第百五十話 形勢逆転 でござる
「な、なんなんだっ?!」
子分たちが浮き足立つ様子に、鬼面の坊主がまわりをきょろきょろと見回しだした。
そりゃあそうだろう。いくらこの世界の人間の運動能力が非常識極まっているといっても、ああいう変態的なのが一般的だとは思えない。
「太助っ、あそこだッ! 水島の騎馬武者が崖を駆け下りて、こちらに向かってきているっ」
「な、なんなんだ、こいつら……」
鬼面の坊主の近くにいた少年――いや、体格的にも鬼面の坊主を呼び捨てた事あたりからも、あの坊主とタメか少し上って所か。そいつが崖の上を指差しながら叫んでいた。鬼面の坊主はその指差す先を見て、愕然となっている。
今の今まで、俺より年下っぽいくせに随分とガッチリした体の少年という情報しかなかった鬼面の坊主ではあったが、ひょんな事から名前がわかったものである。
太助……ね。あのおどろおどろしい面とガッチリしたでかい体の割に、随分と普通の名前じゃあないか。
この場面で、そんなどうでもよい事を考えていられるくらい、俺は落ち着いていた。頬の筋肉が、うっすらと笑みを作ろうと動いているのが自分でも分かるくらいだ。
だが、仕事はきっちりやる。この隙を見逃してやるほど、俺は優しくも甘くもない。
「おらっ、太助とやら。ちんたら驚いている暇はないぞ。これでお前らは終わりだぜ? ――――真ん中四人、残りは左右に分かれよ。源太の突撃にあわせて、こちらも押し上げるっ」
心の再起動なんかさせてはやらない。
じっくり考えられると思うなよ?
俺はわざわざ単身前に出て太助を煽りながら、自軍への指示を太助やその子分たちに聞こえる程の大声で出していく。
さあ、どうする?
だがまあ、聞くまでもなかった。俺の思惑通りの事態となった。
施設の中では、体の小さい者――おそらくはその見た目のままに幼い者たちほど、俺の言葉に強い動揺を見せた。いよいよ混乱具合が、収拾つかなくなり始めたのである。
そんな子分たちを見て太助はこちらに振り向くと、喉が潰れるんじゃないかと心配になるほどの大声で吠えた。
「うるせぇぇッ!! やはり水島だなっ。嘘つきの卑怯者だっ! 南からは襲わないと言ったじゃねぇかっ。水島は約束も守れぬ卑劣な家だっ!」
だが子供らと違って、共にもう何度も一緒に死線を潜っている俺の率いる兵たちは、そんな言葉に動揺する素振りは欠片もない。当然、俺の心も動かない。地に根を張った大木にくしゃみを一発放っても、枝一つ揺すれないのと同じだった。
こういうのは効く相手に、効く状況にして言うから効果がある。
太助は俺の不誠実をなじり、憎悪の感情をもって士気を保つ事を選んだようだが悪手だった。
「嘘つき? お前は何を言ってるんだ? 俺は『北の砦からは兵は来ない』としか言っていないぞ。お前が勝手に南から兵が来ないと解釈しただけだろう? 俺は何一つ、言葉を違えていないぞ、はっはっはっ」
相手も状況も読み間違えれば、その結果は失敗しか得られない。そして更に不味い事に、俺の反論に太助は黙ってしまった。面の中では、口をぱくぱくとさせているかもしれない。
やれやれ……。やはりやるとは言っても、まだ甘いな。
思わずそんな事を思ってしまう。そして、そんな自分に苦笑した。どこの年寄りだと。俺自身まだまだ経験の浅い若輩なのになと、自分に突っ込まずにはいられなかったのだ。
だがそれでも、俺はもうすでに命を張った戦場を何度か経験している。これはその差だった。
多分、太助は今回のこれが実戦(といっても、これが本当に実戦と言えるかどうかは微妙だが)は初めてなのだろう。少し前の俺ならば、今の太助と同じ状況におかれたら、やはり同じように二の句が継げなくなったかもしれない。
でも……、それではいけないのだ。
太助はここで、俺の理屈が正しかろうと間違っていようと、俺を糾弾し続けねばならなかった。
そうしていれば、俺たちの動揺は誘えなくとも、狼狽えた子分たちの士気をつなぎ止める事はできたかもしれなかったのだ。
だが太助は、甘さ……いや若さを出してしまった。俺の言葉を正論だと認めてしまった。おそらく太助は、根が素直で純な正義漢なのだろう。そして、こんな事態を引き起こしはしたものの、戦に関する経験はほとんどないに違いないのだ。少なくとも、正しい正しくないを考えてはいけない場面と、そうではない普段とを区別出来ない程度には。
これは、もしそれなりに経験を持っていれば、頭の悪い本物の山賊の頭領でも嗅覚が働く類いの事だった。
今もまだ棒立ちになったまま、単身前に出て自分らを睥睨するかのような俺に反論するどころか、何も手出しできないでいる。癇癪を起こして突っ込んでくるのもどうかとは思うが、これも不味かった。心の中が右往左往になっているのが、俺に丸見えだった。
それだけではない。
そうしている間にも、戦局という物は手の施しようもない状態へと動いてしまうのである。
すでに、源太の姿は俺の視界から消えていた。もう逆落としは終わり、太助らの背後をとるべく静を駆り始めている筈である。
陽動に成功した兵たちも、俺の指示に従い、すでに次の行動を開始し始めていた。正面の門へは四人、残りは三人ずつに迅速に分かれ終わっていた。もうまさに、総突撃の為の第一歩を踏み出そうとしているところだった。
一方子供たちはというと、頭の太助がパニックを起こしてしまっている為、その他の者たちはもうすでに先程までのような統制のとれた反撃や対応がとれなくなってしまっている。偶に単発の投石が見受けられるが、そんな物で青竜隊の兵が止められる訳がない。あっさりと打ち落とされるなり、避けられるなりされていた。
そんな中、太助の他にもある程度の年齢の者がいるようで、気丈にも大きく声を張り上げながら、周りの者たちを鼓舞し動かそうと試みている者もいた。
ただ残念な事に、その心意気は仲間の子供たちには届いていなかった。すでに怯えきってしまった子供たちの心を再度奮い立たせて、平常心を取り戻すには至っていなかったのである。
結果、子供たちの大半も太助同様に、戦場で棒立ちになってしまっていた。
もっとも、子供らのこの様を未熟と吐き捨てるのは少々酷なのかもしれない。
おそらくは、本当に未熟な者たちばかりであろうし、施設の中の子供たちには、いま背後より迫り来る源太の姿も、おそらくは見えているのだろうから。
前後を挟まれ、突然今まで善戦していた相手が激しい攻勢に移ってくる。
怖いだろう。絶望しているだろう。心を平常に保つ事など無理な話というものだった。
経験が浅い者ほど一度崩されると脆い。
俺自身も気をつけていた。未熟な者が想定外の事態に出くわすというのは、それ程に危険な事なのだ。ガラスの天才の正体である。逆に言うと、想定外の事態が起こって、それを涼しい顔をして捌けて、はじめて本物なのだ。俺も早くその域に辿り着かねばならなかった。
いずれにせよ、いま目の前の子供たちは大混乱に陥っていた。有り体に言って、チャンス到来だった。
だから俺は、容赦なく詰めに入る。
当然だった。この機会を狙っていたのだから。今がもっとも両軍に被害を出さずに、この戦に決着をつけられる最高の機会なのだ。
「左右そのまま押し込め。だが無茶はするなよ。目の前の者たちをその場に縛りつけられていれば、それでいい。しかし押し切れそうなら、押し切ってしまっても構わん。臨機応変に対処しろ。正面は、源太が速やかに鬼面の坊主との一騎打ちに入れるように援護に入るぞ。そのまま正面の守りを打ち破りにかかれ。鬼面の坊主への援護に向かわせるな」
早口ながらも、冷静に指示を出していく。
一対一であれば、源太があの太助という坊主に負ける事はまずない。しかし他の子供たちにまで押し寄せられては、子供たちを殺さず傷つけずに勝負を決めるのは難しくなってくるだろう。
だからそうならないように、俺たちは徹底してサポートにまわる必要があった。今回の俺の策は、事実上源太の個人技で勝負を決めるものである。だから、その力を存分に発揮できる状況を作り出す事が俺たちの仕事になるのだ。
ただそれにしても、今回この『戦』に参加している青竜隊の十人も流石だった。
もともと選ばれた者たちである青竜隊から選んだ者たち――つまり最精鋭なのだから当然といえば当然の事ではあったが、いざ攻勢の指示がでると、圧倒的な戦闘力をしっかりと発揮し、各々の役目を確実に果たしている。まかり間違っても、子供に後れをとるような者は一人もいなかった。
やっぱ実力差はこんなもんだよなあ。
両軍に死人を出さないようにするという前提が厄介だっただけなのだから、当たり前の結果に向かって突き進んでいるだけではあった。
でも、そう思わずにはいられなかったのだ。
先程までの苦戦はなんだったのだという勢いで、青竜隊の兵たちは猛烈に押し上げ始めている。もっとも、本当に苦戦のフリをしていたようなものなのだから、こちらが本当の姿ではあった。
しかし、子供たちにとってはそうではない。
先程まで互角にやり合えていた相手が急に強くなり、いきなり抵抗できなくなったように感じている事だろう。実際、先程までよりも子供たちの混乱の度合いは強くなっている。もう完全にパニックになっており、大半が右往左往してしまっていた。
そしてその混乱が頂点に達したように見えた頃、柵近くで棒立ちになっていた太助が再び動き出した。
だが、もう遅い。
ここまでになってしまっては、もう太助に打つ手など残ってはいなかった。もし本当の戦ならは、自軍の被害を如何に最小限にして負けるかを考えねばならない段階である。
だが太助には、やはりというか、それを理解できるだけの経験がまだないようだった。施設の内側に向かって大声を張り上げる。
「お望み通り、相手になってやるっ。水島なんかに、俺は負けないっ!」
源太が到着したようだった。そして、
決まったな……
と確信した瞬間でもあった。
源太を目の前に見て自分との実力差も測れないならば、もう万に一つも太助に勝ち目はないからである。