第百四十四話 偵察が戻ってきた訳だが、なんでそうなったと言わせてもらおうか でござる その二
「彼女は、この田村屋を出たあと館の方に行き、そこから巽門の方へと向かったそうです。そして門の手前――ちょうど門から少し南に外れたあたりで、あらかじめ開けられていた穴を潜って外に出たそうですよ。そこから先は追えなかったので分からないとの事ですが、おそらくは……」
「剣山か?」
「はい」
源太ははっきりと頷いた。
まあ、そうだろうなあ。というか、このタイミングなら、それしかありえんよな。
「それにしても、柵に穴ねぇ」
二水の町を囲う柵は、木の板で出来ている。穴を開ける事は容易だが、その用意周到さには少々感心した。
「木の板と甕で、穴は巧妙に隠されていたそうです」
「準備の良い事で。それにしても、やっぱりそういう事だったんだなあ」
「そういう事?」
源太は首を捻る。
「ああ。馬に乗って逃げた奴らが、巽門を強行突破していない。人はまだいいさ。あの程度の柵なら、その気になればどうとでもなる。でも、馬は? 馬はそうはいかねぇぞ。となると、その馬はどこに消えたんだって話だよ。何の事はない。町の中にある、それぞれの厩に帰したんだろうよ」
継直や金崎の所の人間でも、正真正銘の賊でもなければ、この問題は簡単に片付く。ごく普通の町の人間がやったのなら、そもそも問題ですらないのだ。普通に家に帰っただけなのだから。勝手に犯人の対象から町人を外していたから、謎になって”しまっていた”だけなのだ。
守るべき民を放火の犯人として疑って、初めて見えてくる可能性なのだ。思い込みも、そして予断も怖い。今回はそれを改めて勉強する事になったという事だ。
もちろん彼女も、賊に繋がっている可能性が高いというだけで、まだ確定ではない。
にも関わらず、彼女をそういう者だとして現段階で断じれば、これも予断ではある。しかし、そう予想してその結論『にも』備える事は、軍師として正しい姿勢と言えるだろう。
「武様?」
黙って考え込んでいたら、源太に呼びかけられた。
「ん? ああ、すまんすまん。まあ、何にしてもとっ捕まえて聞いてみれば、すべては分かるだろうさ」
「はい。私もそう思います」
「じゃあ、もう捕まえてしまおう。とりあえず今見えている話からは、俺らが負けるような気配を敵方からは感じられない。強攻してしまっても、まず問題ない筈だ。で、捕まえた後は、坊主もお嬢ちゃんも揃っておしりペンペンだ」
正直、あれこれ考えすぎて、俺は疲れてきてもいた。手を抜く気はないが、さっさと片付ける気は満々だ。
俺の言葉に源太も同意する。小さくコクッと頷き返してきた。しかし、
「同感ですな。多分それで問題ないでしょう。気を抜いたりするつもりはありませんが、そこまであれこれ対策を練る相手でもなさそうだとは、俺も思います。ただ……」
と源太は、少し考える素振りを見せた。
「ただ?」
「はい。子供がなんで塩を作る施設なんか、乗っ取ったのでしょうね? また、そんな子供に乗っ取られた施設の奪還を、巽屋が我々に依頼してきたという部分も解せません」
そして、しばらくの後、はっきりとそう言ったのだった。
普段が普段だからあれだが、実は何も考えていない振りをして、結構考えているんだなあと、妙なところで感心してしまった。
実のところその通りなのである。まだ妙な点が何点も残っているのだ。
だが俺は、その点はとりあえず置いておいても良いと考えていた。だから、
「まあその辺りは、本人たちからじっくりと聞けばいいさ。俺たちへの恨み節でもいい。もしかしたら、他の理由もあるかもしれんしな。今は、坊主どもを無傷で捕まえる事に集中するとしよう」
と答えたのである。
とまあ、そんな事があったのだ。
兵たちの気配が多少温いのも、やむを得ない話だった。
俺自身も、これから殺し合いをするといった感覚はないのだから、兵たちばかりを責められない。ちょっと気を抜くと、すぐに戦意を維持できなくなる程だ。
ただ、相手がどんな者であろうと、こうであってはならない事は承知している。俺は、この軍の大将なのだから。俺までがそうやって心を緩ませる事は、敵に柔い脇腹を晒す事に他ならない。
もう何度目だろうか。俺は軽く首を振って、周りの景色に目をやる。そして、どのような戦いになるのかに思いを馳せ、少しでも心を引き締めるように努めていた。
道中の山々は、比較的高度が低いといっても山は山。その肌を走る細い道から滑り落ちれば、大層な距離を転がる事になる。その反対側は切り立った崖である。
上から岩でも転がされたら間違いなく大惨事だなあ。
この場で周りを見渡せば、そんな事を思わずにはいられない。
もし俺があちらに与していたら、間違いなくこの山道での落石計を使う。敵兵――つまり俺たちは、面白いくらいに岩に潰されるなり、岩と一緒に山の斜面を転がるなりしてくれること請け合いだからだ。
かといって、こう細い道では対策もしようがない。
強いて対策をあげろと言われれば、この道を使わない事くらいである。だが、剣山に進軍させようと思うならば、そういう訳にもいかないのだから、本来ここは実に厄介な場所だった。
だから、相手が子供という点においては戦前の心構えからはほど遠い心理状態ではあったものの、不意打ちを受けたらどうしようという点に関して言えば、正直ドキドキものではあったのだ。
今も偵察を出して進路の確認をさせているから、こうして呑気に考え事などしていられるだけである。
そして幸いな事に、俺たちは何事もなく目的地に到着する。おそらくは製塩施設だと思われる、古びた建物がいくつも建っている一角が見えてきた。
偵察からの報告通り、道中に伏せられている奇襲部隊は存在しなかった。
確認の為に、俺は源太に声をかける。
「到着かねぇ?」
すると源太は、すっと目を細めてこらし、建物の建つ一角を眺め始めた。そしてすぐに一つ頷き、
「その様ですね」
と答えた。源太もそう答えながら、小さく胸の空気を吐きだしていた。俺が道永と戦った時の事でも思い出していたのかもしれない。あのとき源太は俺の指示で襲う方だったが、今度は自分たちが――などとでも考えていたのだろう。
そのあと源太は、きょろきょろと辺りを見まわし始めた。そして、
「あそこが施設という事は、調べに来させた者の話通りなら、ここら辺りに陣を敷けるだけの場所がある筈なのですが……」
と言った。
それは、俺も昨日の報告で聞いていた。施設を出てすぐの場所に少しスペースがあるとの事だった。だから、そこに陣を張る予定となっている。非常に狭いとの話だったが、なんとか五十人程度なら入れるとの報告だった。
そしてしばらくして、
「あれでしょうか?」
と源太は指差しながら言う。
その指差す先を見てみるが……。
近っ!
確かに空き地のようなものが見えるが、製塩施設と思しき建物群のある一角から五十メートルと離れていない。どちらかというと、『隣接している』という表現の方が適切ではないかと思われた。
確かに『近くにある』とは聞いていた。広さも報告通りに五十名くらいなら兵隊も待機できる。
だけど、近すぎだろっ。
そうツッコまずにはいられない。
とは言え、確かに用は足りそうではあった。
広さは短辺二十メートル、長辺三十メートル程の長方形。位置は、今の俺たちから見て右側――道の山頂側だ。見た感じ、その空間を作るのに崖も少し削ったものと思われる。
今は何も置かれていないが、場所的に施設置き場か何かとして作られたのだろうと推察できる。
「おー、まー見事に目の前だな。こりゃ出向くのが楽で良いね」
そんな皮肉交じりのセリフが口から出てくる。すると、
「あそこは止めますか?」
と、流石にこれは不味くないかと思ったらしい源太が、少し遠慮気味にそう尋ねてきた。
まー、普通そう思うわな。
源太のその問いに苦笑せずにはいられない。
俺は再び、源太から件の空き地に目を移し、改めてその空き地とその周囲の地形を見ながら考える。
すると今回の条件に限っては、そこまで悪くはないかもしれないと思えてきた。
山肌を削って作った場所ゆえに、周囲は崖。さっきの道同様に落石計や、火計に弱い地形だ。俺が道永にやったみたく、退路を閉じて上から岩でも落されると非常に危ない。また火計の類いも成果を上げやすい。
が、それ以外には堅牢と言えた。崖の上に偵察を放っておけば、基本正面だけに集中できる。
それに今回は、こちらの方が数も圧倒している。だから、寡兵の時ほどには退路の確保を優先する必要がなかった。
だから、総合的に考えてみると、最初のイメージほどには悪い場所ではないように思えてきたのだ。
むしろこれだけ近ければ、こちらの数を晒してやれば、それだけで示威効果まで期待できるだろう。相手が武士ではなく庶民で、しかも子供となれば、これは十分に有効だと言える。
ここのところ、不利な戦ばかりしていたからだろうか。
どうしても視点が『弱者が強者を打ち倒すにはどうすればいいか』になってしまいがちだった。しかし今回は、そうではないのだ。
今回俺たちは、強者が勝つべくして勝つという戦をすればいいのである。
慢心は愚か者のする事である。しかし、必要以上に小心になって疑心に溺れるのも、また愚か者のする事なのだ。
敵を圧倒する数がいる。
この時点で、兵法的にはまずこちらの勝ちなのである。兵法においては、まず敵よりも数に勝る事を定石とする。そして定石というのは、最も確実で効果的だからこそ定石というのである。
今は、奇計による一発逆転を喰らわぬように、注意を怠らなければ良いだけだった。
だから、
「……いや、上等だろ。予定通り、あそこにしよう」
と、俺は源太に答えた。
「よろしいので?」
源太が、あえてだろう再度の確認をしてくる。
「構わん。陣を敷いたら、早速門の前に出て行くぞ。小僧どもと初顔合わせだ。どんな糞ガキどもか、とくとそのツラを拝んでやろうぜ?」
俺は、源太にニヤアと笑いかけた。我ながら、悪い笑みを浮かべているだろうなとは思う。
「やれやれ。それでは、どちらが糞ガキか分りませんね」
しかし、他人に指摘されると嫌なものである。
「五月蠅いよっ。余計な事くっちゃべってなくていいから、さっさと手足を動かせっ」
俺は、大きな身振りで空き地の方を指差した。
すると源太は、「はっはっはっ」と高笑いを一つして、配下の者たちに指示を出し始めたのだった。