第百四十七話 虚実 でござる
「何故にあそこまでしてやったのです?」
鬼面の坊主の側を離れ自陣が近づいてきた頃、源太が尋ねてきた。
一息に叩き潰せるのに潰さず、それどころか使える兵も使わずに戦うと、俺があの坊主に約束した事だろう。
それはそうだ。戦は遊びじゃあない。無駄に兵に危険を冒させるとなれば、将として黙っている訳にもいかない。何故だと問いたくなる気持ちは理解できる。
あの場で口を挟まなかったのは勿論俺への信頼もあっただろうが、源太が自分の立場を弁えていたからだろう。そして今尋ねているのもまた、己の立場を弁えているからに他ならない。
そんな源太の問いである。俺はきちんと答えてやらねばならなかった。相応しい者には相応しい扱いというものがあるのだ。
だが、そうだな。どう言えば、もっとも理解しやすいだろうか。
俺はまずは質問には答えずに、問い返してみる事にした。
「あそこまでしてやった……か。本当にそう思うか?」
まずは、そこからだった。あの場で見せていた俺を、源太がそのまま思考の基本においていたとしたら、それ以降は絶対に正解には辿り着かない。あの坊主たち同様に、俺の策に嵌まる事になる。
だが源太は、そこの部分に関しては、その様に受け取ってはいなかったようだ。尋ね返すと、源太はヒョイと小さく肩を竦めてみせた。そして鼻で小さく笑うと、
「いいえ。いつになくお優しいので、面食らった次第です」
と言った。まったく驚いた様子もなく、言葉だけで驚いたと主張してきやがったのだ。
うちの連中はどいつもこいつも……。
思わずそんな愚痴が浮かぶ。要するにこれは、「何を考えているんだ。さっさとHANASE」って事なのだ。
良い態度である。
とは言えそれは今更なので、態度の事は横に置いておいて、とりあえず一言だけ申し上げておく事にする。
「俺はいつだって優しいだろうがよ」
しかし、源太はそんな俺の反論を、まったく存在しないかのごとく華麗にスルーした。
「それで何をお考えで?」
大丈夫。俺は泣いていない。
俺ってば、それなりに偉い筈なんだけど、こいつらに扱わせればこんなものだ。
俺は大袈裟に脱力して見せた後、すぐに背筋を伸ばす。
巫山戯て話す内容じゃないので、前置き代わりにそうして見せたのだ。すると源太も表情を引き締め直した。真面目に話を聞く体勢をとる。
「うん。まあ、お前の考えている通りだよ。情けはかけてやるつもりだが、手心は加えない。本気で相手をしてやるつもりだ。だから、ああ言った」
「それならば、普通に数で押した方がよかったのでは?」
俺の答えに、源太は少し考える仕草を見せて聞き直してきた。それに俺は即答をする。
「それをやってしまうと、最悪こちらに死人が出るだろう?」
「こちらに?」
「ああ。追い詰めすぎると、相手の意思を完全に挫く事が出来なかった場合、敵は我を失って必死の抵抗を試みる。その時、俺から殺すなと命じられた兵たちは後手を踏むかもしれない。普通に倒すのとは違うからな。うちの精兵と町の子供という実力差があっても、この状況だと万一が起こりうる」
そう言うと、源太はやっぱりという顔をした。
「ああ、やはり殺さないように命じるおつもりでしたか」
俺ははっきりと頷く。そして、
「今回の戦では、後々の事を考えるなら一人の死者も出す訳にはいかない。死者を一人も出さずに済ませる場合と、そうでない場合――望める未来が恐ろしく違う。だから、あいつらに死人を出さない事も勿論だが、俺たちも死者を一人も出してはいけない戦いなんだ。今回はな」
と、そう断言した。源太は、そんな俺の顔をじっと見つめている。
俺はそのまま言葉を続ける。
「もし子供を殺せば、二水の町の反水島の感情は、いよいよどうにもならない所まで高まるだろう。だから可能な限り殺したくない。だが、そうして子供を殺さずにこの場を乗り切れても、それだけではこの話は片付かない。こちらに死人を出してみろ。俺はあそこにいる子供らを『賊』として裁かねばならなくなる。そうなった時には、もう選択肢はない。これをなんの理由もなく見逃すならば、悪しき先例として残ってしまうからだ。だから、きっちり裁かざるを得なくなる。つまり――――、折角殺さずに捕まえた子供らを処刑しなくてはならなくなるという事だな」
そこまで一気に説明した。そして深く一つ息を吸い、吐く。
「この場合は、二水の民からも面と向かっては非難はされないだろうが、生まれる感情は間違いなく町の者たちの心に澱みとなって残るだろう。道理がどうであれ、な」
二水の町にとって、俺たちは確かに統治者ではあるが、その意識においては間違いなく余所者扱いだ。
そんな俺たちが、どんな理由であれ町の子供らを殺すという事になれば、当然の帰結としてそうなるだろう事は、容易に想像できる。これが大人ならば道理の方が上回る。しかし子供に対してとなると、途端に理屈ではなくなるのが常なのだ。
源太も眉間に皺を作り少し口ごもりながら、俺のその予想に同意した。
「それは……その通りですね」
その源太の様子に、きちんと言いたい事が伝わっていると確信した俺は、
「それを避けたかったのさ」
という言葉で説明を閉めた。
しかし源太は、改めてすぐに問うてくる。
「避けられるのですか?」
尋ねた後も、俺の目をじっと見つめたままだった。
俺は少し考えて、
「ぶっちゃけ、連携をとられたり囲まれたりさえしなければ、お前一人でもあそこにいる全員を倒せるだろう?」
と尋ね返してやる。すると源太は、考える事もなく即座に一つ頷いた。
「できるでしょうな」
自信だろう。それに、それだけの実力があるのは俺も知っている。
「だろうな。で、お前ほどではないが、うちの兵たちだって殺すなとか俺が余計な条件をつけたりしなければ、一対一なら子供に負けるようなのはいない筈だ。敵方があの鬼面の坊主みたいなのばかりでさえなければな」
あの坊主は、まず間違いなくそれなりに強い。それは気配で分かる。
だが、あれは例外だ。ここの子供らが全員あれと同等だとはとても思えない。それどころか近い技量の持ち主もいないと思われる。少なくともさっき気配を探った限りにおいては、同等の気配を発していた者は一人もいなかった。
それは、少なくとも敵方の半分はそれ未満――それも遠く及ばないという事を意味している。
「それはそうでしょう。俺の青竜隊も全員選ばれた者たちです。そういう者たちで構成されている部隊です。子供に実力で劣るようでは困ります」
「うん。だから、力と力でぶつかり合うような形の戦は避けたかったんだよ。あそこで今頃青くなっているだろうガキどもに、自棄になって欲しくはないからな」
「なる程……。武様の意図は分かりました。しかしあそこまでしてしまうと、流石に我々にも敗北の目が出て来てしまいますよ? 二対一というのはそういう事も起こりうる数字です」
それなりに武芸達者でも前後を挟まれたり、あるいは一人に専守防衛させて、残りの一人に攻撃に専念されたら、間違いは起こりうる。源太はその事を指摘していた。
もっとも、その事で責めている様子もなく、ただただ指摘してくるだけという辺りが如何にも源太らしかった。
俺はそれがおかしく、プッと軽く噴いてしまったが、源太はそれも気にしない。とことんマイペースな男だった。
そんな源太に俺は答える。
「はは。まず、そうはならないだろうぜ?」
「相手の半分まで、こちらの数を減らしたのに?」
「ああ」
源太は首を傾げてしまった。どうやら、この事に関しては本当に理解できていないようだった。
それを見て取り、俺はきちんと説明する。
「皆、お前みたいに考えるからだよ」
「俺みたいに?」
「そう。特に今回は相手が子供だ。こんな事をされれば、さぞ自尊心も傷つくだろうな?」
「はあ」
源太はまだ理解が追いついていないようだった。俺の説明に、源太は分かったような分からないような顔をして、俺の顔を見ている。
「みな子供だと舐められたと怒り、先程まで怯えていたのも忘れて、目の前にいる俺たちを睨むだろうよ。その時、後ろから突然襲われたらどうなるだろうな?」
「もしかして、交わした約定を違えられるおつもりで?」
俺の言葉に、源太は初めて難色らしい難色を示した。眉根を寄せて難しい顔をしている。さすがにそれは、武人としての源太の最後の一線を越えてしまうのだろう。
そんな源太を見て、俺はニッと口の端をあげて見せる。
「いや。約束を違える気はこれっぽっちもないぞ? それでは屈服させられないじゃないか」
「え? 後ろから不意打ちをかけようというのでしょう?」
「そうだよ。……なあ、源太」
「はい?」
「俺は、『北の砦からうちの兵はこない』としか言ってないぜ?」
「ッ……」
俺の言葉に、源太は珍しくも目をまん丸にかっ開いて絶句した。
こういう反応をしてくれると嬉しくなってくる。まるで、子供のころ悪戯が大成功した時のような心の高揚を覚えた。
「そして、だ。後ろから襲うのは『お前一人』だ。どうだ? 俺は何か嘘を吐いたり、約束を違えたりしているか?」
顔に浮かべる笑みを強くして、源太にそう尋ねてやる。
すると源太は、小さく二度ほど横にゆっくりと首を振ると、いつものニヒルな笑みを浮かべた。そして、
「いえ。確かに武様がおっしゃっていた通りです。何も言葉を違えてはいない。……ただ、恐ろしく意地が悪いとは思いますが」
と、子供たちの意識を前面に集中させておいて背後からいきなりぶっ叩くというやり方を、そう評した。
だが、俺は堂々とその源太の言葉を受け取る。恥じる気はまったくなかった。
「さっき言っただろう? 『本気』で相手してやるつもりだ、と。本気という事は、こういう事だよ。これ……、俺の策が読めていなければ、俺たち五十人とガチンコするよりもキツい事になるだろうぜ」