなりの部分が二水の町に残るようになる。さっき言った『お前ら次第』というのは、そういう意味だ」
ここで、再び太助の目を真っ直ぐに見据える。
「太助……お前が俺の下で働けば、お前は俺の指示でここを管理する事になるだろう。そしてそのお前が、ここを管理する為に、この施設で働く者、できた塩などを売る為の店を管理する者、その他諸々をお前が信じられる二水の民の中から選べば、為右衛門は兎も角、二水の町は結果的に『ここ』を失わない」
「こいつらの処分は?」
太助は、すぐに後ろの子分たちの事を聞いてきた。
「言っただろ? 『二水の民の中からお前が信じられる者を選べ』と。その責任もお前が背負って、きちんと適切に運営しろ。しばらくは赤字にさえならなければいい。きちんと、払うもんも払って雇ってやれ。何か特別な理由でもない限り、きちんと運営されているかどうかしか俺は問わんよ」
俺は、太助が子分の子供たちの事をすぐに尋ねてきた事に内心満足しながら、床几から腰を上げた。その場でスックと立つ。
そして最後の言葉を、腹に力を込めて子供たちに向かって問いかけた。
「この話……生かすも殺すもお前たち次第だ。――――どうする?」